二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

「チャイコフスキーコンクール」中村紘子(中央公論社)

2010年04月21日 | エッセイ(国内)
クラシック音楽熱にとり憑かれたことが、過去に二回あった。
一度目は高校のころ。まだLPの時代で、廉価版をあさって、3、40枚のレコードを集めた。いまもそうだが、曲目をあげるのもはずかしくなるような、ごくオーソドックスな定番ばかり。きっかけはなんだったのだろう?
小学校のころから、群馬交響楽団による「移動音楽教室」が、たびたびぶち抜きの教室や体育館で開催され、それが下地になったうえ、昔はなからずどんな地方都市にもあった「名曲喫茶」でBGMとして、いろいろな音楽を耳に入れて過ごしたのが、後年になって、わたしをクラシック・ファンへとみちびいたようである。
そこに、小林秀雄の「モーツァルト」あたりが決定的な作用をおよぼした。
以後も知り合いにさそわれるまま、年に1回か2回、群馬交響楽団の定期演奏会を聴きにいっていた。
スコアなどは読めないし、楽器らしい楽器もいじった経験がなく、
恣意的でわがままな聴衆であった。いまでもまったく進歩がないミーハーだけれど。

この本を手に入れたおかげで、わたしは中村紘子さんが、銀座のギャラリー月光荘の中村曜子さんの私生児として誕生した女性であることを、はじめて知った。
いまでは信じられないことではあるが、バブルの全盛期、日本人は投資対象として、絵画に目をつけ、海外に出かけていって、絵画史にその名をとどめるような有名な作品はもちろん、その他の二流品までを買いあさったという時期がある。
早稲田を卒業したわたしの友人Hくんなども、主にロシアにわたり、月光荘のバイヤーとして仕入れに活躍していた。
「そうか、ああいった環境のなかから、このピアニストが誕生してくるのか」
知ってしまったいまとなっては、そういった感想から逃れることはむずかしい。

本書を読みおえて、瑞々しい「知情意」の絶妙なバランス感覚には、正直のところ、すっかり感心してしまった。
本書を読んで触発され、ほかに「ピアニストという蛮族がいる」「アルゼンチンまでもぐりたい」もさがして、拾い読みしてみたが、どうやらわたしにとっては、「チャイコフスキー・コンクール」がいちばんおもしろい。

『モスクワで開催される世界屈指の音楽コンクール「チャイコフスキー国際音楽コンクール」。 何度もその審査員を務めてきた著者が、1986年のコンクールの1ヵ月のさまざまなエピソードを通して、 歴史や舞台裏、個性的な参加者たちが繰り広げるドラマを生き生きと描いている。 著者の音楽観、日本の音楽教育に対する考えも披露されており、 クラシック音楽の感動の原点を探り、その未来のあり方を考察した一冊は文明論ともしても高く評価され、 89年の第20回「大宅壮一ノンフィクション賞」を受賞した』

極めて洗練された、論理的な知性の持ち主。
それかあらぬか、「もしかして、夫福田章二(小説家・庄司薫)の手が入っているのかな?」
そんな感想が、いまだぬぐえない。
女性が書く文章は、しばしば、感情の面ばかりが表にたって、それはそれで独特なおもしろさをもってはいるのだけれど、ときにいくらか辟易させられもする。
しかし、本書は、どうみても、女性ピアニストがはじめて世に送り出した著書として、たいへん完成されたものになっている、と思う。
現代において、プロのピアニストとしてやっていくとはどういうことか?
そのいわば、「裏話」なのであるが、裏話を書いてこれだけ読ませるとは驚き。

『ピアノの弦というものは、長く強く引っぱられることによって、より豊かな響きを生み出す。すなわち鋼鉄製ピアノ弦と、その弦の張力を支える鋳鉄製のフレーム、つまりは強靱な鉄の出現こそ、当時のピアノ製作者たちにとって、夢の実現をテクニカルな側面から可能にした最大の理由であった』(本書56ページより)

なるほど・・・ピアノは広い意味での「鉄の文化」の一側面としてとらえることができるのだ! 高層ビルや長大な鉄橋、鉄道や自動車や航空機。これらが、すべて鉄という素材に依存しているのはいうまでもない。
ピアノのあの音色は、その基本において、鉄の音色なのである。ビギナーのわたしは、そんなことに、やや愕然とさせられた。
現代ではピアニストはコンクールによって誕生する。それは、文学賞を受賞して誕生する小説家と、たいへん似通った現象で、中村さんは、そのコンクールに審査員として加わることによって、ピアノがつくり出す音楽と、その社会現象に、絶妙なスポットライトを投げかけたのである。ピアニストが、人間の種族として、どういった生き物に属するのかは、非常に興味深い現実である。そのあたりが、過不足なく描かれた好著。

18世紀ヨーロッパで誕生したピアノとピアノ音楽は、いまではほぼ100%アメリカ流のショーマン・ビジネス化してしまった。こういう環境のもとでは「巨匠」など、誕生する余地などないのである。
音楽もその演奏も、またわれわれの耳も、時代の産物であることが、本書を読むとよくわかる。


評価:★★★★

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「大英帝国衰亡史」 中西輝... | トップ | 「運命の力」 フジ子・ヘミ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

エッセイ(国内)」カテゴリの最新記事