京都府・精華町菱田宮川原の地に鎮座する春日神社の年中行事をネット調査。
その際に、出現したすぐ近くの神社。
所在地は、旧地名が「舟」。
近くの川に浮かべた船を動かす人たちが住む地区。
たぶんに、そう思えた地名考。
近くの川でいえば、煤谷川。
その川名は耳にしたことがある。
数年前の令和2年の1月10日。
春日神社の行事である弓始式について伺った日。
春日神社前に流る川が、煤谷川(すすたにかわ)だった。
その煤谷川の東南辺りに該当しそうな精華町下狛本庄の地。
ネット調べであるが、その地の旧地名が「舟」。
舟集会所近くに鎮座する春日神社を訪問された方が、ブログに取り上げていた鳥居にかける勧請縄。
見事な造りの勧請縄。
鳥居にかけているから、しめ縄の判断もあるが、形態からして勧請縄に見える。
しめ縄そのものは、太く結った縄に、太めのわら束を据えていく形。
その数、多く13房。
まさに、旧暦閏年・大の月数にあたる一年間(※旧暦であっても、閏年でなければ12本)の月数である。
閏年の月数を示す時代は、近代でなく江戸時代以前。
明治時代のはじめに旧暦を廃し、新暦に移ったから、閏年13カ月の考え方が消えただけに、明確にわかる旧暦時代(※江戸時代のどこまで遡るのかはわかっていないが)の民俗。
特異な様式も見られた「愛しきものたち」ブログ。
ずいぶん前になる2012年2月22日にとらえた民俗行事。
撮られた映像に身震いを覚えたくらい、特異な様式。
朱塗りの鳥居支柱に、からませようとしていそうなかけ方。
左右に一対かけ。
太く結った縄に組み込んでいる、と思われる葉っぱ。
植物はなんだろうか。
葉付きの枝を差し込み形成した勧請縄に歴史を感じる精華町下狛本庄・春日神社の行事。
「愛しきものたち」ブログによれば、同様の様式が本社殿にもかけられた状態をとらえていた。
なお、旧「舟」地名の認識は、精華町が挙げている「精華町域の木津川の渡し」が詳しい。
かつてそれぞれの地域に対岸まで往来する渡船業が成り立ち、つまり「渡し舟」があったのである。
今日は、正月三日。
三ケ日の正月期間中であれば、勧請縄は、拝見できるかも、と思って訪問した。
ところがである。
「愛しきものたち」ブログが、アップしていた勧請縄が、見当たらない。
これは何事ぞ。
もしか、とすればだが、まず考えられるのがコロナ感染症対策である。
村の人たちの集まりに危惧。
コロナ渦中ではやむを得ない措置とみるか、それとも勧請縄つくりに材が集まらなかったのか。
つくっていた人たちが高齢化。
人の手も少なくなり、負担が大きい、と判断されての行事の中断。
この日、この時間に滞在していたが、ひとっこひとりも現れず、誰一人として遭遇しなかった。
正月期間中に、呼び出しするのも避けたい目出度い正月三ケ日に遠慮したが、参拝はしておきたい。
鳥居をくぐった正面に春日神社。
正月三日も白い神前幕を張っている祝い日。
神紋は、奈良大和の春日大社と同じく、下がり藤紋。
奉納者記銘の神前幕の寄進は、昭和四十七年拾月吉日。
秋のマツリに合わせて寄進されたのだろう。
拝殿前の柱に括り付けた門松。
割り拝殿に備えていたコロナ禍対策用途の消毒液。
そして、用意されていた撤饌。
たぶんに元日に催行された元旦祭に用意された撤饌であろう。
現在時間は午前10時過ぎ。
そのうち、家族そろって初詣をされよう。
元旦祭に奉った神饌。
二段の鏡餅などが見える社殿。
細めのしめ縄をかけていた。
参拝してから、じっくり拝見した下狛本庄・春日神社の狛犬。
特徴ある阿・吽の像。
どこかで見たような、ないような。
FB知人のMさんが、ときおりアップされる特徴ある阿・吽の像に見た顔。
にやっと笑う阿吽の二体に、思わずシャッターを切った。
奈良市のならまちにある鎮宅霊符神社に笑う阿吽像があるが、比較するとまったく異なる。
印象というものは、不確かなものだと再認識した次第だ。
(R4. 1. 3 SB805SH/EOS7D 撮影)
その際に、出現したすぐ近くの神社。
所在地は、旧地名が「舟」。
近くの川に浮かべた船を動かす人たちが住む地区。
たぶんに、そう思えた地名考。
近くの川でいえば、煤谷川。
その川名は耳にしたことがある。
数年前の令和2年の1月10日。
春日神社の行事である弓始式について伺った日。
春日神社前に流る川が、煤谷川(すすたにかわ)だった。
その煤谷川の東南辺りに該当しそうな精華町下狛本庄の地。
ネット調べであるが、その地の旧地名が「舟」。
舟集会所近くに鎮座する春日神社を訪問された方が、ブログに取り上げていた鳥居にかける勧請縄。
見事な造りの勧請縄。
鳥居にかけているから、しめ縄の判断もあるが、形態からして勧請縄に見える。
しめ縄そのものは、太く結った縄に、太めのわら束を据えていく形。
その数、多く13房。
まさに、旧暦閏年・大の月数にあたる一年間(※旧暦であっても、閏年でなければ12本)の月数である。
閏年の月数を示す時代は、近代でなく江戸時代以前。
明治時代のはじめに旧暦を廃し、新暦に移ったから、閏年13カ月の考え方が消えただけに、明確にわかる旧暦時代(※江戸時代のどこまで遡るのかはわかっていないが)の民俗。
特異な様式も見られた「愛しきものたち」ブログ。
ずいぶん前になる2012年2月22日にとらえた民俗行事。
撮られた映像に身震いを覚えたくらい、特異な様式。
朱塗りの鳥居支柱に、からませようとしていそうなかけ方。
左右に一対かけ。
太く結った縄に組み込んでいる、と思われる葉っぱ。
植物はなんだろうか。
葉付きの枝を差し込み形成した勧請縄に歴史を感じる精華町下狛本庄・春日神社の行事。
「愛しきものたち」ブログによれば、同様の様式が本社殿にもかけられた状態をとらえていた。
なお、旧「舟」地名の認識は、精華町が挙げている「精華町域の木津川の渡し」が詳しい。
かつてそれぞれの地域に対岸まで往来する渡船業が成り立ち、つまり「渡し舟」があったのである。
今日は、正月三日。
三ケ日の正月期間中であれば、勧請縄は、拝見できるかも、と思って訪問した。
ところがである。
「愛しきものたち」ブログが、アップしていた勧請縄が、見当たらない。
これは何事ぞ。
もしか、とすればだが、まず考えられるのがコロナ感染症対策である。
村の人たちの集まりに危惧。
コロナ渦中ではやむを得ない措置とみるか、それとも勧請縄つくりに材が集まらなかったのか。
つくっていた人たちが高齢化。
人の手も少なくなり、負担が大きい、と判断されての行事の中断。
この日、この時間に滞在していたが、ひとっこひとりも現れず、誰一人として遭遇しなかった。
正月期間中に、呼び出しするのも避けたい目出度い正月三ケ日に遠慮したが、参拝はしておきたい。
鳥居をくぐった正面に春日神社。
正月三日も白い神前幕を張っている祝い日。
神紋は、奈良大和の春日大社と同じく、下がり藤紋。
奉納者記銘の神前幕の寄進は、昭和四十七年拾月吉日。
秋のマツリに合わせて寄進されたのだろう。
拝殿前の柱に括り付けた門松。
割り拝殿に備えていたコロナ禍対策用途の消毒液。
そして、用意されていた撤饌。
たぶんに元日に催行された元旦祭に用意された撤饌であろう。
現在時間は午前10時過ぎ。
そのうち、家族そろって初詣をされよう。
元旦祭に奉った神饌。
二段の鏡餅などが見える社殿。
細めのしめ縄をかけていた。
参拝してから、じっくり拝見した下狛本庄・春日神社の狛犬。
特徴ある阿・吽の像。
どこかで見たような、ないような。
FB知人のMさんが、ときおりアップされる特徴ある阿・吽の像に見た顔。
にやっと笑う阿吽の二体に、思わずシャッターを切った。
奈良市のならまちにある鎮宅霊符神社に笑う阿吽像があるが、比較するとまったく異なる。
印象というものは、不確かなものだと再認識した次第だ。
(R4. 1. 3 SB805SH/EOS7D 撮影)