岩波文庫から、「万葉集」全5巻が新たに刊行された。
これまでの佐々木信綱による岩波文庫「新訓万葉集」(現在でもワイド版で手に入る)は、初学者のわたしには、とても歯が立たない本であった。《86年ぶりの新版》と銘打たれ、左右見開きに配置された左ページには、現代語訳、詳細な注釈が付されてある。
むろん現代における最高の学問的研究成果が盛り込まれているようである。そのため、従来とは読み下し(訓)が変わったものまである。
これならわたしにも「わかる」万葉集になっていると考えて、とりあえず、第1巻第2巻を買ってきた。
万葉集は山にたとえれば、北アルプスに、あるいは南アルプスに匹敵するだろう。初心者が軽装で気軽に登ることができるような山ではない。険しい谷、崖、渓流、岩場、尾根が、巨大な山塊となってつづいている。
だれが考えても、方位磁石やガイドブック、案内人が必須。
そのための本も、何冊かあつまってきた。
楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎(からさき)さきくあれど大宮人の船待ちかねつ
楽浪(ささなみ)の志賀の大曲(おほわだ)淀むとも昔の人にまたも逢はめやも
万葉集第1巻に出てくる柿本人麻呂の有名な作品。
《近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌》という詞書があり、長歌の反歌として登場する。
高校時代に、古典の教科書で読んだのが最初であったと記憶している。
こんど読み返したとき、
「おやおや、これは還暦をすぎたわたしが書いている詩(「夜への階段」「光集める人」)の、キーワードとなる感情とそっくりではないか?」
そう感じて、わたしはいささか愕然とした。
「昔の人にまたも逢はめやも」
このことばには、なんというか、痛切極まりない悲哀がにじんでいる。
こういう作品が、巨大な山塊への登山口になっていく。わたしが書いているのは現代詩であるから、暗喩や直喩をちりばめた複雑な詩的言語を駆使しないと成り立たないが、三十一文字にちぢめたら、こういう和歌が切り拓いてみせた世界に、通じている。
「過ぎし人、過ぎし時への挽歌」というものが、本質的なテーマとして据えられ、読む人の胸を抉る。ありふれた情感といえばその通りだが、人麻呂の和歌の多くは、それを読んだ人の胸に棲みつき、長く忘れることがない。
「この悲哀は、人麻呂が教えてくれた悲哀なのだ」と、いまになって、わたしは思う。
自分を古代の大詩人人麻呂になぞらえているのではない。現代に生きるわたしが、日本語を通じて、千三百年も昔の、ひとりの詩人と出会っている・・・ということである。
万葉集はもちろんのこと、人麻呂も巨大なスケールをもった詩人だから、登山口はいくつも存在する。この詩人については、明治以降だけをとっても、「アララギ」の歌人や国文学者によって数限りない本が書かれ、研究されている。登山口が変われば、山容は違って見える。そこがおもしろくて、つぎつぎと本に手を出してしまう。
収録和歌約4千5百、万葉は古代における、日本語の大森林ともいえる。この歌集は、のちの代のどんな歌集とも、まったく似ていない。「古今」とも、いわんや「新古今」とも・・・。貴族や官人ばかりでなく、防人の歌があり、東歌がある。読み人知らずの歌も、驚くほど多い。
日本人はなぜ、五七五七七という、こんなに短い音律によって、自らの感情や生活を表現することにこだわったのだろう? しかも千数百年にわたって。
あるいは、現代でも消滅しないのは、なぜだろう?
長歌を引用しようとかんがえたが、やめておく。読みたい人はネット検索によって、たやすく読むことができる。
「過ぎし人、過ぎし時への挽歌」という、人が生きているかぎり永遠に変わることないこのテーマを、もっと短く、うまく詠った人がいる。
「夏草や 兵どもが 夢のあと」
すなわち松尾芭蕉である。
わたしは町歩きしながら、こういう音楽が胸の奥で鳴り響くのを、ときおり感じる。
現在という時間の単位はつぎの瞬間には、もう過去へと繰りこまれていく。
よく見、よく聞き、そして記憶しよう。思い出すことができるだけ、なつかしむことができるだけ、悲しむことができるだけ・・・なのだから。
これまでの佐々木信綱による岩波文庫「新訓万葉集」(現在でもワイド版で手に入る)は、初学者のわたしには、とても歯が立たない本であった。《86年ぶりの新版》と銘打たれ、左右見開きに配置された左ページには、現代語訳、詳細な注釈が付されてある。
むろん現代における最高の学問的研究成果が盛り込まれているようである。そのため、従来とは読み下し(訓)が変わったものまである。
これならわたしにも「わかる」万葉集になっていると考えて、とりあえず、第1巻第2巻を買ってきた。
万葉集は山にたとえれば、北アルプスに、あるいは南アルプスに匹敵するだろう。初心者が軽装で気軽に登ることができるような山ではない。険しい谷、崖、渓流、岩場、尾根が、巨大な山塊となってつづいている。
だれが考えても、方位磁石やガイドブック、案内人が必須。
そのための本も、何冊かあつまってきた。
楽浪(ささなみ)の志賀の辛崎(からさき)さきくあれど大宮人の船待ちかねつ
楽浪(ささなみ)の志賀の大曲(おほわだ)淀むとも昔の人にまたも逢はめやも
万葉集第1巻に出てくる柿本人麻呂の有名な作品。
《近江の荒れたる都を過ぐる時に、柿本朝臣人麻呂の作る歌》という詞書があり、長歌の反歌として登場する。
高校時代に、古典の教科書で読んだのが最初であったと記憶している。
こんど読み返したとき、
「おやおや、これは還暦をすぎたわたしが書いている詩(「夜への階段」「光集める人」)の、キーワードとなる感情とそっくりではないか?」
そう感じて、わたしはいささか愕然とした。
「昔の人にまたも逢はめやも」
このことばには、なんというか、痛切極まりない悲哀がにじんでいる。
こういう作品が、巨大な山塊への登山口になっていく。わたしが書いているのは現代詩であるから、暗喩や直喩をちりばめた複雑な詩的言語を駆使しないと成り立たないが、三十一文字にちぢめたら、こういう和歌が切り拓いてみせた世界に、通じている。
「過ぎし人、過ぎし時への挽歌」というものが、本質的なテーマとして据えられ、読む人の胸を抉る。ありふれた情感といえばその通りだが、人麻呂の和歌の多くは、それを読んだ人の胸に棲みつき、長く忘れることがない。
「この悲哀は、人麻呂が教えてくれた悲哀なのだ」と、いまになって、わたしは思う。
自分を古代の大詩人人麻呂になぞらえているのではない。現代に生きるわたしが、日本語を通じて、千三百年も昔の、ひとりの詩人と出会っている・・・ということである。
万葉集はもちろんのこと、人麻呂も巨大なスケールをもった詩人だから、登山口はいくつも存在する。この詩人については、明治以降だけをとっても、「アララギ」の歌人や国文学者によって数限りない本が書かれ、研究されている。登山口が変われば、山容は違って見える。そこがおもしろくて、つぎつぎと本に手を出してしまう。
収録和歌約4千5百、万葉は古代における、日本語の大森林ともいえる。この歌集は、のちの代のどんな歌集とも、まったく似ていない。「古今」とも、いわんや「新古今」とも・・・。貴族や官人ばかりでなく、防人の歌があり、東歌がある。読み人知らずの歌も、驚くほど多い。
日本人はなぜ、五七五七七という、こんなに短い音律によって、自らの感情や生活を表現することにこだわったのだろう? しかも千数百年にわたって。
あるいは、現代でも消滅しないのは、なぜだろう?
長歌を引用しようとかんがえたが、やめておく。読みたい人はネット検索によって、たやすく読むことができる。
「過ぎし人、過ぎし時への挽歌」という、人が生きているかぎり永遠に変わることないこのテーマを、もっと短く、うまく詠った人がいる。
「夏草や 兵どもが 夢のあと」
すなわち松尾芭蕉である。
わたしは町歩きしながら、こういう音楽が胸の奥で鳴り響くのを、ときおり感じる。
現在という時間の単位はつぎの瞬間には、もう過去へと繰りこまれていく。
よく見、よく聞き、そして記憶しよう。思い出すことができるだけ、なつかしむことができるだけ、悲しむことができるだけ・・・なのだから。