文庫で面白そうなので買った本はオウム教関連の犯罪として随分言われていたが、犯人は別の、それも特定をした話です。
その文庫を会社の引き出しに忘れてきた連休は残念なの図書館で2010年に出版された単行本を借りてきて読み進めました。
この2冊の違いは、この2冊の間に国松警察庁長官狙撃事件の時効が成立していること、そしてこの本で犯人とする男を東京都のある弁護士が東京地検検察庁に刑事告発するという大きな展開があり、その結末が書かれているいることです。
単行本でエピローグだった「神よもう十分です・・・」を第9章とし、最終章「告発の行方」エピローグ「チェ・ゲバラになれなかった男」が追加されました。
ですから読むのであれば、この文庫版、結末はともかくとして、はっきり解って落ち着きます。
普段だと、一寸抜粋などをしますが、今回は別の本から抜粋です。
この本の一寸前によんでいたのが幻冬舎新書から出ている久保博司著 「誤認逮捕」から内容がまるで同じ記述があってびっくりした、だから多分あたっているのだろう、なぜ警察は間違えをただせないかの記述です。
ある警視庁刑事が語ります。
「捜査になぜ間違いが起きるかとおいと、指揮官の権限が強すぎるからです。事件が発生した、捜査本部ができると、どういう方針で捜査するか。最初の限られた情報で方針を決める。本当なら、集まった情報をもとに柔軟に修正すればいいのですが、それができない。方針にそった情報しか聞いてくれないので現場にはふまんが溜まってくる。未解決事件の多くは指揮官の責任っです。」
「警察が間違わない」とは、言い換えれば、「省察『組織』は間違わない」であり、組織の中核にいる「警察『幹部』は間違わない」なのである。
そして、幹部の中核をなすのが、『警察官僚』。
キャリア警察官僚は間違わないということ、それはとりもなおさず警察官庁組織は間違わないという無謬神話の死守が至上命令として存在していることで、どうしようもない脱力感がつきまとう。