常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

虎穴

2016年01月13日 | 日記


虎穴を漢和辞典で調べると、「とらのすむあな。転じて、極めて危険な場所のたとえ。」とある。続いて、「虎穴に入るらずんば、虎子を得ず」の成句をあげて、とらのすむあなにはいらなければ、とらの子は得られない。危険をおかさなければ大きな成果は得られないたとえ、と説明している。これは、後漢の光武帝の時代に活躍した斑超(32年~102年)の故事によるものだ。

秦の始皇帝が万里の長城を築いたことは有名だが、秦から漢の時代にかけて西域に跋扈する匈奴をいかに従わせるか、が大きな課題であった。斑超は西域国の使節として派遣されたが、その国王ははじめのうちは、手厚くもてなしてくれたが、急に冷淡になった。このとき斑超は、匈奴からも使節が来たために、王は両天秤にかけて日和見していることに感ずいた。

斑超は部下を決起させて夜襲をかけて匈奴の陣営を全滅させた。このとき、部下の士気を奮い起こさせるために放った言葉が、「虎穴に入らずんば虎子を得ず。」である。この斑超の行動が、西域に勇名をとどろかせ、50余の西域諸国を帰属させることに成功した。以後、西域にとどまること30年、西域都護として諸国統括を成し遂げた。
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猿曳

2016年01月12日 | 日記


今年は申年ということもあって、復活した日光猿軍団へも盛況のようであった。猿に芸を仕込んで見せるという大道芸は、古い歴史を持っている。猿曳は、正月に、猿を曳いて家を回り、太鼓を打ちながら、仕込んだ猿の芸を見せて、祝儀をもらうことで収入を得ていた。

猿曳の猿に着せたる春着かな 幸田 露伴

露伴の時代にこんな句が詠まれているから、明治、大正、戦前の昭和まで続いた風俗であろう。猿に晴れ着を着せることで、猿への愛着のある猿曳師が人気があったのかもしれない。

猿はもとは日吉山王の神使いで神馬の口添いとして伴をするいう俗信があった。厩祈祷や疫病退散などで、猿が門つけにやってくることが、人々から歓迎されたらしい。この俗信がしだいに薄れて、猿に芸を見せて大衆を喜ばせる猿回し、猿使いなどの大道芸として続いていた。

日光猿軍団もこの流れを汲むものであったが、東日本大震災で従業員の多くが中国人であったため、放射能を恐れて帰国してしまい閉園を余儀なくされていた。復活した猿軍団が、今後も活気づいていくことを願う。
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千歳山雪景色

2016年01月11日 | 日記


雪がしんしんと降る。まだ平地に積もるほどでないが、千歳山が雪化粧をした。天明18年、山形を訪れた古川古松軒が書いた『東遊雑記』に、この千歳山に触れた記事がある。

「この町より千とせ山見ゆ、風景よし。この山に名高きあこやの松あり、これは幾度も植え次ぎし松ながら、遠見大樹に思わるるなり。麓に万松寺という禅院あり。大寺にはあらざれども、古き所にてもっとも殊勝なり。(中略)この千とせ山風景甚だ奇妙なり。」

と述べ、千歳山の景色をしきりに称賛している。事実、山形駅を降り立ち、東正面を望めば、この山の端正な姿が目に飛び込んでくる。しかし一年を通して千歳山が一番美しいのは、松に雪を戴いた姿である。松くい虫のために、松は次々と倒されて、いまかって松山と呼ばれた風貌は様相を変えているが、なお目に焼き付く景色である。
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初吟会

2016年01月11日 | 詩吟


1月10日、上山温泉古窯で、山形岳風会の初吟会が開かれた。年に一度の詩吟仲間の新年会であるが、会を代表する人たちの吟声を聞くのは楽しい。今年の独吟で印象に残ったのは、仙台在住の常任理事阿部岳照氏の「心に太陽を持て」であった。山本雄三がドイツの詩人のこの詩を訳したのは、昭和10年ことであるが、戦争が迫る時代の子供たちを励ます詩として、多くの人の心をうった。

心に太陽を持て
あらしが吹こうが、雪がふろうが、
天には雲、
地には争いが絶えなかろうが!
心に太陽を持て
そうすりゃ、何がこようと平気じゃないか!
どんな暗い日だって
それが明るくしてくれる!

いま、時代は大きく変わったが、5年前の東日本大震災は、福島、宮城、岩手などで大災害となった。この時代にあって、この詩は大きな意味を持つ。仙台在住の阿部さんがこの詩を選んだ意味を思うとき、心を打たれるものがあった。

また全国優秀吟で5傑に入った伊藤美岳さんの吟は落ち着いた吟調で、模範となるものであった。同じ優秀吟への出吟者俣岡雄風氏の力強い吟にも力を貰った。
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里山

2016年01月09日 | 登山


山歩きも約1ヶ月半遠ざかったいた。天候に恵まれなかったり、予定した山計画へ参加者が少なくて中止したりで、グループでの登山は、今日の富神山でやっと実現した。山形市の西部山麓で目立つ三角錐の山である。チラチラと雪の降るなかの山歩きであったが、久しぶりに山の雰囲気に浸ることができた。標高402m、登山道はまだ積雪がない。雑木林に雪が降りかかり、霧氷を見るような気分である。



登山口から富神山の頂上までは、30分程度で登れるが、久しぶりの上り坂で呼吸が弾んだ。それにしても落ち葉の上のうっすらと積もる雪は、この冬の暖冬を物語っている。近隣の人々の散歩コースになっているのか、山中で20人ほどの登山者と合った。なかには小学校ぐらいの女の子を連れたお父さんもいた。

頂上には秋葉神社が祀られている。山麓の集落の人々の火伏の神社である。元日の初詣に続いて、今年の山行の安全と家内安全を祈る。

初社岳人深く頭下げ 平畑 静塔
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