ストローバレイ家の介護奮闘記

90→→92歳の母を支える4姉妹の泣き笑い奮闘記・・とその後

東北復興応援ツアー(1)

2012-07-15 17:07:24 | 日常
          
       車窓から見える田んぼ        瑞巌寺参道の杉並木

7月12日からクラブツーリズムの「東北復興応援ツアー:三陸路」という2泊3日のバスツアーに夫と一緒に参加してきました。
行程は、
一日目:上野(8:00発)=松島=気仙沼~気仙沼大島=大島休暇村泊
二日目:大島~気仙沼=陸前高田=碁石海岸=大船渡=釜石=北山崎=小本駅・・(三陸鉄道)・・宮古=宮古休暇村泊
三日目:宮古=浄土ヶ浜=宮古魚菜市=盛岡南IC=上野(21:00着)
というものです。

7月12日(雨のち曇り)、雨模様の中上野出発。参加者はほぼ私達と同年代の男女、計40名。添乗員さんは40代半ば位の大らかなベテラン男性。運転手さんは60歳前後の男性2人。これからの長旅、まずは運転手さんが2人であることに安心しました。

東北自動車道は空いていて、バスは順調な走り。車窓からは緑の田んぼが続いている穏やかな風景が見えます。お昼のお弁当を車中で食べながらの、和気藹々としたムードで時は過ぎていきました。

昼過ぎに松島着。釜石から松島まで遊覧船というオプションもありましたが、雨が酷くなっていたので、遊覧船はパス。松島で伊達政宗の菩提寺「瑞巌寺」見物をすることにしました。瑞巌寺の本堂に行く参道は杉並木が続き、深い緑に覆われています。

入り口近くに「津波到達点」の看板が立っていましたが、瑞巌寺を含めこの辺りは松島の島々に守られて津波の被害は比較的少なかったということです。本堂は工事中でしたが、宝物殿には障壁画や歴代藩主画像、伊達政宗公甲冑像などが無事展示されており、見応えがありました。

瑞巌寺を出て、見晴台から松島湾を眺め、地酒専門店で帰路のバスで飲むための浦霞(蔵の華)を購入、すっかり観光気分でバスに乗車。気仙沼→大島に向かいました。

          
    津波が残した傷痕@気仙沼付近   「世界の皆さん ありがとう」の看板

バスが気仙沼に近付くと、次第に津波の爪痕の残る地域が広がってきて、車内がざわざわしてきました。被災地の現実を知りたいという動機での参加とはいえ、目の前に広がる痛ましい光景には平常心ではいられません。崖のところに色とりどりの千羽鶴を下げ、「世界の皆さん ありがとう」と書いた看板を掲げた光景を車窓から見たときには、胸がズキンと痛みました。

気仙沼から船に乗って大島港に到着。そこからマイクロバスで宿に行き、入浴、夕食で一日の行程は終了。夕食はイマイチでしたが2人でビール2本と冷酒(男山)を飲んで一日の疲れをとり、9時前には寝てしまいました。(三女)
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東北復興応援ツアー(2)

2012-07-15 17:06:41 | 日常
          
  大島-気仙沼の船上で羽を休めるウミネコ    「奇跡の一本松」

7月13日(晴れ)。朝7時40分大島休暇村出発。8時の船で大島港から気仙沼港へ。バスで陸前高田の「奇跡の一本松」を見学に行きました。この松は海沿いに2キロに亘って6万本以上の松があった松原だったのが、今回の津波で一本を除き全てなぎ倒されたということで、メディアでも随分取り上げられてきましたが、実物は海岸から遠く離れた河口沿いにあって、遠見にも河口に押し寄せた津波に耐えるのは難しかっただろうと納得されられました。

夫々に写真を撮ったりしていると、地元の方が通りがかって当時の様子を話してくれましたが、河口付近の住民の中には、車で逃げようとしたけれど、電気が落ちて信号機が止まって動きがとれなくなり、そのまま津波に巻き込まれた人が多かったとのことでした。

          
     生徒達が無事逃げた小学校        瓦礫処理ドーム

陸前高田を後にして、碁石海岸の散策・大船渡おさかなセンターの買い物を経て、釜石へ。釜石では被災地のボランティアガイドさんが鵜住居地区に案内して、そこでの被害の状況を話してくれました。鵜住居地区は河口に面していて海抜ゼロ・メートル。去年3月11日には訓練で使っていた防災センターが津波に飲まれ、そこに避難した50名以上が亡くなり100名以上が行方不明になるという悲劇があったとのことです。

一方で、もっと海に近いところにある中学校、小学校では子供達が「津波てんでんこ」の教えを守り、高い方、高い方へと自主的に逃げ、途中幼稚園児や高齢者を助けながら、無事逃げ切ることができたという「奇跡」もあったそうです。

いずれにしても、この地区は建物など壊滅状態。住民も避難し、学校も高台に仮設校舎を作っての運営。今は一区画に瓦礫処理のドームが作られ、木端、鉄骨、その他に丁寧に仕分け作業が続けられています。「全国で瓦礫処理をしていただき、本当にありがたい」との言葉に、必ずしも順調に受け入れが進んでいない現実を思って複雑な気持ちになりました。

また、何年後かには、公園やラグビー場を作りたいという復興計画も上がっているけれど、まだ自分の家族の行方も分かっていないのに、そんな話をする気持ちにならない、という方もおられるということで復興と言っても住民の方々の気持ちは複雑そうでした。

          
        北山崎の断崖             宮沢賢治の詩碑

ここでガイドさんと別れ、バスはリアス式海岸にそって北上。陸中海岸の北部、北山崎レストハウスで小休止。しばしダイナミックな断崖の景観を楽しみました。

今回のツアーでは、参加費の一部が三陸鉄道の島越駅再建への支援金として使われるということで、北山崎を出た後、津波で流された島越駅の跡地をバスで通過。駅舎の横に建てられた宮沢賢治の詩碑だけが津波に流されずに残っていました。

          
        三陸鉄道の「絆」車両        田老駅近くの瓦礫

その後バスは、三陸鉄道の小本駅に到着。ツアー客専用の「絆」車両に乗り込み、車掌ガイドさんの被災地状況の解説を聞きながら、宮古駅へ。途中で通過した田老駅周辺も被害が酷く痛ましい爪痕が残っています。瓦礫の積まれた場所を通りかかると、ガイドさんは「私達にとってこれは瓦礫というより、私たちがここに暮した証なんです」と言われ、ご自身も家を失ったガイドさんのその言葉は実感のこもった重いものでした。

宮古駅からはバスで1時間ほど走り、休暇村陸中宮古へ。この日は念願のホヤもあり、若布とアサリの釜飯、牛肉のしゃぶしゃぶ、ソフトシェルのから揚げなど、お料理も美味しくて満足。勿論ビールと冷酒も堪能し、「上げ膳・据え膳」の旅の喜びを味わいました。(三女)
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東北復興応援ツアー(3)

2012-07-15 16:13:21 | 日常
          
       遊覧船にカモメが伴走        お弁当についていた葉書

7月14日(小雨→曇り)、旅の最終日です。朝ホテルのスタッフさんが早朝の30分散歩会を用意。姉ヶ崎自然の小径を案内してくれました。少しアップダウンがある道ですが、赤松の葉を踏みしめての散歩は快適です。二つの展望台からウミネコの繁殖地などを眺めました。このスタッフさんも、今回の津波で弟さんを亡くしたとのことです。また私たちが泊まった施設は去年の3.11以降、しばらく被災者の避難所となり、その後は救援に駆けつけた警察官やボランティアたちの宿泊所となっていたということでした。

9時にホテルを出発。浄土ヶ浜に行き遊覧船に乗船。薄曇で湾内は波も穏やかです。かもめ達がずっと船を追いかけて飛び続け、かもめ用のパンを買って投げると、上手にキャッチ!しばし童心に返って楽しみました。朝、上の展望台からみたウミネコ島を今度は海から眺め、その他色々な小島を眺めて楽しいクルージングでした。船上のガイドさんによれば、この船は津波の時に船長たちがとっさの判断で洋上に出して、48時間洋上停泊。結果、無事だったということです。その間は売店のカップヌードルとかもめ用パンを食べて過ごしたという話に、船内には笑いが起きました。

遊覧船クルーズが終わり、宮古駅近くの魚菜市場で待望のホヤとウニを手に入れ、魚料理屋さんで海鮮チラシを食べて、行事は全て終了。バスは海岸を離れ、内陸にある盛岡南ICから東北道に乗って、途中数回のトイレ休憩以外は、9時間ほど、ひたすらひたすら走り続けました。私達は、途中で車中に積み込まれた「東北まるごと弁当」をつまみに、1日目に買った浦霞を飲んで、気分転換。夜9時前に上野駅に、10時前に自宅に帰り着きました。

今回の旅は中身が濃くて、重い現実を前にタジタジとなることも多々ありましたが、「客が来てくれることが支援」と言ってくれる東北の人たちの温かい気持ちに甘え、旅の楽しさも充分に味わうことができました。東北の皆さん、大変お世話になりました。有難うございました。「もっと元気な姿になったとき、また来てください」と言ってくれた言葉に甘え、是非また訪れたいと心から願っています。(三女)
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