ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

思いを送る

2011年05月11日 22時32分00秒 | 自分自身
今日は早いもので、震災から2ヶ月目。
街頭募金こそあまり目にしなくなったけれど
今でも、どこへ行っても目にするのは募金箱。
もっと何かしたいけれど出来ずにいるもどかしさと
気持ちの折り合いをつけるようにして
あっちこっちで、小銭を入れてはきたけれど。

でも寄付するたび、心のどこかで、
ちゃんと必要な方々のために使われるのかしら、
いっそあちこちでばらまくより
日赤などに直接送金した方がいいのでは、と
迷いや葛藤がどこかにあったのも、また事実。
そんな時にたまたま、このような言葉に出会って。

(今夜はブリテンのレクイエムを聴きながら)

「寄付したお金の、先のことを考えるのは
それにいつまでも執着している証拠。
寄付した時の、その思いこそが大切なのだから
その先を思い煩うことなく、思いを送ればいい。
もし不正な使い方をされたとしても、
不正をした人が、その業を負うだけのこと。」

勿論、お金の使われ方を見届けることは大切だけど
それに心煩わせすぎて、二の足を踏むくらいなら
こういう考え方をした方が、楽でいられる。
祈りや願い、励ましの気持を送る行為だと思えば
小銭をあちこちで、一貫性なく寄付することにも
それなりの意味があるように思えて。
これからは迷うことなく、思いを送っていこう。
コメント
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