常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2016年01月18日 | 日記


今冬はじめて雪らしい雪になった。普段は無口な宅配便のお兄ちゃんも、「雪でびしょびしょ」とこぼしながら、荷物を配達していった。昨夜は20㎝弱だったらしいが、今夜から明日、あさってにかけて、さらに積雪が増える予報である。まったく雪がない冬など考えられないから、少し交通の不便は我慢して、雪が山や畑に積もるのを待ちたい。

雪降れり時間の束の降るごとく 石田 波郷

時間の束などという言葉はふだん使わないし、難解に思われるが、100m先も雪雲に覆われて見えないと、目に見えない先がひょっとして時間の束なのか、そんな想像もしてみたくなる。道路には人影も見えず、渋滞した車の列が、ゆっくりと通り過ぎる。

雪の降るまちを
思い出だけが通り過ぎていく
雪の降るまちを 遠い国から落ちてくる
この思い出を この思い出を

こんな歌の詩を思い浮かべると、やはりそこには、重く重なった時間の束が、雪になぞらえられていることに気づく。

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石炭ストーブ

2016年01月17日 | 日記


もう石炭ストーブを使っている家庭はないだろうが、昭和40年代まで北海道では鉄製の石炭ストーブを使っていた。このストーブを初めて北海道で紹介したのは、あのクラーク博士である。「少年よ大志を抱け」とい言葉で、いまなおクラーク博士の言葉が残っているが、博士の紹介したストーブは、かのベンジャミン・フランクリンの発明によるものだ。不燃状態のときに出るガスを有効利用して燃焼効率を高めたもので、凍てつく北海道の冬にうってつけのものであった。

多くの炭鉱をかかえ、良質の石炭を産出する北海道ではまたたく間に、全道へ広がった。開拓農民であった私の家でも、当然のことにこのストーブを使っていた。燃料として薪を使う家庭もあったが、黒光りする石炭を一冬分買って、小屋に積み上げておくのは、冬を越す一家を励ます光景であった。隙間風が吹き込んでくる粗末な家では、家族がストーブを囲んで暖を取れることは何よりもまして必要なものであった。

フランクリンは雷雲に帯電を発明したことで知られるが、このフランクリンストーブをはじめ、遠近両用メガネ、グラス・ハーモニカなども発明した。因みにフランクリンが生まれたのは、1706年1月17日である。
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梅の蕾

2016年01月16日 | 日記


ベランダの梅の鉢に雪が積もった。梅の枝にふくらんだ梅の蕾のピンクとのコントラストが面白い。正月明けの暖かさが続いていたら、梅はいまごろ花びらを開いていただろうが、ようやく冬らしい気温になってきた。山の雪も降ってどうにか、スキー場の雪も間に合いそうな様子である。

梅一輪 一輪程の暖かさ 服部 嵐雪

服部嵐雪の有名な句だが、やはり梅の蕾は辺りの雪が似つかわしい。厳しい寒さのなかでも、梅の一輪だけの花の周りには、ほっとする暖かさがあると解釈できるからだ。梅が厳しい寒さのなかで花を開くのは、人の生き方ににも通じるものがある。苦しいとき、困難な状況に立ち向かって努力すれば、まわりの人々をほっと安堵させる花が開く。
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蔵王山

2016年01月14日 | 斉藤茂吉


みはらしの丘に立つと、蔵王山が指呼の間である。雪が少ないとはいうものの、刈田岳や地蔵山が真っ白な雪を被っている。上山の金瓶に生まれた斎藤茂吉も、朝に夕に蔵王山を仰ぎ見たであろう。

蔵王山をここより見れば雪ながらやや斜にて立てらくあはれ 斎藤茂吉

この歌は昭和22年5月、茂吉の門下、山形市本沢の結城哀草果の家を訪れて詠んだものである。大石田で病に伏せていたが、この年になって県内を小旅行して歩けるほどに回復した。哀草果の家では、手打ちの蕎麦や鶏の肉を食べ、据え風呂に入った。8月には、上山で哀草果を伴い、上山に来た天皇陛下に拝謁している。

茂吉にとって蔵王山は、山上歌碑のある故郷の山である。写真に見える尖って白い刈田岳の山頂に歌碑がある。この歌碑が建てられたのは昭和9年のことである。当時、歌壇では歌碑を建立することが流行のようになっていた。茂吉はこの風潮を嫌い、歌碑建立を渋っていた。弟の高橋四郎兵衛が、「書の師である梧竹翁に富士山上碑があるのに、朝晩仰いで育った蔵王山に歌碑を建てない法はない」と説得されて、歌碑の刻む歌を作った。

陸奥をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ 茂吉
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仏とは

2016年01月14日 | 日記


明治30年の12月末、夏目漱石はかって参禅した鎌倉の帰源院を訪れている。この年、妻鏡子が身籠ったが、流産して心身喪失の状況となり、ヒステリー症状を起こして漱石を悩ませた。また根津にいた親友の正岡子規は、不治の病で病床にあった。熊本で教師をしていた漱石ではあったが、人生の悲喜を強く感じたときでもあった。

仏性は白き桔梗にこそあらめ 漱石

参禅した寺域でひっそりと咲いている白桔梗を思い浮かべ、その花に仏性ありと断じて、仏師の問うた「仏とは」の問いへの答にしたものであろう。山川草木、悉皆成仏という仏教の思想を句に重ねた作りになっている。

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