年に一度、ほぼこの時期に、必ず大風邪をひきます。
今年も例年に漏れず、やはり。
毎回のように高熱を発し、インフルエンザを疑われるのですが、
小さい頃から、私がひくのはいつもこんな風邪。
発熱→厚着&布団ゴボゴボ状態で汗をかく→熱が下がる
→再度発熱→再び汗をかく→熱が下がる→快復。
だから、高熱には慣れっこで、意外と普通に生活してます。
今回も39度まで上がりましたが、
発熱した日が健康診断で、前日採ったばかりの検便用の便が手元に。
んなもん、翌週まで自分で保管しておくのは絶対イヤやっ。
で、便の提出のために出勤しました。
映画の話と何の関係もなくてすみません。
そんなわけで、この1週間、ちっとも映画を観てません。
映画を観る体力はありませんでしたが、
その代わり、東野圭吾の本を何冊か読みました。
巷で大人気の作家なのに、私はほとんど読んだことがなくて、
映画化されてから原作に目が行き、映画を観てから読むパターン。
『手紙』(2006)もそうでした。
映画を観たあと、すぐに原作を購入して途中まで読んでいたのですが、
車通勤のうえに、ヒマさえあれば映画を観ている状況では
読書は遅々として進まず。風邪のおかげでやっと読破。
原作を読むのが先か、映画を観るのが先か。
永遠に迷うところですが、どちらもちがった楽しさがあります。
東野圭吾に関しては、『秘密』も『手紙』も映画を先に観たので、
映画のシーンをいろいろと思い出して
本を読んでいても涙がドドーッと溢れてきてしまいました。
『手紙』を読んでいるときは、映画でもツボにハマった、
(映画では吹越満が演じた)被害者の息子の言葉にジワーッ。
原作では主人公が歌手であるところ、映画では漫才師でしたが、
笑いの渦の中にあって、玉山鉄二演じる主人公の兄が
鼻を垂らしながら嗚咽するシーンにかぶせて流れる、
小田和正の『言葉にできない』。
読んでいるとその曲が頭の中に流れる、これもいいもの。
映画化してくれないかなと思うのは『同級生』です。
車の前に飛び出して死んでしまった同級生。
彼女が妊娠していたとわかり、その相手である主人公が真相を究明しようとします。
成りゆきで抱いてしまった彼女だったけど、
それは伏せたまま、彼女の家に「相手は俺です」と言いに行く主人公。
そのときの彼女の父親の言葉は、映画でなくても心を揺さぶられます。
今年はちょっと、本にも時間を割きたいなぁ。
今年も例年に漏れず、やはり。
毎回のように高熱を発し、インフルエンザを疑われるのですが、
小さい頃から、私がひくのはいつもこんな風邪。
発熱→厚着&布団ゴボゴボ状態で汗をかく→熱が下がる
→再度発熱→再び汗をかく→熱が下がる→快復。
だから、高熱には慣れっこで、意外と普通に生活してます。
今回も39度まで上がりましたが、
発熱した日が健康診断で、前日採ったばかりの検便用の便が手元に。
んなもん、翌週まで自分で保管しておくのは絶対イヤやっ。
で、便の提出のために出勤しました。
映画の話と何の関係もなくてすみません。
そんなわけで、この1週間、ちっとも映画を観てません。
映画を観る体力はありませんでしたが、
その代わり、東野圭吾の本を何冊か読みました。
巷で大人気の作家なのに、私はほとんど読んだことがなくて、
映画化されてから原作に目が行き、映画を観てから読むパターン。
『手紙』(2006)もそうでした。
映画を観たあと、すぐに原作を購入して途中まで読んでいたのですが、
車通勤のうえに、ヒマさえあれば映画を観ている状況では
読書は遅々として進まず。風邪のおかげでやっと読破。
原作を読むのが先か、映画を観るのが先か。
永遠に迷うところですが、どちらもちがった楽しさがあります。
東野圭吾に関しては、『秘密』も『手紙』も映画を先に観たので、
映画のシーンをいろいろと思い出して
本を読んでいても涙がドドーッと溢れてきてしまいました。
『手紙』を読んでいるときは、映画でもツボにハマった、
(映画では吹越満が演じた)被害者の息子の言葉にジワーッ。
原作では主人公が歌手であるところ、映画では漫才師でしたが、
笑いの渦の中にあって、玉山鉄二演じる主人公の兄が
鼻を垂らしながら嗚咽するシーンにかぶせて流れる、
小田和正の『言葉にできない』。
読んでいるとその曲が頭の中に流れる、これもいいもの。
映画化してくれないかなと思うのは『同級生』です。
車の前に飛び出して死んでしまった同級生。
彼女が妊娠していたとわかり、その相手である主人公が真相を究明しようとします。
成りゆきで抱いてしまった彼女だったけど、
それは伏せたまま、彼女の家に「相手は俺です」と言いに行く主人公。
そのときの彼女の父親の言葉は、映画でなくても心を揺さぶられます。
今年はちょっと、本にも時間を割きたいなぁ。