常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

射干

2020年05月02日 | 日記

待っていた射干の花が今年初めて咲いた。毎日のウォーキングに楽しみを加えてくれる。散策のコースに3か所ほど射干が咲く場所がある。毎日、蕾が少しずつ膨らんでいくのを見ながら、あと3日ぐらいかと思っていたが、あるお宅の花壇のかげにひっそりと咲いた。日陰の花にしては気品がある。西脇順三郎の詩、「近代の寓話」という詩がある。歩くことの意味が語られている。

白い道を朝早くセコの宿へ歩くのだ
一本のスモモの木が白い花をつけて
道ばたに曲がっている ウグイスの鳴く方を
みれば深山の桜はもう散っていた
岩にしがみつく青ざめた菫 シャガの花は
むらがって霞のなかにたれていた
私の頭髪はムジナの灰色になった

夕方、お隣のご主人が取り立ての独活を届けてくてた。やがてわらびが頭をもたげてくる。もうそんな季節なのだ。独活の味噌汁に初夏の香りがただよう。そういえば、千歳山でザックを背負っている人が、コシアブラを採ったのを見せてくれた。

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スミレ

2020年05月01日 | 
山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉

里山を歩いて、岩陰にスミレがさいているのを見かけると、昔の友人にあったような懐かしい気がする。芭蕉が「ゆかし」と詠んだのも、慕わしい、恋しいという意味にとれる。漱石も、「菫ほど小さき人に生れたし」という句も詠んでいるように、素朴で清純なイメージがスミレにはあるように思われる。

去年、裏の庭に自生したスミレを鉢に植えてみた。すると、肥料のせいもあったのか、びっくりするような成長を見せ、たくさんの花を咲かせたあとには、たくさんの種を残した。庭にはこぼれた種から新しい株がびっしりと生え、一面の花畑の様相になっている。どうやら、スミレは可憐さと同時にその生命力の強さも見せてくれる。

千歳山の山道は多くの人が歩く。平坦なところにスミレが生える余地はないが、大きな石の間に生えたスミレが、年々数を増やしている。野菜などは少しでも放置しておくと忽ち雑草がはびこり、野菜の成長は止まってしまう。スミレには野生の強さがあるのだ。
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