続、下三橋遺跡発掘調査説明会 2005年09月10日 19時11分05秒 | 民俗あれこれ 出土遺物は、条坊遺構が短期間で廃絶していることから、あまり多くありません。 条坊側溝から8世紀前半の土師器・須恵器、銅製鈴、漆付着土器などが出土した他、九条大路南側溝・羅城外濠から土馬、人面墨書土器、馬の骨などが出土しています。
続、下三橋遺跡発掘調査説明会 2005年09月10日 19時08分08秒 | 民俗あれこれ 道路遺構の条坊交差地には祭事跡が見つかったのは興味深いです。 来年2月まで急ピッチで発掘調査が進められていますので、新たな発見が認められた場合には、再び説明会に訪れたいものです。
続、下三橋遺跡発掘調査説明会 2005年09月10日 19時04分02秒 | 民俗あれこれ 調査の結果、これまで平城京外と考えられてきた当該地域において、平城京内と同様の条坊道路の存在が確認されました。 このことは、平城京が少なくとも左京側において、造営当初九条大路より南まで広がっていたことを示しています。 また、掘立柱建物約20棟、井戸約4基なども検出されています。 道路側溝はいずれも人の手によって埋められており、何らかの理由で意図的に条坊を破壊されたと考えられます。 その時期は、およそ奈良時代の初め、平城京への遷都からそれほど時間が経っていないころと考えられています。
続、下三橋遺跡発掘調査説明会 2005年09月10日 19時01分36秒 | 民俗あれこれ 見つかった羅城は、幅360cmの九条大路南側溝と、幅450cmの濠にはさまれた幅16mの空間に、2列の柱穴が並んでいます。 この柱穴が築地(ついじ=土壁)の跡か、門のような施設だったか、検討の余地がありますが、平城京の南を限る施設の跡であることは確実となることでしょう。 また、これまで羅城門周辺は東西133m分が九条大路から南に張り出すと考えられてきましたが、今回の発見で東に約520m分張り出していたことも明らかとなりました。
下三橋遺跡発掘調査説明会 2005年09月10日 19時00分00秒 | 民俗あれこれ 羅城門を中心とする平城京南側に羅城(らじょう)とよばれる城壁があったと考えられていますが、現在まで羅城の痕跡は見つかっておらず、形や規模は不明でした。 発掘調査の結果、平城京外と考えられてきた奈良市西九条境の大和郡山市下三橋地域において、平城京内と同様の条坊道路の存在や、羅城の柱跡痕跡が確認されました。 位置は推定羅城門より東に延長した地点で、従来から推定されていた羅城門周辺の張り出し部が、さらに東に延長することが確実となりました。 歴史教科書が塗り変わる画期的な発見で、当日の発掘調査説明会には、全国からおよそ1400人の古代史ファンが訪れました。 (H17.9.3 Kiss Digtal N撮影)