午後1時に自宅出発。
西名阪国道の方が早く着くだろうと思って、大和中央道からまほろばIC。
信号待ち渋滞にイラチでしたが、奈良市月ヶ瀬・月瀬に到着したのが丁度の午後2時。
所有するカーナビゲーションには表されない橋の名。
到着してはじめて知った橋の名は「こやすばし」。
この橋が目印に月瀬の文化財がある。
村の人が教えてくれた山ノ神の所在地。
当地には違いないと、探してみたがなかなか目に入らない寄せ集めた石仏群。
庚申堂の内に収めた青面金剛は庚申さん。
敢えて柱に書いた道祖神。
そのお堂の右にあった山ノ神の碑。
どうやら祭りごとはしていようだ。
今日の目的は、青面金剛の庚申さんでもなく、山ノ神でもない。
平成30年の1月7日に立ち寄った際に拝見した旧松福寺子安地蔵に奉納していた乳房である。
地蔵尊開眼三百年法要記念祭が行われた旧松福寺子安地蔵堂。
実は、この日に拝見した奉納乳房が見当たらない。
見当たらなくとも、安置されている子安地蔵尊に、数年前に拝見したお礼参拝。
ありがたく手を合わせた。
「ここ松福寺は正徳六年(1716)刻銘のある地蔵菩薩が安置されている。小安さんと呼ばれて親しまれている地蔵菩薩は、奈良帯解子安地蔵の分佛といわれ、子授けや安産、育児に後利益があると信仰され、布で作った乳房型人形がたくさん供えられ、遠くは大阪からの奉納者の住所氏名も見られたが、近年は奉納物が少なくなった。当小堂も、老朽化が進み、平成20年某月に再建された。平成28年は子安地蔵が安置されてから300年となる。(※欠字補正)」と、あった由緒掲示。
そうか、あれからも誰一人奉納されることはなかったんだ。
旧くなった奉納品は、下げられた、と思った。
参拝していたとき、ふと気づいた地藏堂の右扉。
献納された手拭きを吊るしていた右扉。
その奥見れば、強風によってバタン、バタン状態なるだろう。
それを避けるために、そう扉が動かないように針金で止めていた。
そうか、扉は開くんだ。
ふと、覗きたくなった左の扉。
あれまぁ、ここに隠れていたんだね。
そことは気づかずにいたら、場を離れていただろう。
左扉は鍵を締め、動かないようにしていた。
貴重な奉納物が見つかり、ほっとした旧松福寺子安地蔵に捧げたと思われる満願記念に献納された乳房。
どうか大切にお守りください、とこころで拝んだ。
県内事例が見つからないだけに、ここ月ケ瀬月瀬の民俗事例は貴重である。
平成30年に見たときの扉は、左右、両方とも開扉していたから気づいたが、今は右扉のみ。
子安地蔵に参っていただけるよう右扉だけを開扉するように替えたのであろう。
次の予備調査の行先は、奈良市別所のぬくんど地蔵の草鞋。
そこに行く道中見た白煙。白煙があがっているあそこの田は、たぶんに山添村大塩。
で、あれば年中行事やお家の行事など、さまざまな民俗を見せてくださったK家。
平成27年5月6日は、K家のミトマツリを拝見していた田である。
年末の草刈りに、野焼きもしていた白煙。おーい、と声をあげたら聞こえるかもしれない谷。
車を停め、田に足を運ぶのも難しく、諦めて手を振って、次の調査地に急ぐ。
そして到着した奈良市東部山間地の別所町である。
着いた時間は午後2時50分。
近年、建築された新道のバイパス道下に地蔵堂が見つかった。
バイパス道の工事がある、と聞いていたから、その工事に拡張。
影響を受ける可能性もあるやしないかも・・
工事にかかれば、地蔵堂はどちらかに移転する可能性もある、と踏んでいたが以前と変わらずの場に落ちついていたぬくんど地蔵。
景観は大きく変貌したが、この地に佇む山桜の樹に寄せるように建っていたぬくんど地蔵に草鞋を見た。
地藏堂に吊るしていた草鞋に、ようこそ。
拝見したのは、ずいぶん前。
平成24年の8月5日。
別所の人たちに教えてもらったぬくんど地蔵が願掛け地蔵尊。
ここは田原の里から抜ける伊勢街道。
今では、その風情がわかりにくい旧街道。
お伊勢さんに参る際に拝んだぬくんど地蔵尊に草鞋を吊るす。
無事に歩き続けるように願った願掛けの草鞋はあるにはあったが、減数しているように思えた。
今日の予備調査の最後は、奈良市長谷町。
集落外れに市指定文化財南田原摩崖仏がある。
その摩崖仏に樹木があり、そこに吊っていた願掛け草鞋を見たくて足を伸ばした。
2カ所とも健在だっただけに、長谷も期待できる、と思っていたが・・・ざ・ん・ね・んな状態になっていた。
指定文化財の摩崖仏は、以前に拝見したまんまであったが、な、な、なーんと願掛けしていた草鞋がすっぽり抜け落ち。
辺りを探してみたが、見つからない。
あるのは、吊るしていた藁の紐だけ、だ。
紐の具合から、推定した草鞋の数。
前年の令和2年の8月23日には、あったが草鞋だけがない。
まさか、草鞋だけが歩いていったワケではないだろう。
多分に考えられるのは、紐が緩んですっぽ抜け。
いつしか風化し、朽ちた草鞋は掃除をしたのだろう。
明日に案内する客人にみせてあげたかった撮影候補地の一つが消えた。
一応の、確認ができたから帰路に就いた。
奈良市の長谷から峠越えした虫送りコースの天理市上山田。
えっ、まさかのとんど組み。
地区はそれぞれの垣内ごとに小とんどをつくり、とんど焼きをしていたが、コロナ禍に意気消沈していた村に元気を、と1カ所にしぼって大きなとんど組みに転換した。
予定ではこの日曜日、としていたが雪が降る予報に、急遽繰り上げた、という。
初めての試みに、みなが元気になってくれるだろうと、役員たちが朝から組んでいたそうだ。
明日は強い冬将軍がやってくるような状況であるが、負けないでがんがん燃やされることだろう。
R3.12.24 SB805SH 撮影)
西名阪国道の方が早く着くだろうと思って、大和中央道からまほろばIC。
信号待ち渋滞にイラチでしたが、奈良市月ヶ瀬・月瀬に到着したのが丁度の午後2時。
所有するカーナビゲーションには表されない橋の名。
到着してはじめて知った橋の名は「こやすばし」。
この橋が目印に月瀬の文化財がある。
村の人が教えてくれた山ノ神の所在地。
当地には違いないと、探してみたがなかなか目に入らない寄せ集めた石仏群。
庚申堂の内に収めた青面金剛は庚申さん。
敢えて柱に書いた道祖神。
そのお堂の右にあった山ノ神の碑。
どうやら祭りごとはしていようだ。
今日の目的は、青面金剛の庚申さんでもなく、山ノ神でもない。
平成30年の1月7日に立ち寄った際に拝見した旧松福寺子安地蔵に奉納していた乳房である。
地蔵尊開眼三百年法要記念祭が行われた旧松福寺子安地蔵堂。
実は、この日に拝見した奉納乳房が見当たらない。
見当たらなくとも、安置されている子安地蔵尊に、数年前に拝見したお礼参拝。
ありがたく手を合わせた。
「ここ松福寺は正徳六年(1716)刻銘のある地蔵菩薩が安置されている。小安さんと呼ばれて親しまれている地蔵菩薩は、奈良帯解子安地蔵の分佛といわれ、子授けや安産、育児に後利益があると信仰され、布で作った乳房型人形がたくさん供えられ、遠くは大阪からの奉納者の住所氏名も見られたが、近年は奉納物が少なくなった。当小堂も、老朽化が進み、平成20年某月に再建された。平成28年は子安地蔵が安置されてから300年となる。(※欠字補正)」と、あった由緒掲示。
そうか、あれからも誰一人奉納されることはなかったんだ。
旧くなった奉納品は、下げられた、と思った。
参拝していたとき、ふと気づいた地藏堂の右扉。
献納された手拭きを吊るしていた右扉。
その奥見れば、強風によってバタン、バタン状態なるだろう。
それを避けるために、そう扉が動かないように針金で止めていた。
そうか、扉は開くんだ。
ふと、覗きたくなった左の扉。
あれまぁ、ここに隠れていたんだね。
そことは気づかずにいたら、場を離れていただろう。
左扉は鍵を締め、動かないようにしていた。
貴重な奉納物が見つかり、ほっとした旧松福寺子安地蔵に捧げたと思われる満願記念に献納された乳房。
どうか大切にお守りください、とこころで拝んだ。
県内事例が見つからないだけに、ここ月ケ瀬月瀬の民俗事例は貴重である。
平成30年に見たときの扉は、左右、両方とも開扉していたから気づいたが、今は右扉のみ。
子安地蔵に参っていただけるよう右扉だけを開扉するように替えたのであろう。
次の予備調査の行先は、奈良市別所のぬくんど地蔵の草鞋。
そこに行く道中見た白煙。白煙があがっているあそこの田は、たぶんに山添村大塩。
で、あれば年中行事やお家の行事など、さまざまな民俗を見せてくださったK家。
平成27年5月6日は、K家のミトマツリを拝見していた田である。
年末の草刈りに、野焼きもしていた白煙。おーい、と声をあげたら聞こえるかもしれない谷。
車を停め、田に足を運ぶのも難しく、諦めて手を振って、次の調査地に急ぐ。
そして到着した奈良市東部山間地の別所町である。
着いた時間は午後2時50分。
近年、建築された新道のバイパス道下に地蔵堂が見つかった。
バイパス道の工事がある、と聞いていたから、その工事に拡張。
影響を受ける可能性もあるやしないかも・・
工事にかかれば、地蔵堂はどちらかに移転する可能性もある、と踏んでいたが以前と変わらずの場に落ちついていたぬくんど地蔵。
景観は大きく変貌したが、この地に佇む山桜の樹に寄せるように建っていたぬくんど地蔵に草鞋を見た。
地藏堂に吊るしていた草鞋に、ようこそ。
拝見したのは、ずいぶん前。
平成24年の8月5日。
別所の人たちに教えてもらったぬくんど地蔵が願掛け地蔵尊。
ここは田原の里から抜ける伊勢街道。
今では、その風情がわかりにくい旧街道。
お伊勢さんに参る際に拝んだぬくんど地蔵尊に草鞋を吊るす。
無事に歩き続けるように願った願掛けの草鞋はあるにはあったが、減数しているように思えた。
今日の予備調査の最後は、奈良市長谷町。
集落外れに市指定文化財南田原摩崖仏がある。
その摩崖仏に樹木があり、そこに吊っていた願掛け草鞋を見たくて足を伸ばした。
2カ所とも健在だっただけに、長谷も期待できる、と思っていたが・・・ざ・ん・ね・んな状態になっていた。
指定文化財の摩崖仏は、以前に拝見したまんまであったが、な、な、なーんと願掛けしていた草鞋がすっぽり抜け落ち。
辺りを探してみたが、見つからない。
あるのは、吊るしていた藁の紐だけ、だ。
紐の具合から、推定した草鞋の数。
前年の令和2年の8月23日には、あったが草鞋だけがない。
まさか、草鞋だけが歩いていったワケではないだろう。
多分に考えられるのは、紐が緩んですっぽ抜け。
いつしか風化し、朽ちた草鞋は掃除をしたのだろう。
明日に案内する客人にみせてあげたかった撮影候補地の一つが消えた。
一応の、確認ができたから帰路に就いた。
奈良市の長谷から峠越えした虫送りコースの天理市上山田。
えっ、まさかのとんど組み。
地区はそれぞれの垣内ごとに小とんどをつくり、とんど焼きをしていたが、コロナ禍に意気消沈していた村に元気を、と1カ所にしぼって大きなとんど組みに転換した。
予定ではこの日曜日、としていたが雪が降る予報に、急遽繰り上げた、という。
初めての試みに、みなが元気になってくれるだろうと、役員たちが朝から組んでいたそうだ。
明日は強い冬将軍がやってくるような状況であるが、負けないでがんがん燃やされることだろう。
R3.12.24 SB805SH 撮影)