常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

料理歳時記 辰巳浜子

2012年04月12日 | 日記
快晴。遠く雪を被った葉山、月山が輝いて見える。
こんなにきれいに見渡せるのは久しぶりだ。気温11d℃(11時現在)、今日は16℃が予想されている。こんな陽気になると、野山にでかけて自然と触れ合いたくなる。

本棚から辰巳浜子の『料理歳時記』を取り出してみた。
昭和37年から、7年間「婦人公論」に連載された四季折々のお惣菜の思い出に触れた随想である。この本が伝えてくれるのは、料理の知識や方法だけでなく、著者の生きた時代の暮らしの細部を浮かび上がらてくれる。

春のおすすめは、弁当持参の家族連れのハイキング。摘み草も春にしか味わえない楽しみであると語っている。

食べられる野草として

なずな(ぺんぺん草)
若いうちに摘んで、とんとんときざんでお粥の中にパッと入れると、その香りの良いこと!もりもり元気があふれます。からい塩水で茹でて、さらして胡麻和え、辛子和えにとてもいいものです。春菊や小松菜と混ぜて用いれば少しのなずなで事が足ります。一番しゃれて、スマートで、この世のものではないような天下一品の和えものは、なずなの花の辛子和えです。細かい粟粒のような花芽をつまみ、塩湯で茹で、水にさらして辛子和えにします。茎のみどり、真白い粒々の花、ひと箸口の中に入れると、口中に広がるなずなの香り。私の大自慢の春菜の演出です。


芹には水芹、岡芹、田芹がありますが、鎌倉の湿地には岡芹と水芹の合いの子ような芹が自生しています。芹の歯ごたえと香りを私は男性的と感じるのですが・・・。茹ですぎると筋張るところなどまことに扱いにくいと思います。私は、芹のおしたしには辛子をほんのりきかせるようにしのばせるのです。

そして、つくし、あざみ、小豆菜、拘杞、うこぎと野草の紹介は続く。
野に自生している野草から、食べて美味しいものを見つける目は、戦争という食糧難の時代を経た著者たちの世代が身に着けた知恵だ。

スーパーに行けばあらゆる野菜が季節を越えて並んでいる現代にはそうした知恵は必要ではないのかも知れない。しかし、売り手が提供してくれる知識だけでは、この時代の食生活はどんどんやせ細ってしまう。

山菜にしろ、野菜にしろ取立てのものを食べることで本当の味がわかる。
辰巳浜子の『料理歳時記』が教えてくれるのは、過去の日本の食生活の豊饒さである。
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介護

2012年04月11日 | 日記


妻の母が93歳になった。長年住み慣れた古い家で一人暮らしである。
「お前たちの世話にはならない」気丈な義母は、口癖のように言っていた。だが、いずれは一人暮らしはできなくなるから、面倒を見なければという覚悟は、自分にも妻にもあった。

一本の電話が、その時を告げた。「風呂のガス釜が壊れて点火しないのよ。来て見て!」
行って見ると、操作の方法が間違っていた。正しい」操作方法を教えて、数日間はなにごともなく過ぎた。

ところが、また電話がなり、風呂が点火しないと言う。やはり点火操作を忘れてしまっている。こんなことが4,5回繰り返された。風呂だけではない。訪問してくるヘルパーさんへの依頼、お金の勘定、洋服を着ること、食事、処方された薬を飲むこと、どれひとつ満足にできないのだ。

これが昨年の11月、寒い冬が来る前に起こった事態だった。
だが、たったひとつ止めないことがある。膝が痛むためにそれを和らげるために通う接骨院のマッサージである。11月には、これも悪化して水がたまり、整形外科へ連れて行って水を抜いたり、鎮痛剤の座薬を使った。整形外科では、「マッサージは膝関節症よくないから、痛みがなくなるまで休みなさい」という。

投薬のおかげで痛みが治まると、骨折院通いを続けた。
介護サービスのケアマネージャーと介護方針を話し合った。本人の希望を尊重する。つまり居宅生活を当面続ける。マッサージ通院は続けさせる。食事は妻が作って持参する。投薬を確実に飲むようにするため、ヘルパーの協力を得る。

検査の結果、アルツハイマーが確認された。これに伴って、進行を抑える「アリセプト」の投与が始まった。上の写真は、本日持参した朝食弁当だ。きのう畑から採ってきた、アサツキの酢味噌和えが入っている。

食事と投薬の管理を始めて4ヶ月。義母に変化が生じてきた。
顔色がよくなり、感謝の気持ちを口にするようになった。風呂の操作を間違わなくなった。持っていった弁当を食べながら「うまい、うまい」と言う。妻は母が喜んでくれることがやはりうれしいのだろう。

これは昔から好きだったから、これを持っていくと喜ぶわ。
こんなことを言いながら、妻は買い物をし、食事の準備をしている。きょう一日の無事を祈りながら自分たちができるだけのことをする。結果がよく出れば、そのことが自分の人生をも豊かにしてくれる。


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初めての農作業

2012年04月10日 | 日記
快晴。9時現在の気温6℃、午後には13℃が予測されている。
今年の春は遅く、先週まで時ならぬ雪に農作業に出ることもなかったが、そろそろ準備にかからなければならない。

ジョイから苦土石灰3袋。畑の表面を鍬でならして、石灰を撒く。耕運機で耕してから、貯めてあるボカシ肥料を鋤こんで種まきに備える。
今年植えるもの。きゅうり、トマト、ナス、南蛮、ジャガイモ、ほうれん草、サツマイモ、春菊、京水菜、モロヘイヤ、パセリ、バジル、ツルムラサキ、インゲン、カボチャ、ズッキーニ、枝豆、山東菜。去年から植えてあるもの。玉ねぎ、長ねぎ、にんにく、アサツキ、ほうれん草。

このごろ、日帰り温泉で知らない人にも少し声がけができる。
「ようやく暖かくなりましたね」「そうだな。あまり寒いと畑が心配で。今日、ジャガイモと長いもの種を買ってきたよ」「この気候では種植えは何時ごろですか」「種を日に当てるんだそうだよ。モヤシのような芽でなく、ムラサキの丈夫な芽が出てきたら植えつけるといいようだ」こんな会話で畑の知識を勉強している。

土づくり
種まきの2週間前までに苦土石灰100g/1㎡を撒き鍬でよく耕す。1週間前までに堆肥2kg/1㎡化成肥料100g/1㎡を施してよく耕し、幅60センチ、高さ10センチの畝を立てる。

ジャガイモ
種芋は芽のついたところを4、5個に切り分け、準備した畝に芽の出る方を上にひと足間隔でおいていく。土をかぶせ株間に鶏糞と腐葉土を撒く。施肥はこの1回のみで追肥はしない。植え付け20日後に芽が出て、その10日後に軽く土寄せし、同時に雑草も取る。その半月後に2回目の土寄せ。

今年はどんな収穫ができるか、いまから楽しみだ。
去年の経験を生かし、新しい知識を試す。農作業は春から秋という1シーズンが単位となるので試みのスケールが大きい。それだけにやりがいもある。

大リーグでレインジャーズのダルビッシュが初登板。
1回4失点、2回1失点と苦しむが、打撃の援護で8対5で6回、勝ち投手の権利を持って降板。イチロー3安打。川崎1安打。結果は11対5でレインジャーズ。ダルビッシュは失点しながらも先ず1勝をあげた。

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梅が満開

2012年04月09日 | 日記


上野公園で桜が満開との報道がしきり。
ことしは震災で自粛ムードだった昨年の反動か、人出は例年になく多いようだ。新入社員の初仕事が、花見の場所とりだなどと報じている。しかし、ここ山形ではまだまだ硬い蕾。そんななか、我が家の盆栽の梅が満開を迎えた。この梅の盆栽は、接木して白と梅の咲き分けで、玄関先は馥郁とした梅花の香りがあふれる。

この鉢は、今は亡きたまちゃんからいただいたものだ。
彼女は某産院で長く助産婦として働き、元気な内のほとんどの期間を働くことに費やした。だが働きを辞めてから、晩年の彼女は不幸であった。たった一人だけの息子から、疎んじられ、自分が建てた家ではあったが、同居しながら居場所が無くなっていった。

庭に一人出て花を育てて、空しい時間の慰めとした。
息子が母を疎んじるにも、それだけの事情がたまちゃんにはあったのだが、いつかは一家団欒ができると信じて我慢をし続けた。だが、その希望も空しく容赦ない息子の言葉の暴力が彼女を苛んだ。

我が家を訪ねて、愚痴をこぼすことで慰めていた。
そんな折、持参してきてくれた鉢の梅が、いま咲いている。もう15年も前だ。その後にいただいたアマリリスが花茎を伸ばして花を開きはじめた。

梅は遣唐使のころ、中国から移入したものだ。
その頃の知識人は梅の花を珍重し、競って植え、歌に漢詩に詠んだ。かの菅原道真が大宰府に左遷させられ、京の家の梅を詠んだ和歌は時を経ていまも読む人の心を打つ。

東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主人なしとて春な忘れそ

梅は我が家の暮らしにも深く根付いている。花が散り、実が大きくなる梅雨どきを迎えると梅干用の梅が気にかかる。発色した梅を笊に干すのは土用になったからだが、その前に梅酒を漬け込む。

梅酒、梅干、梅ジャムと毎年作り続ける。
娘からの便りに、もう梅干無くなったんだけど、と言われると妻も喜んで瓶から漬け込んだ梅干を送る。そんな、親子のきずなをなかだちしているのも梅である。
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蔵王地蔵岳

2012年04月08日 | 日記


久しぶり天気が回復。蔵王雪山ハイキングを試みる。
蔵王温泉からロープウエイで、一気に地蔵岳へ、そこから熊野岳を経て中丸山そして蔵王ラインへ降りるコースである。参加者は山の会のヴェテラン6名。

8時15分にロープウエイが出発。眼下は穏やかな雪景色。
これなら行けそうだと、地蔵駅に降り立つ。途端に駅舎へ強風が吹きつけ、気温計は-8.7℃を示している。積雪は2.5m、時おり日がさすものの視界は30mほどしかない。

先週は寒く、山上は雪が降っていたと見られる。稜線へいく行く雪原は30センチほどの新雪だ。稜線は雪が飛ばされて、雪上は凍結している。この季節殆どがスキーヤーかスノウボーダーかと想像していたが、山登りのグループ2組にが黙々と熊野方面へ向かって行く。このあたりには、スキーヤーもボーダーもいない。

稜線へ出る。-8℃の低温に加え、強風が顔を直に打つ寒いより痛い感じだ。体感気温は-15℃とも思える。10mほど先に道標なのか、ポール状のものがぼんやりとかすんで見える。近寄って見ると、氷雪が風に吹き付けられて海老のシッポのように風に向かって伸びている。このところの冬の気候で成長を始めた樹氷だ。

ポールは南へ向かって立ち並び、行く手を案内している。
仲間からこの風では今日の目的地へは無理ではとの声が出始める。とりあえず熊野まで行ってそこで考えようとの声。リーダーが決断する。「天気予報では、この風は間もなく止む筈だから、ロープウエイの駅に戻って風待ちをしよう」

駅の建て屋は食堂が併設されて、暖房のきいた通路の腰掛で時間を過ごす。
やがて明るさを増した空から日が薄く見える。しかし強風は勢いを弱めない。窓から山上から降りてくる人影が見える。一歩づつその影が大きくなるのが、映像を見るような感じで見える。

小一時間ほど待ったが、風が止まずスキーコースを通って下山することにする。
明さんと新館さんはこのスキー場の常連だから、道案内をしてくれる。ここが樹氷原コースのザンゲ坂。あれがトニー・ザイラーの顕彰碑。あそこからは大平コースでもう危険はないと懇切だ。

大平コースまでくると、これまでの風が嘘のように収まり、穏やかな日差しが現れて霧氷がキラキラと美しい。三宝荒神山の急峻が目前に迫ると絵のような美しさだ。思わずカメラのシャッターを押す。

パソコンでそのシーンを再現してみるが、ここにアップしたようにどんよりとした風景でしかない。肉眼で見た景色と、カメラのレンズが捕らえた風景のこの落差は何なのか。下手なのか、光量の不足か。

地蔵岳の地蔵さんは首だけを出して体は雪の下。今日見るはずだった斉藤茂吉の山上歌碑はやはりなかば雪のなかに埋もれ先端には樹氷が付着しているのであろうか。

陸奥をふたわけさま聳えたまふ蔵王の山の雪の中に立つ 茂吉

蔵王温泉の大浴場の前に車座になって昼食をとる。4月になってもう春の陽気の山行のつもりであったが、今年の遅い春は山でも例外ではなく、思わぬ冬山であった。5月の連休にアルプスで天候急変で遭難したパーティも同様な体験をしたのだろう。撤退することの勇気も持ち合わせなければならぬ。


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