好きと嫌いは、ほんとうに厄介な問題である・・・と、わたしは考えてきた。
Aちゃんより、Bちゃんが、うどんより、ソバが、イエローよりブルーが好き。
理由がないようであり、あるようでない。
しかも、よく考えてみると、好きと嫌いの中間にも、いろいろな段階があり、グレー・ゾーンは、無限に近く拡がっている。
人間の脳は、たとえどんなに知的な人でも、10%の意識と、90%の無意識でできている。そこがおもしろいし、また厄介なところでもあるのだ。
あるいは、昨日まであんなに「好き」だったのに、今日突然嫌いになる。
あるいはその逆。
原因がはっきりしている場合もあるし、原因がわからず、自分で当惑したりする場合もある。考えて「わかる」のは、意識レベルの問題ばかり。無意気レベルではどうなっているのか?
まあ、わからないから「無意識」と、仮に呼んでいるだけなのだろう。
われわれの日常は、そういったものに支配されている。
カメラを1台買っただけで、なぜこうも視神経が活発になるのか?
あるきっかけがあると、満腹になるまで耽溺してしまう。
わたしは人一倍そういった「性格のかたより」があるのだろう。
年末から年始にかけて、遠出をひかえはいたが、ヒマにまかせて毎日写真を撮っていた。
なんでも撮りたいし、無理矢理にでも「写真にする」「そうしないではいられない」という衝動との、意識レベル・無意識レベルでのたたかい(笑)。
そういったなかから「好き」な写真を3枚だけピックアップしておこう。
これは自宅の庭。
ちょっと演出し、マクロレンズの「ボケ」を活用してみた。
冬ではなく、秋のカラーになった。
よくある写真だねといえば、それまでだけれど。
これはわが家の外流しの一角。
目立たない、可憐な影を発見!
わたしの「お気に入りの一枚」となった。
自宅から数分の撮影ポイント。
農道のようなところから、夕陽に染まる西の空を眺めた。
ピラミッドのように遠く見えるのは浅間山。近景、中景、遠景がそろった「絵のような」写真になった。(カメラについている夕焼けというフィルターを使ったため、赤みが強調されています)
「なぜこの3枚なの?」
「さあ・・・。よくわからない。理由をむりやりさがすと、ウソになる。感覚的なものだから」
味わいや愉しみ方が違う3枚。
だけど、なぜ、この3枚なの?
Aちゃんより、Bちゃんが、うどんより、ソバが、イエローよりブルーが好き。
理由がないようであり、あるようでない。
しかも、よく考えてみると、好きと嫌いの中間にも、いろいろな段階があり、グレー・ゾーンは、無限に近く拡がっている。
人間の脳は、たとえどんなに知的な人でも、10%の意識と、90%の無意識でできている。そこがおもしろいし、また厄介なところでもあるのだ。
あるいは、昨日まであんなに「好き」だったのに、今日突然嫌いになる。
あるいはその逆。
原因がはっきりしている場合もあるし、原因がわからず、自分で当惑したりする場合もある。考えて「わかる」のは、意識レベルの問題ばかり。無意気レベルではどうなっているのか?
まあ、わからないから「無意識」と、仮に呼んでいるだけなのだろう。
われわれの日常は、そういったものに支配されている。
カメラを1台買っただけで、なぜこうも視神経が活発になるのか?
あるきっかけがあると、満腹になるまで耽溺してしまう。
わたしは人一倍そういった「性格のかたより」があるのだろう。
年末から年始にかけて、遠出をひかえはいたが、ヒマにまかせて毎日写真を撮っていた。
なんでも撮りたいし、無理矢理にでも「写真にする」「そうしないではいられない」という衝動との、意識レベル・無意識レベルでのたたかい(笑)。
そういったなかから「好き」な写真を3枚だけピックアップしておこう。
これは自宅の庭。
ちょっと演出し、マクロレンズの「ボケ」を活用してみた。
冬ではなく、秋のカラーになった。
よくある写真だねといえば、それまでだけれど。
これはわが家の外流しの一角。
目立たない、可憐な影を発見!
わたしの「お気に入りの一枚」となった。
自宅から数分の撮影ポイント。
農道のようなところから、夕陽に染まる西の空を眺めた。
ピラミッドのように遠く見えるのは浅間山。近景、中景、遠景がそろった「絵のような」写真になった。(カメラについている夕焼けというフィルターを使ったため、赤みが強調されています)
「なぜこの3枚なの?」
「さあ・・・。よくわからない。理由をむりやりさがすと、ウソになる。感覚的なものだから」
味わいや愉しみ方が違う3枚。
だけど、なぜ、この3枚なの?