風邪をひいているわけではないがぼくは今日は外に出たくない。家にとじこもって なにを考えるなにをするでもなく音楽に耳をすましている。
そんな日が 少しずつふえていくのはなぜだろう。十一時になったら ドアを開けて出ていこう。それが十三時になり 十四時になる。聞こえるか聞こえないかのピアニッシモが剃りのこした無精ヒゲを震わせる。レコードがフォルテシモにさしかかるとスズメたちの囀りがピタリとおさまる。
ことばの中の水たまりを ミズスマシがすいすい泳ぐ。
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中島敦(1909~1942年)は近代文学史上屈指の才能の持ち主だった。未完の大器というと、北村透谷、石川啄木、国木田独歩、梶井基次郎を思い起こすけれど、この人もそのひとり。志なかばもいかず、33才で病に倒れた。はじめて読んだのが、たしか高校の教科書に掲載されていた「山月記」であった。そのときは、やたらむずかしい漢字が出てくるため、読みにくく、手こずったという以外、これはという印象は残っていない。高校生には所詮むずかしすぎる。「山月記」は「李陵」とならぶ、中島敦を代表する秀作。しかし、ここで取り上げたいのは、そのどちらでもなく「名人伝」である。数年前、この文庫本でわずか12ページ(新潮文庫)たらずの「名人伝」を読み返していて、いくつかのうれしいサプライズを味わうことができた
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