◆丸谷才一インタビュー「文学のレッスン」(新潮文庫 平成25年刊)聞き手・湯川豊 より
つぶやきでふれた「文学のレッスン」について、もう一度いくぶん詳しく書いておく気になった。
本書の論点は多岐にわたっているので、ちょっとやそっとでは要約はできない。これは新潮社の雑誌「考える人」に連載されたロングインタビューが元になっている。
ここでは 第8項目「【詩】詩は酒の肴になる」の一部分を取り上げ、論評する。
まず目次を掲げておこう。
【短編小説】 もしも雑誌がなかったら
【長編小説】 どこからきてどこへいくのか
【伝記・自伝】 伝記はなぜイギリスで繁栄したか
【歴史】 物語を読むように歴史を読む
【批評】 学問とエッセイの重なるところ
【エッセイ】 定義に挑戦するもの
【戯曲】 芝居には色気が大事だ
【詩】 詩は酒の肴になる
この8項目に分類されている。さらにはしがき、あとがき等が付随。
《詩には、レトリックつまりいいまわしの面白さと、韻律つまり音楽的な楽しさと二つがあって、詩はこの両者を同時に味わわせてくれる快楽なんです。レトリックと音楽との同時的併存、相乗的効果、それが詩という快楽をもたらす。》(本書297ページ)
《僕もあれ(註:相田みつをの作)は詩ではないと思うけれど、しかしみんなは詩だと思っているんですよ。詩それ自体について書かれる批評がほんとうに少ないのは、じつはわれわれの社会が詩を求めていない、詩の読者がいないからなんです。相田みつをの読者はいても詩の読者はいないという事情の反映でしょう。
なぜ詩の読者がいないのかという問題がじつは日本の詩を論じるときにいちばん大きな問題だと思う。
日本の戦前の小説がああいう調子だったのは、普通の小説の読者がいなかったからでしょう。ごくわずかの同業者が雑誌で読んで、作者の人生態度をののしったりするのが小説論だった、という面がありますね。
日本の詩だって、詩の読者がいないからぐあいが悪いんですよ。
(中略)
菅野昭正が「詩の現在」のなかで、同様のことをいっています。
詩はテクストがあってそれですむものじゃない。テクストと読者の交流があったとき初めて成立する、といっています。
ところが、肝心の詩の読者というのを、近代日本はもっていなかったんです。》(316ページ)
《詩人が無意識を検閲して詩というテクストをつくる。詩の読者がそれを読む行為によって検閲して受け取る。そこで詩人と読者との共同作業によって詩が成立するというふうに考えてみますと、今の日本になぜ詩がないのか、なぜ詩がこんな不幸な状態なのかが、わりによくわかってきます。》(317ページ)
《詩のテクストがあってそれを読者が享受するという場が大事なので、ほんとうは一つの文明のなかにその場がなければ、詩はないわけです。
大岡信が日本古典文学論をあれだけ書いたのは、その詩の場を求めようとしたからなんですね。》(321ページ)
《吉田(健一)さんは、一杯飲んでるとき、丸谷さん、あなたの好きな詩はどんな詩ですか、みたいなことをいう。
僕が英語の詩で覚えているのを数行、十六世紀のトマス・ナッシュの詩なんかをいうと、ああといって、くちゅくちゅと口のなかで繰り返す。そして、ああ、きれいだな、とかいって喜ぶ。
カラスミとかウニを食べるような感じなんですよ。詩が酒の肴になるのね。僕はなるほど詩というものはこんなふうにして楽しむものか、と思いました。》(322ページ)
思わずちょっと涙ぐんでしまうほど、すばらしい見識である。そうか、だから丸谷さんは「後鳥羽院」その他の古典論を盛んに書いたのである。
彼は大知識人というだけでなく、まずイギリス文学において、わが国屈指の研究者であったから、T・S・エリオットのむずかしい話で煙に巻かれるかと思ったがそうではない。
さらにこんなエピソードが語られている。
万年筆を買うとき、筆慣らしに○や△を書くのではなく、萩原朔太郎のつぎの詩をさらさらメモするのだそうである。
天景 (全編)
しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車。
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。
この「月に吠える」の中の一編がいつでも頭に刻み込まれているわけだ。ちなみに丸谷さんは、じつに多くの万年筆を持っていたそうである。パソコン世代ではないから、それらにいろいろなカラーインクを装填し、原稿を書いたり推敲したり。
この作品に韻律があることを、那珂太郎さんが論証しているのは萩原朔太郎ファンなら知らない人はいない。「しsi」の音がそれである。
したがって「四輪馬車」はよんりんばしゃと読むべきではなく、しりんばしゃが正しいというわけだ。
丸谷さんから見ると、わが国で詩がいちばん幸福だった時代は、「新古今集」のころだった。だから「後鳥羽院」を論じ、藤原俊成や定家にこだわった。
そこに、日本文学の歴史に関する丸谷理論の根本がある。
100%賛同できないところもあるが、大枠において、わたしは丸谷理論の影響下にあるようだ。2度3度と読み返したくなるのは、そのあたりを、しっかりとたしかめたいがためであろう。
元・雑誌「文学界」の編集長湯川豊さんには、須賀敦子の魅力についても教えていただいた。
丸谷さんは、インタビューに応じるにあたって、レジュメを作成してきたそうである。だから必要な文献の引用が、正確にできる。そこにアドリブも入ってくる。
ごくん、とのどが鳴るのではないかというほどおもしろい。
丸谷才一さんが長逝したのは2012年(平成24)10月、享年87。このとき、日本文学はまことに稀有な人物を亡くしたのだ。
「思考のレッスン」と「文学のレッスン」。
この二編の長篇インタビューもまた、「大いなる遺産」であるこをわたしは信じて疑わない。
(自宅パソコン部屋にて)
※ 引用文には、読みやすさを考慮し、適宜改行をほどこしています。
つぶやきでふれた「文学のレッスン」について、もう一度いくぶん詳しく書いておく気になった。
本書の論点は多岐にわたっているので、ちょっとやそっとでは要約はできない。これは新潮社の雑誌「考える人」に連載されたロングインタビューが元になっている。
ここでは 第8項目「【詩】詩は酒の肴になる」の一部分を取り上げ、論評する。
まず目次を掲げておこう。
【短編小説】 もしも雑誌がなかったら
【長編小説】 どこからきてどこへいくのか
【伝記・自伝】 伝記はなぜイギリスで繁栄したか
【歴史】 物語を読むように歴史を読む
【批評】 学問とエッセイの重なるところ
【エッセイ】 定義に挑戦するもの
【戯曲】 芝居には色気が大事だ
【詩】 詩は酒の肴になる
この8項目に分類されている。さらにはしがき、あとがき等が付随。
《詩には、レトリックつまりいいまわしの面白さと、韻律つまり音楽的な楽しさと二つがあって、詩はこの両者を同時に味わわせてくれる快楽なんです。レトリックと音楽との同時的併存、相乗的効果、それが詩という快楽をもたらす。》(本書297ページ)
《僕もあれ(註:相田みつをの作)は詩ではないと思うけれど、しかしみんなは詩だと思っているんですよ。詩それ自体について書かれる批評がほんとうに少ないのは、じつはわれわれの社会が詩を求めていない、詩の読者がいないからなんです。相田みつをの読者はいても詩の読者はいないという事情の反映でしょう。
なぜ詩の読者がいないのかという問題がじつは日本の詩を論じるときにいちばん大きな問題だと思う。
日本の戦前の小説がああいう調子だったのは、普通の小説の読者がいなかったからでしょう。ごくわずかの同業者が雑誌で読んで、作者の人生態度をののしったりするのが小説論だった、という面がありますね。
日本の詩だって、詩の読者がいないからぐあいが悪いんですよ。
(中略)
菅野昭正が「詩の現在」のなかで、同様のことをいっています。
詩はテクストがあってそれですむものじゃない。テクストと読者の交流があったとき初めて成立する、といっています。
ところが、肝心の詩の読者というのを、近代日本はもっていなかったんです。》(316ページ)
《詩人が無意識を検閲して詩というテクストをつくる。詩の読者がそれを読む行為によって検閲して受け取る。そこで詩人と読者との共同作業によって詩が成立するというふうに考えてみますと、今の日本になぜ詩がないのか、なぜ詩がこんな不幸な状態なのかが、わりによくわかってきます。》(317ページ)
《詩のテクストがあってそれを読者が享受するという場が大事なので、ほんとうは一つの文明のなかにその場がなければ、詩はないわけです。
大岡信が日本古典文学論をあれだけ書いたのは、その詩の場を求めようとしたからなんですね。》(321ページ)
《吉田(健一)さんは、一杯飲んでるとき、丸谷さん、あなたの好きな詩はどんな詩ですか、みたいなことをいう。
僕が英語の詩で覚えているのを数行、十六世紀のトマス・ナッシュの詩なんかをいうと、ああといって、くちゅくちゅと口のなかで繰り返す。そして、ああ、きれいだな、とかいって喜ぶ。
カラスミとかウニを食べるような感じなんですよ。詩が酒の肴になるのね。僕はなるほど詩というものはこんなふうにして楽しむものか、と思いました。》(322ページ)
思わずちょっと涙ぐんでしまうほど、すばらしい見識である。そうか、だから丸谷さんは「後鳥羽院」その他の古典論を盛んに書いたのである。
彼は大知識人というだけでなく、まずイギリス文学において、わが国屈指の研究者であったから、T・S・エリオットのむずかしい話で煙に巻かれるかと思ったがそうではない。
さらにこんなエピソードが語られている。
万年筆を買うとき、筆慣らしに○や△を書くのではなく、萩原朔太郎のつぎの詩をさらさらメモするのだそうである。
天景 (全編)
しづかにきしれ四輪馬車、
ほのかに海はあかるみて、
麦は遠きにながれたり、
しづかにきしれ四輪馬車。
光る魚鳥の天景を、
また窓青き建築を、
しづかにきしれ四輪馬車。
この「月に吠える」の中の一編がいつでも頭に刻み込まれているわけだ。ちなみに丸谷さんは、じつに多くの万年筆を持っていたそうである。パソコン世代ではないから、それらにいろいろなカラーインクを装填し、原稿を書いたり推敲したり。
この作品に韻律があることを、那珂太郎さんが論証しているのは萩原朔太郎ファンなら知らない人はいない。「しsi」の音がそれである。
したがって「四輪馬車」はよんりんばしゃと読むべきではなく、しりんばしゃが正しいというわけだ。
丸谷さんから見ると、わが国で詩がいちばん幸福だった時代は、「新古今集」のころだった。だから「後鳥羽院」を論じ、藤原俊成や定家にこだわった。
そこに、日本文学の歴史に関する丸谷理論の根本がある。
100%賛同できないところもあるが、大枠において、わたしは丸谷理論の影響下にあるようだ。2度3度と読み返したくなるのは、そのあたりを、しっかりとたしかめたいがためであろう。
元・雑誌「文学界」の編集長湯川豊さんには、須賀敦子の魅力についても教えていただいた。
丸谷さんは、インタビューに応じるにあたって、レジュメを作成してきたそうである。だから必要な文献の引用が、正確にできる。そこにアドリブも入ってくる。
ごくん、とのどが鳴るのではないかというほどおもしろい。
丸谷才一さんが長逝したのは2012年(平成24)10月、享年87。このとき、日本文学はまことに稀有な人物を亡くしたのだ。
「思考のレッスン」と「文学のレッスン」。
この二編の長篇インタビューもまた、「大いなる遺産」であるこをわたしは信じて疑わない。
(自宅パソコン部屋にて)
※ 引用文には、読みやすさを考慮し、適宜改行をほどこしています。