雪降る街 カムイラピットの楽園 こな雪 ぼた雪 あられ雪

けっぱれラピット、どろ亀さんに負けるな。ウサギとカメとの競走です。随想、旅行記、日記など、雪の降る街からのお便りです。

道東の有名温泉地 川湯温泉 源泉かけ流し

2012-03-23 18:03:47 | 温泉
釧路管内弟子屈(てしかが)町の「川湯温泉」は酸性硫黄泉で、群馬県草津温泉と泉質が似ており、「北の草津」とも呼ばれています。
街中に温泉川(アイヌ語のセセキ・ペッ)が流れ、街は硫黄の匂い漂う温泉らしい雰囲気につつまれて観光客を迎えます。温泉らしい匂いは他の温泉地ではなかなか味あえません。温泉はリウマチ、糖尿病、皮膚病に効くと言われています。日本でも珍しい「源泉100%かけ流し宣言」をして温泉としての誇りを持っています。
温泉の中には「酸性硫黄泉」「塩泉」のホテルもあり、石鹸を使用しても泡立ちせず役立ちません。貴金属、時計なども後に錆びることがり、はずして入浴する必要があります。、
川湯は、始めは1886年(明治19年)と記録にありますが、細く長く年が経ち大正時代まで、一軒の宿が営業しておりました。その後1953年に公開された映画「君の名は」以降一躍この地に訪れる観光客が激増し、温泉街が急速に発達しました。古くから薬湯として多くの客を集めていました。1991年には年間で56万人もの泊まり客がありました。しかし近年ではバスの機能が良くなり観光客の長距離輸送が可能になり、温泉ホテルの一極集中化が見られるようになりました。定山渓、層雲峡、阿寒、知床(ウトロ)にホテルが集中し、川湯温泉には宿泊客があまり泊まらなくなりました。それでも10軒ほどのホテル・旅館があります。交通網の発達で、オホーツク管内の「温根湯温泉」も同じ憂き目にあっています。
川湯の2010年の利用客は19万人に激減してしまいました。
新たに客を集める企画として、薬湯、アロマセラピー、食事療法などを合わせた「新しい滞在型湯治客」の確保を目指し、「自然の中で楽しみながら心身をいやす、現代風の湯治で温泉街を活性化したい」(川湯温泉旅館組合長・道新)としています。
★ 地名の由来 
函館の「湯の川」地名起りはアイヌ語のユ・ペッで、湯・川からですが、先に湯の川という地名があった事から、「川湯」はアイヌ語のセセキ・ペッの熱(温泉)・川、を逆さにして、川湯としたものです。
★近くの見もの
・元横綱の大鵬の「弟子屈川湯相撲館」 ・温泉熱を利用した「屋内プール」 ・また近くにアトサヌプリ(硫黄山)の赤裸の火山、噴気、硫黄卵など ・硫黄山の麓の白つつじの群落 ・もう少し足を延ばせば摩周湖展望 ・釧網線川湯温泉駅には足湯も設置されています。

天空の棚田 中国雲南のハニ族

2012-03-23 14:38:08 | 草花
「天空の棚田」の映像がNHKテレビで放送になりました。画面を見ていて、その棚田の見事さ(美しさ)、規模の大きさには驚きました。中国雲南省の少数民族ハニ族の人たちの生活です。総面積5万4千ヘクタール、標高1800メートルまで切り開いており、「天空の棚田」の名にふさわしい景観です。
最大の勾配が75度にもなる急峻な斜面の開拓、独自の灌漑技術と農法を磨いてなしとげたものです。代かきに水牛を使い、草、稲根などを畦にすき込みます。一軒が担当する畦の長さは1㎞の長さに及び、全体が村人全員の責任で行われます。
峡谷にある棚田から集落までの距離もあり、収穫米を家まで持ち上げるのは大変ですし、水田の管理の為に通うのも大変です。そこですべて棚田は村人に均等に割り振られているそうです。
棚田を守るには水の確保が重要です。そのために雲南のブナの一種の林を大事にし、切る事は禁じられています。自然を理解した生活がなされています。
世界最大の棚田群で、耕して天から峡谷までが棚田です。かつて石川県能登半島の千枚田を見に行きましたが、その規模と比較すると較べものにならぬほど大規模なもので、1300年もかけて築き上げなれたものといいます。
今では、国連食糧農業機関が「世界農業遺産」に認定しているほどです。
みのりの時季には、稲穂のジュウタンのように波打つ畑は見事です。いうまでもなく、月が田に映る棚田の景観も素晴らしい。
天空の棚田の美しさに、いまは多くの人が観光にやってきますが、そこはハニ族の人たちの生活の地であり、「米を作る為に生き、米を作る」のです。「作った米で、子供たちや孫に食わせる、このことが私たちにとって幸せなんだよ」と話す姿が印象的でした。

★ 石川県能登半島北部の「千枚田」
★ 長野県「田毎の月」
★ 瀬戸内海の「天空の棚田」