常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

種芋を植え付ける

2012年04月25日 | 日記
晴れ、気温19.6℃。
明日から、雨の予報で種芋の植え付けを行う。畝立て3本、植え床に元肥を土に混ぜその上に土を置く。長靴の跡に一つづつ芽が出ているところを上にして丁寧に植えつける。
こんな作業をしていると、北海道で家の芋つくりを手伝ったことを思い出す。

あの頃は段取りすべて父や兄がしたので、種芋の切り方や畝の幅や種芋の間隔など何一つ覚えていないが、土を手にしていると自然のなかに深く入り込んでいる感覚を思い出す。芋はわずかばかりの数量だし、土地も猫の額ほどなのだが、日差しのなかで風に吹かれながら作業をしていると、芽を出している芋の生命が植える手に語りかけてくる。

畝の残りに、種生姜も植え付ける。
種生姜はごつごつとした不細工な形だが、デコボコの先端にわずかに芽が膨らんでいるのをみるとやはりいじらしい気がする。生姜を植える気になったのは、他にないその味わいゆえだ。寿司屋で食べるガリ、カツオの刺身につける薬味、生姜紅茶などどれもなくてはならない味である。

畑にあるニラは柔らかく伸び、ネギは最後の収穫を待っている。
小松菜の董は伸びて、黄色くかわいい花を咲かせた。同時に雑草も上に、横に緑の茎や葉を伸ばしている。ニラを刈り、ネギを掘る。雑草は根から抜いて、根の土を取ってさかさまに土に置く。土に返して肥料にしたいからだ。

時間を忘れて、土や野菜たちと触れあい、語り合う。私の畑仕事はこんな風にして時を過ごしていく。
隣でやはり畑仕事をしている人たちとも、だんだんと親しくなる。得た知識はお互いに交換しながら、野菜作りをするのも楽しみだ。「こんな風にできたけど、食べてみて」と収穫物を交換する。

野菜作り、それは人生の再確認でもある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜開く

2012年04月24日 | 日記


曇り、最高気温18.6℃。朝、3分割きだった坂巻川の桜は夕方には満開の様相を呈した。遅い春は、いろいろな花を一度に咲かせる。梅、木蓮、大山桜、それから椿に山桜、目を下に落とすとスイセンの黄色な花が風に揺れている。

里山ではアケビの芽、ナンマイ葉、花ワサビなど山菜が出始め、鶯の鳴き声も聞える。畑ではアサツキが伸びきり、ネギはボンボをつけはじめた。
これほど春のメニューが出揃うと冬の生活に馴れていたリズムが狂い、急に忙しく感じる。

山形には桜が多い。千歳公園、霞城公園、千歳山公園、馬見ヶ崎川原など市内の至るところで桜が見られる。大学や公立学校の庭には大概、桜が植えてある。だが人々はこの桜だけでは満足しない。酒田日和山公園、鶴岡公園、米沢上杉神社、烏帽子山公園、長井久保桜などなど桜を求めて足を伸ばす人は多い。

さらに、角館、弘前と北へ桜前線を追いかけると、春は桜だけで過ぎてしまうこともなしとしない。なぜこうも、人は、特に日本人は桜に魅せられるのだろうか。『枕草子』で清少納言は「桜は花びら大きに、葉の色濃きが、枝細くて咲きたる」と山桜を賞美し、本居宣長は
「しきしまのやまと心を人問わば朝日に匂ふ山桜花」と山桜の美しさを詠んでいる。

いま開花を迎えたのはソメイ吉野で、この種は明治になって東京染井の植木屋から全国に広がったもので吉野の山桜とは別種である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本尊厳死協会

2012年04月23日 | 日記
いかにも堅いいかめしい名称だ。
この協会が目指すところは、すでに意思を失い、生命維持装置だけに頼って延命することを断ることを宣言した人を守って、人間本来の死を実現することにある。いま、会員は全国で12万3千人を数える。

私と妻が、この協会の会員になって15年が過ぎた。幸いこの宣言を医療関係の人に提示する事態にはまだ至っていないが、その意義は益々大きくなっているように思える。
ただ寝たきりになるだけではない。その前には認知症という危険も増えつつある。これは残された時間をどう生きるかという問題でもある。

宣言書に書いている内容は

1 私の傷病が、現代の医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると診断されたに  は、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします

2 ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により十分な  緩和医療を行ってください

3 私が回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持措置を取り  やめてください

昨年行ったアンケート調査によるとこの宣言書を医療側に提示した人は83%にのぼり、残された家族の90%がこの宣言書が生かされたと回答している。
きのうも中学の同級生の訃報が届いた。今月には従兄の死があった。死への準備をする時期がすでにきている。

最終医療については、妻と話し合ってどちらが先になってもこうしようと決めた。
そして葬儀と墓についても考えている。いま、立派な葬儀が営まれ、生前に墓を求めている人も多いようだ。しかし、自分はいま世間で行われているような葬儀は一切望まない。葬送は近親者による通夜のみにする。墓は設けず、散骨(できれば海)を希望する。
世話になった方へのお礼は生きているうちに済ませて置きたい。この辺の計画はこれから少しずつ考えていくことにする。

皆人の知り顔にして知らぬかな
  必ず死ぬる習ひありとは  慈円



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新潟県荒川町 高坪山

2012年04月21日 | 日記


今日、春の山を堪能した。このところの気温の上昇で、山は春の気配が濃厚にになっている。木々には新芽が吹き始め、鳥の鳴き声もどこか春を感じているいるように思える。
足元にはショウジョウバカマの可憐な花が登山道を彩る。歩くテンポは心なしに軽やかだ。



新潟県の高坪山は標高570m。眼下に日本海を望み、稜線の東には残雪に輝く飯豊連邦の眺望が素晴らしい。同行会員はリーダーを含めて8名、男性4、女性4の構成だ。朝7時半に自宅を出て、登山口には9時半に到着した。

快晴、気温も登山口で13度を記録した。30分ほどで汗をかく。虚空蔵峰へのコースは、急坂に木の階段を設えて登る便宜を図っている。いかにも地区の人々に親しまれている遊歩コースの赴きである。虚空蔵峰から高坪山への稜線は、北東に朝日連峰、南東に飯豊連峰、西に日本海を望む絶好の眺望が開ける。ところどころ消え残った雪を踏んで登る。



山中で会う山の愛好家はどこまでもフレンドリーだ。
「何処から来ましたか、私たちは地元ですが」「え、山形からですか、新潟に来てくれてありがとう」 ありがとうの声を何度聞いたことか。あそこが仁王寺山、あれが大境山、そこに見えるのは飯豊・えぶりさし、指差す先に白く輝く峰が示される。どこか、新潟のアクセントが新鮮に聞える。

記念撮影の段になった、「私が記念写真撮ってあげます。それから、このカメラの写真は悠峰山の会のホームページにアップしますから、見てくださいね」
「山形にもいい山がいっぱいだから来てね」と言うと「ええ、もちろん、もういっぱい行ってます」

春の息吹は、ここを訪れる人々をハイテンションに誘う。目白の鳴くヤブ、椿の花が咲いていた。おそらく花の蜜を吸いにくるのだろう。
寒い冬に閉じ込められた季節からの開放感、山の仲間との語らいもおのずと心地よいもの
になっていく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アマリリス

2012年04月20日 | 日記


我が家で大きな花を咲かせる鉢は、カトレヤとアマリリスだ。
カトレヤは行きつけの歯科医院で咲き終わった鉢を譲ってもらった。アマリリスは亡くなったタマちゃんからいただいたものである。以前は月下美人も育てていたが、木の成長があまりに大きく部屋やベランダに収まりきらないので処分してしまった。

カトレヤは見事な2輪の花をつけるが、鉢の管理が難しく3年に一度くらいしか咲かせられない。その点、アマリリスは毎年4輪の大きな花をつける。本来夏の花なのだが、昼内に置いているため、梅に続いてきょう4輪目を開いた。
この花を見るたび生前のタマちゃんの姿が目に浮かぶ。人の命を越えて咲く、花の生命力に勇気をもらう。

アマリリスはヒガンバナ科の球根草。原産地はアフリカ、メキシコであるが日本へは19世紀の半ば(江戸時代)に渡来した。気温が上がると球根から濃い緑の花茎を伸ばし、その先端に持ち重りのするような大きな花をつける。我が家の花は地味なオレンジ色だが、真紅のあでやかな花もある。

むろぬくし女王の如きアマリリス   杉田 久女

アマリリス跣の童女はだしの音    橋本多佳子

アマリリス月のなき夜をふかねむり  柴田白葉女 

春は花が待ち遠しい。部屋のなかで梅が咲き、クンシランに続いてアマリリスのたおやかな花が心を癒してくれる。小学校の音楽教科書のなかにあった「アマリリス」の歌は、童謡として記憶されている。

みんなで聞こう
楽しい オルゴールを
ラリラリラリラ
しらべは アマリリス
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする