異色のピアニスト、フジ子・ヘミングの名を知ったのは、ことし4月、一枚のCDに出会ったことによる。
60歳をすぎてからの遅いデビューは、まことにドラマチックだった。
NHKの番組ETV特集「フジコ~あるピアニストの軌跡~」が放映されたことで、一夜で有名人になってしまったのである。
それまでもピアニストではあったが、ほとんど売れない、無名といっていいような地味な存在。彼女は再起、再デビュー・・・といっているけれど。
このところ、クラシック音楽熱がぶり返し、音楽関連の本ばかり読んでいる。
そのほとんどが、啓蒙書・入門書のたぐいなので、レビューから遠ざかっていた。
楽譜は読めないけれども、音楽からうける感動に対し、理解をもう少しふかめておきたい。というわけで、楽器について、西洋音楽史について、あるいはバッハやモーツァルトやベートーヴェンの生涯について書かれた本をあさった。批評家スズメの本や雑誌にも、何冊か眼を通した。
そしてしばらくぶりに、レビューが書きたくなる本に巡り会った。それが本書「運命の力」。
彼女自身が「執筆した」本ではなく、ご本人に取材し、インタビューした内容を、他のライターがまとめ、もういっぺんご本人が眼を通し、編集された書物なのであろう。
「ピアニストはほとんどお金持ちの家から出ている。毎日八時間くらいレッスンをしないといけない。だから、よっぽどのお金持ちじゃないとそんなことはできない。・・・掃除も家事もだれかほかの人にやらせて、そういう人のピアノが認められる。そういう人の弾くピアノは二度と聴きたくないようなものばかり。でも現実はそういう人が世界で一流とよばれている人。
ピアニストは綺麗な手をしている人が多い。手をとても大事にしているから。
でも私の手はゴツゴツとして綺麗じゃない。生きるために労働した手だから。綺麗じゃない。いろんなことをやった」
5歳でスウェーデン人の父にすてられ、国籍を失い、聴覚を失い(いまは片耳だけ、40%回復)、売れないピアニストとして、食うや食わずで、ドイツや日本を放浪し、それでもピアノを手放さなかった。
彼女の音楽の背後に、こういった半生が横たわっている。
こういったことすべては、彼女のCD「奇蹟のカンパネラ」を聴いて感動し、興味をいだいてしらべてからわかったことだ。
スウェーデン国籍は40歳になってから取り戻したらしいが、この人の孤独な生き方はかわらなかった。
「わたしはピアニストなの。ほかの生き方はできない」その信念が、彼女をささえ、ここまで歩ませてきたのだ。
不器用な世渡りしかできない、苦労人の苦労話なのかもしれない。猫に看取られて死にたいと話す彼女は、厭世家としての一面ももっている。
いまでは少数の熱烈なファンにささえられ、コンサートは大盛況。しかし・・・本書を読むかぎり、フジ子・ヘミングは、少女のころから少しもかわっていない。
生まれつき、付和雷同するタイプではなく、美の判断基準は、彼女の感覚と、ある種の遺伝子のなかに存在したのであろう。日本では育ちにくい才能といういい方もできるし、もしいたとしても、寄ってたかって、その才能の芽はつまれてしまう。貧しさがそれに追い打ちをかけたろうと、想像してみる。「つらい日々があったのだろうな」と。
「私の音楽を聴いてくれる人がわずかでもいれば、それだけで幸せだった」
「この世は自分のためにあるのではないと思っていた」
「音楽は批評家のためにあるものではない」
「楽屋からステージにむかうのは、地獄へいくときのよう。ガクガク足が震えて」
「壊れそうな『カンパネラ』があったっていいじゃない。機械じゃあるまいし。まちがったっていいのよ」
「人生の艱難辛苦から逃れる道はふたつある。音楽と猫だ」
「私がいままで飼ってきた猫は60匹余り。私が死ぬときは、猫に見守られながら死にたい」
「国籍なんて一枚の紙きれにすぎない。私には祖国はない」 (以上は本書の見出しから)
彼女が孤独だとして、その孤独がどういうものか、これらのことばが語っている。
リストの――というより、フジ子・ヘミングの「ラ・カンパネラ」。
犬や猫など、ペットへの情愛が強すぎる人は、一般的にいえば、自己愛型の人間である、・・・という偏見がわたしにはある。フジ子さんにもそれを感じるけれど、この人は、根っからのアーチストだし、才能もあるのだ。本書には彼女のイラストが多数掲載されている。どれもが個性的だし、不思議な快楽世界への入り口みたいに、見る者の眼をひきつける。
いまから考えれば、なぜこういう人を世間は認めなかったのか?
それを彼女は「運命の力」と呼ぶのだろう。
天才少年・少女のピアニスト、ヴァイオリニストは掃いてすてるほどいる。しかし、いろいろな不運につきまとわれながら、浮き世の底辺のような場所をさまよったあげく、60歳をすぎてから、彼女は劇的に演奏家としてデビューした。
マイナスだらけだったその人生の苦悩が、いま彼女の演奏を輝かせている。
評価:★★★★★
60歳をすぎてからの遅いデビューは、まことにドラマチックだった。
NHKの番組ETV特集「フジコ~あるピアニストの軌跡~」が放映されたことで、一夜で有名人になってしまったのである。
それまでもピアニストではあったが、ほとんど売れない、無名といっていいような地味な存在。彼女は再起、再デビュー・・・といっているけれど。
このところ、クラシック音楽熱がぶり返し、音楽関連の本ばかり読んでいる。
そのほとんどが、啓蒙書・入門書のたぐいなので、レビューから遠ざかっていた。
楽譜は読めないけれども、音楽からうける感動に対し、理解をもう少しふかめておきたい。というわけで、楽器について、西洋音楽史について、あるいはバッハやモーツァルトやベートーヴェンの生涯について書かれた本をあさった。批評家スズメの本や雑誌にも、何冊か眼を通した。
そしてしばらくぶりに、レビューが書きたくなる本に巡り会った。それが本書「運命の力」。
彼女自身が「執筆した」本ではなく、ご本人に取材し、インタビューした内容を、他のライターがまとめ、もういっぺんご本人が眼を通し、編集された書物なのであろう。
「ピアニストはほとんどお金持ちの家から出ている。毎日八時間くらいレッスンをしないといけない。だから、よっぽどのお金持ちじゃないとそんなことはできない。・・・掃除も家事もだれかほかの人にやらせて、そういう人のピアノが認められる。そういう人の弾くピアノは二度と聴きたくないようなものばかり。でも現実はそういう人が世界で一流とよばれている人。
ピアニストは綺麗な手をしている人が多い。手をとても大事にしているから。
でも私の手はゴツゴツとして綺麗じゃない。生きるために労働した手だから。綺麗じゃない。いろんなことをやった」
5歳でスウェーデン人の父にすてられ、国籍を失い、聴覚を失い(いまは片耳だけ、40%回復)、売れないピアニストとして、食うや食わずで、ドイツや日本を放浪し、それでもピアノを手放さなかった。
彼女の音楽の背後に、こういった半生が横たわっている。
こういったことすべては、彼女のCD「奇蹟のカンパネラ」を聴いて感動し、興味をいだいてしらべてからわかったことだ。
スウェーデン国籍は40歳になってから取り戻したらしいが、この人の孤独な生き方はかわらなかった。
「わたしはピアニストなの。ほかの生き方はできない」その信念が、彼女をささえ、ここまで歩ませてきたのだ。
不器用な世渡りしかできない、苦労人の苦労話なのかもしれない。猫に看取られて死にたいと話す彼女は、厭世家としての一面ももっている。
いまでは少数の熱烈なファンにささえられ、コンサートは大盛況。しかし・・・本書を読むかぎり、フジ子・ヘミングは、少女のころから少しもかわっていない。
生まれつき、付和雷同するタイプではなく、美の判断基準は、彼女の感覚と、ある種の遺伝子のなかに存在したのであろう。日本では育ちにくい才能といういい方もできるし、もしいたとしても、寄ってたかって、その才能の芽はつまれてしまう。貧しさがそれに追い打ちをかけたろうと、想像してみる。「つらい日々があったのだろうな」と。
「私の音楽を聴いてくれる人がわずかでもいれば、それだけで幸せだった」
「この世は自分のためにあるのではないと思っていた」
「音楽は批評家のためにあるものではない」
「楽屋からステージにむかうのは、地獄へいくときのよう。ガクガク足が震えて」
「壊れそうな『カンパネラ』があったっていいじゃない。機械じゃあるまいし。まちがったっていいのよ」
「人生の艱難辛苦から逃れる道はふたつある。音楽と猫だ」
「私がいままで飼ってきた猫は60匹余り。私が死ぬときは、猫に見守られながら死にたい」
「国籍なんて一枚の紙きれにすぎない。私には祖国はない」 (以上は本書の見出しから)
彼女が孤独だとして、その孤独がどういうものか、これらのことばが語っている。
リストの――というより、フジ子・ヘミングの「ラ・カンパネラ」。
犬や猫など、ペットへの情愛が強すぎる人は、一般的にいえば、自己愛型の人間である、・・・という偏見がわたしにはある。フジ子さんにもそれを感じるけれど、この人は、根っからのアーチストだし、才能もあるのだ。本書には彼女のイラストが多数掲載されている。どれもが個性的だし、不思議な快楽世界への入り口みたいに、見る者の眼をひきつける。
いまから考えれば、なぜこういう人を世間は認めなかったのか?
それを彼女は「運命の力」と呼ぶのだろう。
天才少年・少女のピアニスト、ヴァイオリニストは掃いてすてるほどいる。しかし、いろいろな不運につきまとわれながら、浮き世の底辺のような場所をさまよったあげく、60歳をすぎてから、彼女は劇的に演奏家としてデビューした。
マイナスだらけだったその人生の苦悩が、いま彼女の演奏を輝かせている。
評価:★★★★★