常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

どんがら汁

2013年03月07日 | グルメ


春めいてきて、寒鱈もそろそろ終わりそうだ。本格的な春の前に、もう一度だけ食べておきたいのが、寒鱈のどんがら汁だ。身はとった真鱈のアラを、頭から尾まで、骨を含めて内蔵を小さくきったものを、鍋に入れて煮る。ネギを入れるだけで、味噌味のシンプルな浜料理だ。アラ汁が一般的な呼び名だが、この地方の方言で、どんがら汁である。

このどんがら汁を食べる度に、思い出すのが、酒田で初めて食べたどんがら汁である。もう亡くなってしまったが、酒田で企画会社を経営している田森さんと一緒に仕事をしていた。ある冬、酒田でどんがら汁を食べてみらという話になって、田森さんが店を手配してくれた。このとき初めて知ったのが、予約である。ぶらりと店に行ったのでは、本当に美味しい鱈は食べられないというのだ。

なぜなら、冬でも鱈はいきが下がりやすく、漁から帰って船が、朝荷揚げした鱈を仕入れるということであった。海の近くの人はそんなに贅沢な食べ方をしているのかと驚いた。実際に、酒田で食べてみて、納得した。キクワタを生で食べたことはあるが、最初に出されたのが、肝臓(アブラワタ)の刺身であった。口に入れた時の食感と、なんともいえぬ旨さはいまだに忘れられない。

身は昆布絞めにして刺身にで食べた。残ったどんがらを豪快に鍋にしてくれた。酒田では岩のりが、香りづけに入れられる。私は内陸育ちだったので、鱈は塩した切り身しか食べていない。それでも、その切り身を豆腐入れて煮る鱈チリが大好物であった。どんがら汁は、そんな鱈への認識を根底から変えた食べものであった。

鱈ちりやもとより酒も熱くして 片山鶏頭子

大鱈を断ちたる刃物洗ひをり  植松 たか

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黄砂に沈む夕日

2013年03月07日 | 日記


夕日を撮るのに挑戦している。山の端に沈んでいく太陽は、高いと明るすぎてカメラには収まらないし、沈んでいく速度は以外に速く、シャッターのタイミングが難しい。昨日の空は、雲と山の間の青空に黄砂が飛来して、曇りのように薄暗かった。そのため、太陽が、薄い雲のなかにあるかのように見えた。今まで挑戦した夕日で、一番よかったショットかも知れない。

黄砂とPM2.5が夕日を美しく見せる皮肉な結果である。九州ではPM2.5の空中濃度が、暫定基準を超える可能性があるとして、注意喚起の情報を流した。福島原発事故にによる放射性物質がなかなか低減しない状況のなかで、黄砂の飛来が加わって、ダブルパンチで大気の汚染が気になる。

夕日をみながら気づいたことがある。日が沈んでからしばらく空には青空が見えている。太陽は山の端に姿を消したが、残光が高い空を照らしている。そんなわずかの時間を見計らったように、カラスの群れがネグラへ帰る行動を起こす。そのとき、鳴き声をほとんど立てない。羽を大きく羽ばたき一目散に帰っていく。ネグラのある森に着くと、カラスの群れは集団になってしばらく間、入り乱れて乱舞する。日ごろは気色の悪いカラスではあるが、トワイライトのなかを群れて帰る姿を見ていると、ある種の親しみを覚えるのだ。

日みぢかし塒の空に烏群れ 柳 芽


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

啓蟄

2013年03月06日 | 日記


きのうは、24節気の啓蟄であった。春の陽気で、土のなかから虫が出てくるからこう呼ばれる。空からは、偏西風に乗って招かれざる物質が飛来する。黄砂とともに中国の大気汚染に含まれているPM2.5だ。日本でも1970年代に大気汚染による光化学スモッグが問題にされた。

新聞を見ていると、この季節に蚊に刺されるという話題が載っていた。東京のマンションでのことである。蚊は15℃以上になると繁殖するとのことだが、地下の駐車場などの水たまりで繁殖するらしい。空腹の蚊は排気パイプを通って、人間の呼気に含まれる二酸化酸素に反応して室内に侵入すると、一気に刺すらしい。

土が温められる前に蚊が繁殖するということでは、夏の蚊が冬に現われ、啓蟄の季節感がいささか損なわれるような気がする。そこで、チャペックの「3月の園芸家」の項目から、季節感を感じてみよう。

土が凍っていると言っては、檻の中のライオンのように、園芸家は家のなかでむかっ腹をたてる。鼻風邪をひいたと言ってはストーブにかじりつき、やれ歯医者だ、裁判所だ、やれ伯母が来た、伯父が来た、うるさ型のおばあさんが訪ねて来た、といったぐあいに、ありとあらゆる災難、不幸、めんどうな事件や不愉快な問題が、申し合わせたように、みんな3月という月にかたまって起こり、それに追われて一日一日と日がたっていく。つまり、うかうかしていられないのだ。「3月は、花壇にとって、春のしたくをしなければならない、いちばん大切な月です」

ユーモアに富んだチャペックは、3月の悪天候に堪忍袋の緒を切って叫び出す。

「ちくしょう、ことしの冬はまったく、糞いまいましい、罰あたりの、べらぼうな、途方もないひどい冬だ」と。

畑の準備を気にしている身にしては、こんな季節感こそがふさわしいのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甘酒

2013年03月05日 | 日記


もうすぐ94歳になる義母は甘酒を好んで飲む。米麹に酒かすを溶いて煮込んだものだが、これを熱い湯でのばすと、甘く温かい飲み物になる。妻はこれを飲む点滴と言って、身体によいからと、毎日飲めるように常備している。寒い日、昔ながらの寒い家に住む老人には、うれしい飲み物だ。「うまいなあ」一口飲んでつぶやく義母の声を聞くと、こちらも身体が暖まるような気がする。

江戸時代の甘酒は、もち米の粥に麹を混ぜて、とろ火で6,7時間温めて作った。この甘酒を火種のある朱塗り箱のなかの釜に入れて、行商人が天びんで担いで、「あまーい、甘酒ィ」と呼びながら、長屋の前の通りを売り歩いた。アルコール分はないが、寝る前に、腹のなかから暖まる庶民のありがたい飲み物であった。それに代価は6、8文と安価であった。

落語にこんなのがある。
「甘ィ甘酒」
「おう、甘酒屋」
「へいッ」
「どうだ、甘酒屋、あついか」
「へえ、熱うござんす」
「暑けりゃ肌ァ脱いで歩け」
「・・・ヘヘン、ばかにしてやがらア。買うんじゃねえや。ひとをからかってやがらア。何を言ってやンでえ。甘ィ、甘ィ・・・」

餅に赤飯、漬物と年寄りの好みは、伝統食ばかりだ。一日2食だが、しっかりそしておいしく食べるので、寒かったこの冬も乗り切っていけそうである。だが春はきても、日一日と老いを重ねる日々は、後戻りすることなく人生の終焉に向かった進んでいく。何人も、この進行をとどめることはできない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春めく

2013年03月04日 | 日記


三寒四温とはいうものの、吹雪で8人もの死者を出した北海道の事故はあまりに痛ましい。白魔という名が、そのまま人の命を呑み込んでしまう。山での遭難ではないのだ。ホワイトアウトした世界には、道も家も消えてしまう。秋田では雪のなかで新幹線の電車が脱線したニュースが流されている。

一夜明けた朝は寒気こそ残ったが、一転して春らしい日がさした。春めく気配が顕著である分だけ、気候の残酷さが際立つ。自然の威力の前に、人間の無力さを改めて実感される。

春一番木々は根を緊めおのれ鳴らす 楠本 憲吉

東日本で吹いた春一番だが、北海道では痛ましい事故の暴風雪となった。今日の凪は、人にも鳥にも、そして山の木々にも一先ずの安堵をもたらす。夕日のなかを、カラスが一羽、塒をさして飛んでいった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする