二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

一枚の作品にたどり着くまで

2012年06月10日 | Blog & Photo

なぜフィルムへもどったのだろうと、ずっと考えていた。
いろいろな理由がある。
時間とお金にいくらか余裕ができたことである。
そして写真集をけっこう持っているけれど、ふと気が付いてみると、デジタルで撮影された写真集は、森山大道さんの「カラー」がはじめて。それ以外の数十冊は、すべてフィルムとフィルムカメラで撮られている。
マイミクさんの中では、denimroadさんやあっきいさんが、フィルム写真工房(あっきいさんのアルバム名)を公開しているし、メロッパさんのようにライカM3をメイン機材とし、暗室作業をおやりになっている方がいる。ローライの2.8FやキヤノンのFDレンズの使い手ガスパールさんもいる。




<ここまでの3点はヤシカ124G フィルムはコダックポートラ160>


なぜ皆さん、手間ひまかけて、コストをかけて、いまフィルムをやろうとするのだろう。

これは、煎じつめてみると、どうもそのプロセスを愉しむというところに、最大の理由があるというのがいまのわたしの考えである。
ピントを合わせる・・・カメラ。
絞りやシャッタースピードを合わせる・・・カメラ。逆光補正や巻き上げもカメラ。
フォトグラフアーは、被写体を発見することと、フレーミングを決め、ボタンを押すくらいしかやることがない(^^;)
ところが、これは電子レンジで“チン”するのと、あまり変わらないではないか? 簡単便利なファストフードが忙しい現代人に好まれるのは、ゆえなきことではない。わたしも、普段よくお世話になっている(笑)。

だけど、たまには男だって手がかかるけれど、料理をつくり、そしてそれを食べてみるのはバカげたことではない。
それと似たようなことを、写真で経験する。食材を吟味し、味付けを工夫し、火加減に気を配る。そのプロセスを愉しむ。

カメラまかせではなく、ピントを合わせることも、露出を決めることも、フォトグラフアー自身がやる。やってみると、そういった時間の中に、「写真を撮影するよろこび」がかくれている。それらを、キカイからわが手に取り戻す。
似てはいるけれど、「あー、やっぱり少し味が違うぞ」
そんなあたりまえなことに、かすかな感動がある。

さらに3点、まずまずのお気に入りをピックアップしてみよう。






<ローライフレックス3.5F フィルムはフジフィルムPRO400>


街角とは、過去のあるいは現在のわたし自身の自画像のように見えることがある。そういう意味で、森山さんがいうように「過去はつねに新しい」のである。

こういったカメラを使い、フィルムを使い、ある一枚の写真に、あるいは数枚の写真にたどり着く。飛行機や新幹線に乗って目的地へあっというまに到着するのではなく、鈍行電車に乗り、あるいは自転車に乗って、ゆったりと移動すると、見えてくる世界が変わる。
そこに、なんといったらいいのだろう、・・・自己浄化作用のようなものが、たしかにあるといえば、わたしの感覚にいくらか近づく。
また、デジカメでは「経験が蓄積される」ということが起こらないけれど、フィルムカメラでは、それが起こる。これは大きな効用ではないだろうか?

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