■ギッシング「南イタリア周遊記」小池滋訳 岩波文庫(1994年刊)
旅行記、紀行文学は一つのジャンルとして確立している。
日本で最初の日記といわれる「土佐日記」も、日記というより紀行文である。
江戸期の文学の最高峰「おくのほそ道」も要は紀行文で、芭蕉はほかにもごく短いものながら、す
ぐれた紀行文を残している。
明治になってからは、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」が一番有名だろう。ほかにも、すぐれた紀行文学、旅行記はいくらだってある。わたしがパッと思い出すのは、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズ。やや古びた部分もあるにせよ、紀行文学の白眉といえる。
ところで今回取り上げたギッシングは、イギリスでもマイナーな部類に属する小説家。
いや、翻訳で「ギッシング選集」が刊行されていたことがあるので、一部の熱心な愛好家がいるのは間違いない。
※ 秀文インターナショナル「ギッシング選集」小池滋責任編集1988年刊 全5巻
「ヘンリ・ライクロフトの私記」は、いまでもよく読まれているのではないか? 平井正穂訳岩波文庫のほか、光文社古典翻訳文庫にも、最近新訳がラインナップされた。
わたしが持っている本は文字が小さいためなかなか読む気にはならず、20年ばかり横目で眺めるだけの本になっているが、さっき調べたら1991年にワイド版が出版されているので、それを手に入れればいいのだろう。
さて「南イタリア周遊記」である。
現行版では本文だけで186ページの比較的うすい本。
印字(活字)は小さめでわたしのような高齢者にとっては、読めるぎりぎりサイズ(´Д`)
予想にたがわず、たいへんおもしろく読み終えることができた。
よくは知らないのだが、ギッシングはギリシア、ローマ文化の使徒といっていいくらいの愛好家。
むろん単なる本の虫ではなく、自分の足でかの地を旅し、古代文明や遺跡をへめぐる趣味も持っていた。
《一生を通じて現実生活の苦しみに苛まれ続けたギッシングにとって、わずかな慰安は少年時代から古典文学を通して憧れていた古代文明の故郷ギリシアとイタリアであった。1897年、1ヵ月ほど滞在した南イタリアでの見聞を記したこの作品は、著者唯一の紀行文で、旅を栖とする作家の本領が最もよく発揮されている。》(BOOKデータベースより引用)
ギッシングはギリシア、イタリアへ数回出かけている。結核に侵され46歳で身罷った彼にとって、本書の旅が最後の旅となる。旅の途中で病に苦しむ様子が、リアルな文章でしっかりと書き止めてあるのは、一読忘れがたい感銘をあたえる。
ブリア州南部、バジリカータ州南部、そしてカラブリア州。彼はティレニア海、イオニア海の周辺を、一部鉄道、大部分は馬車で移動している。
イタリア南部にはギリシアの植民地があり、古代からそこで暮らす人びとがいたのである。
彼が旅をしたのは19世紀の終わり、1897年のこと。しかし、彼の頭は2千年の時間を超えて、古代を幻視している。芭蕉が西行に寄り添って奥州を歩いたようなものであろう。
旅の記録は、人びととの出会いと別れの記録でもある。ところどころ訳者小池滋さんの「おや?」と思えるおかしな文章にひっかかりながらも、ぜんたいとして十分愉しませていただいた。
現代のような安上がりの観光旅行などなかった時代を想像しよう。まして日本においておや。
通貨が変動制に移行するのは1973年のこと。それまで海外旅行へ出かけられるのは、一部のエリートのみであった。観光業者がほとんど存在しなかった時代、しかも19世紀末のイタリア南部は半分辺境といってもいい地域であった。
ギッシングはギボンの愛読者、生粋のイギリス人ということになるだろう。そればかりではなく、テオクリトス、ウェルギリウス、ポエティウス等を自在に読みこなし、言及するだけでなく適宜引用している。古代文化の専門家といってもよい知識をたっぷりと脳や心にしみ込ませているのだ(^^♪
そういう人物が書いた周遊記である。
わたしがギリシア・ローマの「古代文学」に親炙していたとしたら、この周遊記はもっと興味深く読めたことだろう。
ところどころ、塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界」の記述が蘇ってきた。
数か所、おもしろさ抜群のエピソードがあるが、引用は長くなるからやめておく。
岩波文庫の「ギッシング短篇集」も手許にあるので、近々それも読んでみよう。
例年だと、確定申告が終わる3月には、読書モードから、撮影モードにスイッチするのだが、今年は様子が違う。
すっかり持病となった腰痛や、母の介護が精神的な負担となっている。このさきどこへ向かうのか、われながら判然としないなあ・・・困ったことに(´v`?)
はてさて、どんな4月がやってくるのだろう。
旅行記、紀行文学は一つのジャンルとして確立している。
日本で最初の日記といわれる「土佐日記」も、日記というより紀行文である。
江戸期の文学の最高峰「おくのほそ道」も要は紀行文で、芭蕉はほかにもごく短いものながら、す
ぐれた紀行文を残している。
明治になってからは、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」が一番有名だろう。ほかにも、すぐれた紀行文学、旅行記はいくらだってある。わたしがパッと思い出すのは、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」シリーズ。やや古びた部分もあるにせよ、紀行文学の白眉といえる。
ところで今回取り上げたギッシングは、イギリスでもマイナーな部類に属する小説家。
いや、翻訳で「ギッシング選集」が刊行されていたことがあるので、一部の熱心な愛好家がいるのは間違いない。
※ 秀文インターナショナル「ギッシング選集」小池滋責任編集1988年刊 全5巻
「ヘンリ・ライクロフトの私記」は、いまでもよく読まれているのではないか? 平井正穂訳岩波文庫のほか、光文社古典翻訳文庫にも、最近新訳がラインナップされた。
わたしが持っている本は文字が小さいためなかなか読む気にはならず、20年ばかり横目で眺めるだけの本になっているが、さっき調べたら1991年にワイド版が出版されているので、それを手に入れればいいのだろう。
さて「南イタリア周遊記」である。
現行版では本文だけで186ページの比較的うすい本。
印字(活字)は小さめでわたしのような高齢者にとっては、読めるぎりぎりサイズ(´Д`)
予想にたがわず、たいへんおもしろく読み終えることができた。
よくは知らないのだが、ギッシングはギリシア、ローマ文化の使徒といっていいくらいの愛好家。
むろん単なる本の虫ではなく、自分の足でかの地を旅し、古代文明や遺跡をへめぐる趣味も持っていた。
《一生を通じて現実生活の苦しみに苛まれ続けたギッシングにとって、わずかな慰安は少年時代から古典文学を通して憧れていた古代文明の故郷ギリシアとイタリアであった。1897年、1ヵ月ほど滞在した南イタリアでの見聞を記したこの作品は、著者唯一の紀行文で、旅を栖とする作家の本領が最もよく発揮されている。》(BOOKデータベースより引用)
ギッシングはギリシア、イタリアへ数回出かけている。結核に侵され46歳で身罷った彼にとって、本書の旅が最後の旅となる。旅の途中で病に苦しむ様子が、リアルな文章でしっかりと書き止めてあるのは、一読忘れがたい感銘をあたえる。
ブリア州南部、バジリカータ州南部、そしてカラブリア州。彼はティレニア海、イオニア海の周辺を、一部鉄道、大部分は馬車で移動している。
イタリア南部にはギリシアの植民地があり、古代からそこで暮らす人びとがいたのである。
彼が旅をしたのは19世紀の終わり、1897年のこと。しかし、彼の頭は2千年の時間を超えて、古代を幻視している。芭蕉が西行に寄り添って奥州を歩いたようなものであろう。
旅の記録は、人びととの出会いと別れの記録でもある。ところどころ訳者小池滋さんの「おや?」と思えるおかしな文章にひっかかりながらも、ぜんたいとして十分愉しませていただいた。
現代のような安上がりの観光旅行などなかった時代を想像しよう。まして日本においておや。
通貨が変動制に移行するのは1973年のこと。それまで海外旅行へ出かけられるのは、一部のエリートのみであった。観光業者がほとんど存在しなかった時代、しかも19世紀末のイタリア南部は半分辺境といってもいい地域であった。
ギッシングはギボンの愛読者、生粋のイギリス人ということになるだろう。そればかりではなく、テオクリトス、ウェルギリウス、ポエティウス等を自在に読みこなし、言及するだけでなく適宜引用している。古代文化の専門家といってもよい知識をたっぷりと脳や心にしみ込ませているのだ(^^♪
そういう人物が書いた周遊記である。
わたしがギリシア・ローマの「古代文学」に親炙していたとしたら、この周遊記はもっと興味深く読めたことだろう。
ところどころ、塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界」の記述が蘇ってきた。
数か所、おもしろさ抜群のエピソードがあるが、引用は長くなるからやめておく。
岩波文庫の「ギッシング短篇集」も手許にあるので、近々それも読んでみよう。
例年だと、確定申告が終わる3月には、読書モードから、撮影モードにスイッチするのだが、今年は様子が違う。
すっかり持病となった腰痛や、母の介護が精神的な負担となっている。このさきどこへ向かうのか、われながら判然としないなあ・・・困ったことに(´v`?)
はてさて、どんな4月がやってくるのだろう。