マネジャーの休日余暇(ブログ版)

奈良の伝統行事や民俗、風習を採訪し紹介してます。
すべての写真、文は著作権がありますので無断転載はお断りします。

往路、復路の踏切待ちに遭遇したチンチン電車

2021年07月08日 10時19分28秒 | いどう
大阪・住之江の地。

往路に遭遇したチンチン電車こと安孫子電車。

両方とも通称の路面電車。

幼い、子どものころから乗っていた路面電車。

母親に、大ばあさんに連れられて出かけた大阪・大都会とか、隣町の住吉大社へ。

長居公園通りに踏切待ち。

右手、すぐ近くに住吉大社がある。

介護のおふくろに医院行き。

そして久しぶりに顔見世した孫とも一緒にしたかっぱ寿司。

用事を済ませて帰路に就く復路もまた踏切待ちに遭遇。



滅多に遭遇することのない2台の路面電車にご対面が嬉しい。

(R1.10.14 SB805SH撮影)

ガソリン価格は下げ止まり、それとも・・

2020年09月15日 09時30分45秒 | いどう
昨年末から小正月まで。

ほぼ毎日が民俗行事の取材。

遠距離でもない近場ばかりの取材地であるが、ずいぶんと走り回ったものだ。

正月早々のガソリン補給。

2日の価格は128円。

それから10日後の12日は1円下がりの127円。



昨年にぐんぐんと上昇していたガソリン価格が下がりだしていた。

正月明けた1月12日のレギュラーガソリン価格が下がった。

これ以降も下がっていくのか、それとも・・。

振りかえれば平成29年7月末の価格は114円。

この年と比較してもまだまだ高値である。

ハイブリッド自動車であれば、ガソリンが高騰価格であってもさほど気にされないと思うが・・。

我が家の車は軽バン。

技術開発によってようやくハイブリッド軽自動車が世に登場してきた。

どうか、軽バンにも適用してくださるようガンバッてほしいものであるが、充電にかかる費用っていったいどれくらい・・。

それから10日後の1月22日。



ガソリン価格はさらに2円も下がった125円。

下げ止まりは、さてどこまで・・・。

と、思っていたが、月末にはUターン。

(H31. 1. 2 SB932SH撮影)
(H31. 1.12 SB932SH撮影)
(H31. 1.22 SB932SH撮影)

遠い国から依頼の証明書発行

2020年02月23日 08時49分37秒 | いどう
遠い国に仮住まいしている次男から連絡があった。

北米よりまだ北方にある国。

カナダの国から届いたメッセージは車の購入や保険加入に必要な曽類が要ると伝えてきた。

依頼メールが届いたのは今月の17日である。

7月26日、本国に戻って再びカナダの国へ旅立ったのは、同月の13日。

もっと早くにわかっていたら、本人申請で済むところが、生憎の遠い国。

本国に暮らす家族が申請する「運転事故歴の証明書」発行手続き。

橿原市にある二ノ口自動車安全運転センターに出かけて申請した20日。

「運転事故歴の証明書」申請の正式名称は『運転記録証明書』だった。

証明書は基本、日本語表記である。

当然なことであるが、必要する諸外国語に対応するために英訳表記も要る。

次男の『運転記録証明書』は空白だった。

つまり「行政処分の前歴」に該当する処分がなかった、ということだ。

発行書類は22日に同センターで受け取った。

ところが、『運転記録証明書』では、無事故証明にはならないことがわかった。

行政処分はなくとも無事故の証明にはならないのである。



そのことがわかって再び訪れた二ノ口自動車安全運転センター。



24日の再訪に申請した無事故無違反証明書発行。

両日とも真っ青な夏空だった申請日。

『無事故・無違反証明書』を受け取りに出かけた28日。

書類に記している期間は、平成22年9月5日以降から5年間の平成30年8月27日まで。

その期間中、「交通事故及び交通違反について記録されておりません」とあった。

この書類もまた英文翻訳リストも付則する。

英訳含めて4通ともFBメールを利用して添付送付。

次男もこれで確認できるが、必要書類は国際便郵で送付だ。届くまで多少の日数を要する。

それから1カ月後の9月30日。

次男から送られてきたメールに「マツダ車を購入した。無事故証明期間は5年間だったから、25%の自動車保険割引対応で購入できた」。

海外で乗る愛車を手に入れた次男。

冬場の気温が-30度にもなる滞在地。4WDの愛車で通勤もすることだろう。

(H30. 8.20、24 SB932SH撮影)

ガソリン価格は落ち着いたか

2020年02月20日 08時27分42秒 | いどう
昨年の7月初めころのレギュラー価格は118円。

あれからぐんぐん上昇して150円近くに。

数か月前が145円。

ここ1カ月くらいは140円に下がった。

この日の価格は138円。

峠は脱して、今のところの最安値。



4日後の9月3日は1円の上昇であるが、ほぼほぼ変わりなく・・・。

(H30. 8.31 SB932SH撮影)

スズキエブリイのキーレス電池交換

2020年02月17日 09時22分53秒 | いどう
ときおり作動しなくなる愛車のキーレス。

いつころからそのような状況になったのかメモっていないのでわからない。

作動しなくなるといっても、ときたまに、である。

まったく感知しないときもあった。まったくだったが、いつの間にか正常に作動することもある。

作動すれば、キーレスのありがたみがわかる。

作動しない場合は予備のキーでドアの開け閉めをする。

雨の日とか、買物を終えて車のドアが開かないときは、えらい面倒やなと思う。

つい、先日である。夕方から始まったお寺さんの行事に出かけた。

夕方だからまだ明るさはある。

明るいとドアのキー穴は見える。

行事が終わったら真っ暗だった。

山間にあるお寺に街灯は乏しい。

ドアのキー穴に差し込むだけで難義した。

なんとか開けて、今度はエンジンを廻すキー穴。

これもまた真っ暗で位置が見えない。

こんな状況で乗り降りするのは困ったことだ。

なんとかしなくてはと、住まう地域にあるスズキ自販奈良に向かう。

当該のお店はアリーナ大和郡山店。

入ろうとしたら閉まっていた。

なんと、平日水曜日がお休み。

仕方なく、本日に訪れたアリーナ大和郡山店

駐車場に停めようとした瞬間に従業員が近寄ってくる。

どうかされましたか、と問う従業員。

これこれ状況を伝えたら、店内でごゆっくりしてくださいと案内されたテーブルにつく。

お待ちする間に飲んでいただくウエルカムドリンクがある。

同店舗は4年前の平成26年10月20日も来店したことがある。

そのときはスズキエブリイのリコール対応だった。

そのときも待ち時間のサービスにいただくウエルカムドリンク。

いろいろ選択肢はあるが、今回もオレンジジュースにした。

しばらく待っていたらスタッフさんがやってきた。

キーレスを開封した結果である。



キーレス内部にあるボタン電池に水分が付着しているという。

それが原因で作動しないときもあれば作動するときも、であった。

水分の付着によって不要な伝導が働いたということになる。

雨に濡らしたとか、水溜りにポチャッと落としたとかがあったのだろうか。

キーレスの使用はいつもポケットに入れているのだが、空気中にも水分がある。

長い年月にキーレスの隙間からじわじわと浸みこんでいった。

そう、思うのである。

税込み378円の電池交換対応で済んだが、今後においてキーレスの反応不良、或いは無反応になる場合は内部の基板交換で対応される。

その際の費用は7、8千円程度で済むそうだ。

しかし、基板どころかキーレスそのものの破損とかで交換できない場合はキーレスの買換えになる。

そのときの費用はだいたいが2万円になるという。

(H30. 8.23 SB932SH撮影)

国道走行中のタイヤパンクにGSの緊急対応

2020年02月02日 11時46分08秒 | いどう
おふくろの介護の関係で立ち寄った大阪・住之江。

大阪・中央区に毎週通う歯科医院行きに北上する国道26号線。

玉出辺りで異音・・・ガリガリ、ガリガリ。

こりゃパンクだわ。

同乗していたおふくろ、なんやおかしな音がしてと・・。

歩道際になんとか停めて、下りて見たパンク車輪は後輪左。

JAFはする気もないので、加入している損害保険をコール。

それよりもと思ったのがガソリンンスタンド。

カーナビゲーションで検索した近くにあるガソリンンスタンド。

探してみたら、一番近いところで520mの距離。

これならなんとかと思って、ハザードランプを点滅させて・・ガリガリ、ガリガリ・・・。

歩く速度よりも遅い回転に、後ろからプープーとうるさいこと。

見たらわかるやろと心の中で呟き。

なんとか到着したガソリンンスタンドは玉出西が所在地。

店員さんにお願いしてタイヤ修理、といきたいところだが、予備タイヤ交換でなんとか。



店員さんもパンクしたタイヤをみて、修理できないほどの現状で頷く。

店員さん曰く、昨今の車は予備タイヤを装備していないのが多いのですが、珍しいですねって。

そりゃ、そうだ。

我が家の車は元が商用の4ナンバーだから必然的に予備タイヤを積んでいる軽の箱バン。

予備タイヤは綺麗に洗ってもらって装着。

空気を入れても、シュー・・・シューと抜ける。



そういや中古の箱バンを買ってから予備タイヤなんて交換したことがない。

交換しないままに経年劣化で虫ゴムが使いもんにならんかったようで。

対応はゴム交換で済みましたが、費用は細目で集積すれば高くなるので、タイヤ修理2700円でと・。

今回は市街地だったので助かりましたが、発生時が高速道の場合だったら、しかもバースト状態だったらと思うと・・。

また、連絡のしようがない山道だったら・・・難義どころじゃないだろう。

(H30. 8. 9 SB932SH撮影)

念願のミニクーパーで帰郷

2019年09月16日 09時29分17秒 | いどう
平成10年もののミニクーパーがやってきた。

磨きをかけて傷んでいた屋根を修理してもらったミニクーパー。

走行6万kmのミニクーパーは車検済。

ハンドルは日本仕様の右ハンドルであるが、ウインカーや前照灯レバーははヨーロッパ仕様のため、逆である。

そんな運転操作だけに、日本公道に慣れるまで少し時間がかかる、という。

足は堅いからちょっとした路面段差を拾ってしまうから、揺れ方、振動の感じ方は柔らかい日本車よりも劣る。

その堅さが好みだという人も少なくない。

ミニクーパーは修理に費用がかかりそうなので次の車検に買い替えるかも、という長男。

念願のミニクーパーを購入してすぐに帰郷と相成った。

前夜の午後10時に東京を出発して走った高速道路。

午前3時半には帰郷していた。

その日は着くなり就寝。

疲れを癒して一日を過ごした。

明日の2日は友人たちと飲み会。

3日は結婚式に出席。

4日は和歌山の友が島へ行く予定。

ちっともゆっくりしとらんな。

(H30. 5. 1 SB932SH撮影)

榛原・危機一髪の救出劇

2019年06月26日 09時31分40秒 | いどう
瀬戸際にのこった、のこった。

映像はシュールではない・・リアルそのもの・・・の崖っぷち、である。

先週の3月3日に発生した崖崩れ。

それを知らずに山登りをする車輪が脱輪。

今にも落ちそうになっている状況写真である。

ひやひやにどきどきしながらもなんとか降りて撮った。

運転手側のドアの下は崩れた崖。

今にも崩れそうな状態に、そろり、そろりと助手席に移動する。

ドアを開けて降りたときもバクバクの心臓。

ここは宇陀市榛原の萩原・小鹿野地区である。

村の行事取材に度々お世話かけている区長に電話して救援要請をする。

区長は田圃におられた村人2人に電話で声をかけて、ワイヤーロープとか「あゆみ」をがけ崩れ手前まで運んできた。

崖っぷち車の助手席に乗って道案内していた村の一人はすぐ近くの家から自前重機のユンボで出動してきた。

もってきた鋼ロープが短い。

家にある、といって取りに帰った区長さん。

そのロープを繋いで長くした。

窓ガラス辺りに養生板をかます。

コンボで持ち上げるときのきしみ音。

いつ崖崩れが再発しれやもしない現場に緊張感が走る。

何度かトライして吊り上げた車体を山陰に寄せて軟着陸。

日暮れぎりぎり時間に間に合ったセーフ感に浸る心の余裕はない。

そもそも、崖崩れ発生は昨年の台風の影響によるもの。

ちょっとやそっとの区費では賄えない工事は先の、先のずっと先になろう。

話せば長くなる経緯は記録に残しておく。

崖崩れしたこの上に不動滝があると教えてもらった小鹿野の村民。

3月末に行われる不動明王の大祭に集まった村の人たちが心経を唱える。

そう、聞いていた。

その場がどんなところであるのか、事前にある程度の地を確かめようと山を登りかけたら、赤いポールでこの先通行禁止立札があった。

この先の山道は通行してはならぬという村が立てた通行禁止の標識である。

とても狭い山道で行うハンドル切り返し。

なんどもなんども切り返してUターン。

下った先に地元の人がいた。

この先はこの先通行禁止立札があったから、不動滝には行けないから帰ります、と伝えたら、「そんなとこ、わしらが昔に砂利混ぜのコンクリート道にしているから大丈夫や」という。

「四駆の軽トラでこの前も登ってきたばかりや、大丈夫、わしが助手席に乗ったるから道案内する」と、まぁ云い出したら、ダメダメ、イヤイヤと断っても無理強いするMさん。

この年の初祈祷行事に来られていた77歳の男性。

村のことは知り尽くしているように云われる。

無理や、と断ったものの助手席に座ったMさん。

行けるとこまで、と思って走らせたものの、狭いうえに急カーブ、急坂のすごい山道。

ところどころに崩れた崖石が道にいっぱい広がって落ちている。

踏んだタイヤがパンクしないかと不安、不安の連続である。

「あそこをぐっと上ったところの急カーブを行ったところのちょっと上は若干平たん。

そこから歩いてすぐや」というので、なんとか行けそうな気配も感じるが・・。

ところが左側の崖ぎりぎりにタイヤを詰めて上がっていったが、タイヤがずるるずると回転滑り。

泥土にそこへもって落葉の杉の葉にずるずる・・・。

この状態では、4駆でない限り、無理な急坂。

そろそろとバックで下りかけた・・・・・数メートル・・・・ガクッ。

一体何が起こったんだ。

運転席側から見た右の状態。

ぞっとするような光景が眼前に迫る。

コンクリート道が大きく割れたところにある右後輪。

いわゆる脱輪であるが・・・車体はやや傾き加減。

心臓がバクバク云いだした。

いつ、この道路が、さらに陥没してもおかしくない状態にぞおぉっとする。

おそるおそる助手席のドアを開けて脱出したものの膝はガクガクに震えている。

助手席に乗っていたMさん・・・「だからもっと左に寄らんとあかんやろ」と、云われるが・・・。

そのことを承知で左いっぱいギリギリに寄せていたのに・・・。

陥没したところ。

登るときはすんなりと通り抜けていたが、バックした際に車体の重さがかかって崩れたもよう。

アップした写真だけでは不思議な感覚になる方は多いだろう。

実は、この年の正月初めに行われた初集会に区長や村民が話していた昨年秋の台風による崖崩れの件である。

村内の何カ所かに被害があったらしく、予算がついて道路改修工事が終わるまで規制をしているという件だった。

昨年秋の台風被害は奈良県内至るところで崖崩れ、道路陥没がみられた、とニュースが報じていた。

村の道路は国費が費やされるわけでなく、もちろん村費も、であろう。

物流運搬の動脈になっている幹線道路であっても工事に半年もかかっているところはザラ。

小さな村では区費で賄うこともできない実態である。

もうひとつは工事業者の取り合いもあり、予算取りも含めて優先順位は下の下の下の後回し。

それはともかく「2輪駆動はあかんかったっな」と、つぶやくMさん。

「そういいましたやん」、と何度も云ったのに、根負けしたのが悔やまれる。

心の中のつぶやきはむにゃ、むにゃ・・・。

無事に脱出できた身体。

地面に立つ足が感じる。

生きてて、ほんまによかった。

これも取材地でお世話になった神さん、仏さんの賜物、だと思っている。

さて、脱出までの工程である。

この場から車を救い出すにはどうしたらいいのだろうか。

もし、単独できたならどうしていただろうか。

まず、思い起こすのは加入している自動車保険会社への救援通報であろう。

しかし、ここへ救援者がどうして来ようか。

狭い山道に稼働する重機は入って来れようか。

連絡してからすぐにここへ来れるわけない。

事故発生時刻は午後3時40分。

到着に1時間以上。救出対応に1時間・・。

Mさんは78歳。

そこらにある木材をかまして二人がかりで持ち上げようとしても・・・無理、無理・・。

「ちょっと待ってや、うちにあるユンボで車ごと持ち上げよう」と、云いだした。

電話で応援を頼みたいが、持ってこなかったというMさん。

私の携帯には区長の番号も登録してある

なぜか、山の中なのに電波アンテナが3本線を立っていた。

これで助かると思って区長に救援要請。

しばらく待っていたら、2人の村の応援者とともにやってきた。

その場にガタガタ、ガタガタと音を立てながら登ってきた小型ユンボ。

一旦、家に戻って運転してきたMさんもそろったところで、救援活動。

車体引き上げ作戦の主力の動力は小型のユンボ。

JAFに頼んでも入っていけそうにもない山中の救助は4人とも存じている村の協力隊。

車体を揚げ、タイヤをかまして車を動かす作戦。

いずれも高齢者のみなさん、実に手慣れた動きに感服する。

鋼入りロープを車体の床下に通してユンボのフオークに引っかけたが、重みで外れる。

対応を替えてフオークにあるフックに鋼入りロープを通して揚げたらなんとかいけそうだが、短い。

3本繋ぎで長くしたロープで車体下部まで届いた。

これでそうだ、とユンボを稼働するが、車体側面が金属フックに力がかかればかかるほど車体に組込、後部窓ガラスが割れそうになる。

座布団に木材杭を挟んで固定。



ユンボで揚げたら車体が浮いたが、ロープが当たる部分の車体は傷だらけ。

傷がついてもどうだっていい。

無事に引き揚げることが一番の目標。

吊り上げた状態で車体を崖側にずらして、安全地帯に移そうとするがユンボだけでは無理がある。

その位置のままなら、ただ揚げているだけ。

位置替えの横移動は4人がかり。

先にセッテイングした崖崩れの場に長い板。

「あゆみ」と呼ぶ農耕道具の板を崩れた穴に渡して万が一の場合に備えておく。

人海戦術の4人がかりで山際になんとか移した。

タイヤさえ地面にのっかれば、エンジン始動。

助手席から乗り込んで運転席に移動。

窓の下を覗き込んだら、そこは崖崩れの状態。

体重が右に加わったとこに、さらに道が崩れる・・・そんな状態が頭に浮かぶ。

ハンドル操作が誤れば再び穴に・・・なんてことならんように。

軽バンの車体幅は1.475mm。

山道のだいたいの幅は2m弱。

崩れた穴で残る幅は1.5mくらいだろうか。

とにかくぎりぎりいっぱいのその箇所をそろそろとバックする。

前輪が動かないように車輪止めしていた岩を外して、みなの誘導でハンドルを切って穴位置すれすれにバック。

また崩れやしないだろうかな、と冷や冷や・・。

前輪も脱出できたときは、ほっとした。

さらに下ったところは若干の幅広。

村の人が乗ってきた軽トラはそこで切り返しUターン。

同じように私もUターンして脱出完。

作業すべてを終えたMさん「すまんことしてなぁ」と、いまさら言われてもなぁ。

それよりも傷はついたが軽バン車も、身体も大丈夫だったことが一番。

午後5時半に救出劇が終わった村に伝説がまたひとつ生まれたような気がする。



帰路にふと目が行ったカーナビゲーションの映像。

事故現場の印しは発生と同時に停止したようであった。

(H30. 3. 3 SB932SH撮影)

所用で巡る大阪市内の三つの駐車料金

2018年12月27日 09時36分43秒 | いどう
この日の午後は所用で大阪市内の3カ所を巡っていた。

ビジネス街というか、大都会の所在地を探すのもカーナビゲーションが頼り。

なければ難儀するであろう。

それよりもっと難儀するのが所在地近くの駐車場。

数は多いが、高さがある軽バンは立体駐車場には入庫できない。

できるところもあるが、ビジネス街は入庫する駐車場入口に高さがない。

高さ制限が1m〇cmまでと表示しているが、入ってみればなんとかなるだろうと思って入ったらストップがかかる。

しからば、屋根なしのオープン駐車場にしか停められない軽バン。

探してみればあるにはあるが、所在地から遠く離れる。

利用料金に有無を言わさない・・・。

駐車時間別に記録してみた。

1番目は13時27分~15時00分までで、利用料金は1500円(利用時間は1時間27分)。

停めた駐車場はタイムス24常盤常磐町2丁目。

所用に立ち寄ったビル。

その1階にあるのぞみ信用組合。

かつては大商信組合の名前だった。

用事は長年に亘って放置していた出資金及び普通/定期預金解約手続きである。

毎年に送られる配当金はごく僅かである。

もうここまで来て利用することもないから解約する。

解約金などは振込口座で支払われる。

念のために持ち帰ってきた振込先用紙。

口座番号を記入し、翌々日の4日に送付するも”住所”が未記入だったと担当のHさんから折り返し郵送すると電話があった。

解約払い戻し通知並びに送金は翌年の平成30年6月27日に送付された。

2番目は15時24分~15時53分の300円(利用時間は29分)。



用事はおふくろが長年に亘って利用してきた大丸友の会の解約手続きである。



駐車場はほどほど離れた地にあるビッグステップ゚駐車場。



入庫した駐車場は地下だった。



平成29年8月、9月分の会費2万円を支払って満期受取りは年末の12月1日以降にしてくださいと伝えられた。

ラストは16時34分~17時5分までの1200円(利用時間は31分)。



第11回フォトサークルDAN選抜写真展を拝見したく富士フィルムフォトサロン大阪。

利用した駐車場はリパーク南船場14。



写真展会場は近いが料金は高い。

締めて本日の支払い合計は3000円になった。

(H29.10. 3 SB932SH撮影)

ゲリラ豪雨に退避した場が雨水溜まり

2018年11月06日 10時06分35秒 | いどう
大和郡山市小泉町の楠地蔵尊の数珠繰りが始まるころ。

雲行きが怪しくなってきた。

方角は西の大阪の方だ。

生駒山の向こう側は大阪。

湧き上がる黒い雲の下には真っ白なカーテーレースのような文様が現われた。

これこそが強烈な雨降りを示す紋様である。

竜巻ではなく急激直下型の雨降りである。

にわか雨のようだが、数珠繰りが終わるまで耐えてくれと願った。

願いは叶ったが終わって提灯を片づけていたときにはポツリ、ポツリと大きな雨粒が落ちてきた。

片づけている市場の女性たちにお礼を述べて走っていった車停め。

なんとか運転席に落ち着いたときにはフロントガラスに大きな雨粒がボツ、ボツ、ボツ・・。

エンジンをかけて車道に飛び出したときにはワイパーを早い速度で動かさないと前方が見えないほどの強い雨に変化していた

強い降りは容赦なく、雷は鳴っていても聞こえないほどの強い降り。

自宅に戻ってもドアを開けられないだろうと判断した。

つまりは車から出られないことである。

そうであれば、屋根付きのどこかに駐車場がある施設といえば・・。

大和中央道沿いにあるケーズデンキ大和郡山店である。

奈良県内にあるケーズデンキはどこともそのような造りではないが大和郡山店には屋根がある。

つまりは2階部分が店舗である。

そこであれば急激にもよおしてきた排尿に利用できるトイレもある。

大雨にありがたく避難させてもらえる施設に飛び込んだ。

その駐車場に停めて店舗に歩いていたら、波のように押し寄せる溢れた水。

大和中央道に降りつける強烈な雨量は勢いをつけて溢れる川のような状態で駐車場めがけて押し寄せる。

駐車場の方が大和中央道よりも土地が低いのである。

堰き止められることなくぐんぐんと押し寄せる水であったが、急ぐトイレの方を選んだ。

仕方がない選択である。

トイレで用足しをさせてもらって、もう一つの緊急対応電話応対。

申請していた大阪市の介護支援センターからの電話である。

はじめに架かってきたのは午後2時。

現在時間よりも3時間前のことである。

架かってきた時間帯は丁度の取材中。

大織冠仲仙寺の地蔵盆の取材中であった。

このときは対応できないから、申しわけないが、取材中につき、後刻ということにしておいた。

電話応対はおふくろの生年月日確認。

私はどういう関係にあるのか。

また、現在はどこで介助されているのか、今後の調査にどの地・場をされるのか、の問い合わせである。

その応対を終えて店舗を出た。

駐車場は水浸し。

水深はそれほどでもないが、車を停めたところまでは距離がある。

靴をつま先たてて歩いても水没するくらいの水深に水捌け悪く、溜水は一向に引いてくれない。

店舗内で待たせてもらおうと思っていたら、夫婦連れが一組。

停めた車が水没状態にびっくりされている。

水没といってもタイヤは見える。

そこへやってきた車はバシャバシャと波打ちながら走り去る。

この状況を見て思い出した台風が影響の道路水没状態。

台風は何号であったかまったく覚えてないが、被害を受けたのは大阪市内だった。

勤めを終えて帰るに帰れなくなって実弟に応援を求めた。

どこの駅まで迎えに来てくれたのも覚えてないが、当時の車はトヨタカローラ。

弟が免許を取得した年だったのか、もう少し後年だったのかも思い出せない。

たしか難波から住まいする住之江までの行程は国道26号線。

玉手辺りだったと思う。

乗っていたカローラの運転席の足元までが浸水していた。

道路はどこを見ても川のような感じだ。

弟はホンダに勤めていたから車に詳しい。

車内が水浸しであってもエンジンさえ回転しておれば車は動く。

波をかきわけるほどの速度であればエンジンに水を入れてしまう。

そうならないように速度を極端に抑えて、なおかつ速度を緩めることなくとにかく走り続ける。

信号はもはや無法地帯。

もっとも走っている車は多くない。

時速20km以内の速度だったと思う。

都会は夕方の灯りが点いていた。

その明かりが水没した道路を照らしていた。

無事に住之江に着いたときはほっとしたものだ。

時代は昭和47年の7月豪雨だったかもしれない。

それはともかく目前の駐車場水浸しタイヤ水没状態に脱出するには裸足になって車に乗り込めば、どうってことないこと。

体験した大阪の道路前面水没状態に比べりゃ大したことはない。

その夫婦は水ツキしていないところを歩いていた。

旦那さんはつま先を立てて車に近づいた。

靴に水は入ったかと思うが、なんとか辿り着いて動かされた。

それを目撃しているとき。

もう一組の夫婦が買物を済ませて店舗を出てきた。

同じように唖然としている。

先の夫婦と同じように避難したという。

避難はしたものの、まさかの水没状態になるとは想定外だとお互いがそう思って顔を見合わせた男性は県職。

なにかとお世話になっている施設に勤務されている男性だった。

風に吹かれてではないが、雨水溜まりに浮かんでいた木の葉が少しずつ動く。

しかし、速度は極めて遅い。

ケーズデンキの店員さんも水溜りの駐車場に下りてきた。

幟のポールを水溜りに立てて水深を計っているが、どうしようもない。

実は駐車場の南北に埋め込み水路がある。

そこに吸い込まれているわけだがあまりにも遅い。

これは南側にある田中町の田んぼに水が一挙に流れないように流路を調整しているのである、と話していた。

その通りだと思う。

平成16年4月にアピタ大和郡山店が開店した。

実はアピタの大駐車場の地下部は雨水溜め。



大雨の場合は一挙に流れる雨水を制限して周辺の田畑に流れ込まないように溜めているのである。

たしか、造成工事中にそのような話しを聞いた覚えはあるが、どこに書いてあるのだろうか。

そういう具合だから待つ水溜から解放される時間はたっぷりかかると想定されよう。

帰宅する時間も遅くなる。

裸足になって、と決断したそのときだ。

同じように待っていた奥さんが持っていたナイロン袋をどうぞ、と云われて差し出された。

旦那さんも結局はそうすることになった水溜り脱出手段である。

ナイロン袋に突っ込んだ足。

すぐには外れないように足首を縛ってそろりそろりと車に向かう。

ドア近くまで来たらじんわりと左足が冷たくなってきた。

歩くことによって圧力がかかったナイロン袋に微細な穴が空く。

そこにじわじわ入りだす水。



ドアを開けて座った。

足を出して外したナイロン袋の中にはたっぷりの水が入っていたが、なんとか靴は外側だけの浸みこみ。

ぎりぎりのセーフだった。

ちなみに旦那さんが云った。

アピタが工事中らしく、車は一台もない。

アピタは潰れたのですかと云われたがそうではない。

アピタは㈱ユニーの経営であるが、現在はアァミリーマートホールデイングス傘下に企業統合している。

アピタ南側店舗のユーホームはすでにDCMダイキに転売された。

潰れることはないかと思うが、数日後のニュースにドンキを資本統合したと伝えていた。

アピタ大和郡山店にドンキも加わるのだろうか。

(H29. 8.23 SB932SH撮影)
(H29. 9. 6 SB932SH撮影)