記憶に残る一枚(59)はコレをあげよう。
左はヤシカマット124Gを構えるAさん(於横浜美術館)、右はライカM3を構えるわたし(於会社の洗面室)。
写っているのは1990年代はじめ。いまのわたしの原点となるような一枚で写真集に収録してあるものを2011年5月に撮影した。
彼もわたしも若かった。
年下だが写真専門学校を出て、スタジオ勤務などの経験があるAさんからはいろいろなことを学んだ。
集団「はぐれ雲」というクラブを二人で立ちあげ、撮影会、写真展を開催したりして活動した。いちばん愉しかった時代だなあ♪
バブル期とあって、金回りもよかったし(笑)。
わたしが二眼レフという機材を刷り込まれたのは、このとき☆
<追記>
いま調べてみたら、ロバート・フランクMOVING OUT展が開催されたのは、1995年5月。
http://www.nitesha.com/?pid=83183551
このカタログを持っている。左の写真はこのとき撮影している。右のライカを構えたセルフポートレイトも、そのころのもの。
いまから20年前のあるひとときの光景である。
左はヤシカマット124Gを構えるAさん(於横浜美術館)、右はライカM3を構えるわたし(於会社の洗面室)。
写っているのは1990年代はじめ。いまのわたしの原点となるような一枚で写真集に収録してあるものを2011年5月に撮影した。
彼もわたしも若かった。
年下だが写真専門学校を出て、スタジオ勤務などの経験があるAさんからはいろいろなことを学んだ。
集団「はぐれ雲」というクラブを二人で立ちあげ、撮影会、写真展を開催したりして活動した。いちばん愉しかった時代だなあ♪
バブル期とあって、金回りもよかったし(笑)。
わたしが二眼レフという機材を刷り込まれたのは、このとき☆
<追記>
いま調べてみたら、ロバート・フランクMOVING OUT展が開催されたのは、1995年5月。
http://www.nitesha.com/?pid=83183551
このカタログを持っている。左の写真はこのとき撮影している。右のライカを構えたセルフポートレイトも、そのころのもの。
いまから20年前のあるひとときの光景である。