大和郡山から田原本町へ中ツ道を南下する。
東味間を抜けるとそこは橿原市の太田市(おだいち)町に入る。
そのまままっすぐ通っていけば川つたい。
下流の味間から遡ってくれば90度に曲がって南下する鏡川(かがりがわ)だ。
それをさらに南下してもまっすぐな道はない。
中ツ道はどうやら消えているらしい。
それはともかくその直角に曲がる鏡川から西には筋道がある。
太田市町の集落を抜ける道だ。
そこに鎮座する天満神社。
そこだけが一段と高い地になっている。
その鳥居の前には長い綱が取り付けてあった。
ご神木とも思える左右のムクの木から結ばれている。
村の役員だったIさんの話しでは左のムクは甘い実ができる。
右のムクは羽子板の羽根突きの羽根に使われる、あの黒い堅い玉である。
Iさんによればその木はゴボゴボの木だという。
もしかとすればだが、石けんの用途として使っていたからその名がついたのか、不思議な名称に生活感が漂う。
その綱はおよそ20メートルもあるという。
木に巻き付ける回数にもよるが張りを得るために男3人が力を合わせてそれぐらいを結う。
作るのは正月明けの成人の日の前日。
7、8年前までは8日と決まっていたが集まりやすい日に移ったそうだ。
この綱には大きな特徴がある。
県内の注連縄や勧請縄に特殊なものをぶら下げる地域が散見される。
そのうちの一つに数えられるであろうがその特殊性といえば雌雄両陰が並ぶことと女陰とされるタレ(垂れ)には7品種の木の枝が束ねてあることだ。
男陰は他所で見られるフングリと同様の形だ。
表現しづらいがタマタマと言っているとIさんは話す。
さて女陰を飾る木の種類いえば、松、竹、梅、椿、樫、杉に境内に生えるツル(ツタ)。
ツルはツル状であればどの品種でも構わないそうだ。
かつての太田市町は30軒だった。
村入りするにつれ、増えて40数軒になった。
家の代表者はその日の朝から集まって作っていく。
2時間ほどで完成。
そのあとに神職を迎えて神事が行われる。それをツナクミと呼んでいる。
ワラは稲藁を使う。
そのゴミ出しは槌で叩いていた。
効率を考えてベルトで動くハンマーに変わった。
かなり短時間でできるようになった、労力も要らないようになったそうだ。
村の行事には他にもある。
6月は田植え終い。
5月最後の日曜日には川掘りをする。
川と言っても、かつて中ツ道の大道であった川(鏡川)ではない。
集落を巡る水路だ。そこを綺麗に清掃する。
9月は道造り。道に生えている草を刈り取って荷車で運ぶ。
地道は舗装されたアスファルトに変わった。
それからの道造りは川の清掃に変わった。
川は何度も綺麗にしたらいいのだとIさんはいう。
10月はマツリ。かつては24、25日がその日だった。
これも集まりやすい日にと体育の日になった。
その前日がヨミヤ。
夕方と朝に祭典があるらしい。
いずれも質素になったそうだ。
マツリを派手にしたら、どんとお返しがやってきたからそうしたという。
(H23. 1.23 EOS40D撮影)
東味間を抜けるとそこは橿原市の太田市(おだいち)町に入る。
そのまままっすぐ通っていけば川つたい。
下流の味間から遡ってくれば90度に曲がって南下する鏡川(かがりがわ)だ。
それをさらに南下してもまっすぐな道はない。
中ツ道はどうやら消えているらしい。
それはともかくその直角に曲がる鏡川から西には筋道がある。
太田市町の集落を抜ける道だ。
そこに鎮座する天満神社。
そこだけが一段と高い地になっている。
その鳥居の前には長い綱が取り付けてあった。
ご神木とも思える左右のムクの木から結ばれている。
村の役員だったIさんの話しでは左のムクは甘い実ができる。
右のムクは羽子板の羽根突きの羽根に使われる、あの黒い堅い玉である。
Iさんによればその木はゴボゴボの木だという。
もしかとすればだが、石けんの用途として使っていたからその名がついたのか、不思議な名称に生活感が漂う。
その綱はおよそ20メートルもあるという。
木に巻き付ける回数にもよるが張りを得るために男3人が力を合わせてそれぐらいを結う。
作るのは正月明けの成人の日の前日。
7、8年前までは8日と決まっていたが集まりやすい日に移ったそうだ。
この綱には大きな特徴がある。
県内の注連縄や勧請縄に特殊なものをぶら下げる地域が散見される。
そのうちの一つに数えられるであろうがその特殊性といえば雌雄両陰が並ぶことと女陰とされるタレ(垂れ)には7品種の木の枝が束ねてあることだ。
男陰は他所で見られるフングリと同様の形だ。
表現しづらいがタマタマと言っているとIさんは話す。
さて女陰を飾る木の種類いえば、松、竹、梅、椿、樫、杉に境内に生えるツル(ツタ)。
ツルはツル状であればどの品種でも構わないそうだ。
かつての太田市町は30軒だった。
村入りするにつれ、増えて40数軒になった。
家の代表者はその日の朝から集まって作っていく。
2時間ほどで完成。
そのあとに神職を迎えて神事が行われる。それをツナクミと呼んでいる。
ワラは稲藁を使う。
そのゴミ出しは槌で叩いていた。
効率を考えてベルトで動くハンマーに変わった。
かなり短時間でできるようになった、労力も要らないようになったそうだ。
村の行事には他にもある。
6月は田植え終い。
5月最後の日曜日には川掘りをする。
川と言っても、かつて中ツ道の大道であった川(鏡川)ではない。
集落を巡る水路だ。そこを綺麗に清掃する。
9月は道造り。道に生えている草を刈り取って荷車で運ぶ。
地道は舗装されたアスファルトに変わった。
それからの道造りは川の清掃に変わった。
川は何度も綺麗にしたらいいのだとIさんはいう。
10月はマツリ。かつては24、25日がその日だった。
これも集まりやすい日にと体育の日になった。
その前日がヨミヤ。
夕方と朝に祭典があるらしい。
いずれも質素になったそうだ。
マツリを派手にしたら、どんとお返しがやってきたからそうしたという。
(H23. 1.23 EOS40D撮影)