月がかかっている。猫の眼のようにほそい眠そうな三日月が 真昼の空にうっすらと。某月某日の 青空の中の月。それを見あげながら歩いていたらガードレールにぶつかってぼくは倒れた。そのすぐ近くを猛スピードで一台のトラックが走り去った。ぼくはカメラをかばったので右腕の肘をすりむいた。しかし・・・倒れるまえのぼくと 倒れてからすぐに起きあがりきた道を引き返しているぼくは違った人物かもしれない
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いまBGMで流れているのは、いつかも書いた曲だけれど、モーツァルトの「協奏交響曲変ホ長調」(K.364)。この第2楽章がすばらしいので、このところ取憑かれるように聴いている。ことばが・・・詩的言語にでも押し込むしかないことばがあふれてきたので、「ひとり暮らし」という作品を一編仕上げ、少し肩のあたりが軽くなった。ふだん日記=blogで使用しているのは、いわばコミュニケーション言語。それと比べると、詩的言語には、表現としての飛躍が不可欠。むろん、わたしがあやつっているのだが、完全に意識して、こういう詩を書いているわけではない。
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こんなところまで訪ねてくる人はめったにいない。「山奥に棲んでいる」というわけでもないのに人も馬も荷車も 通りすぎてしまう。「いまどこ どこにいるの?」以前はそんなメールがよく舞い込んだがしばらくそのメールすらめったにやってこない。ぼくはここにいるのに。生まれたときから ずっとここにいる。真偽のはっきりわからないフェルメールの絵画のとなり原子炉の破損したプラスネジのとなり顔見知りであるようなないような自転車通勤人のとなりに。・・・あるいは そのとなりのとなりに。
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