■保阪正康「昭和の怪物 七つの謎」講談社現代新書2018年刊
Amazonのレビューを見ていたら、「タイトルが大げさ、『怪物』的な雰囲気が漂っているのは、石原莞爾と瀬島龍三くらいだろう、と書いていらっしゃる読者がいた。
ああ、そう思ったのはわたしだけじゃないねぇ。
ワクワクさせられたのは、「第三章 石原莞爾の『世界最終戦争』とは何だったのか」と、「第七章 吉田茂はなぜ護憲にこだわったのか」の章であった。
その中で、第七章はいささかびっくりさせられた。
《「今日わが国に対する疑惑は、日本が好戦国であり、いつ復讐戦をして、世界の平和を脅かすかも知れぬということが、日本に対する大きな疑惑となっている。先ずこの誤解を正すのが、今日われわれとして為すべき第一のことである。
つまりこの憲法は、「戦間期の思想」を持たないとの哲理を含んでいることを吉田は暗に認めている。「戦間期の思想」とは、戦争で失ったものを戦争でとり返すという考え方で、第一次大戦終結の1918年から第二次大戦開始の1939年までの21年間のナチス思想を具体的に指す。》(246ページ)
憲法第七条には、そういった配慮がこめられていたのだ。平和憲法の裏に、アメリカをはじめとする連合国の疑惑を払拭したいとの外交上の思惑があったのだ。
しかもそのことをあからさまにはできない・・・と吉田茂は考えた。日本自ら手足を縛って、これならどうかしらとたずねたことになる。
そして日米安保条約を締結することと引き換えに、真の独立を回復した。
これはまさに吉田の深謀遠慮というべきである・・・と保阪正康さんは見ている。
もう一つ、重要な条項が盛り込まれた。それが天皇に関する規定(。-_-。)
《天皇制が認められるか否かのかけ引きがあったときに、天皇の存在を憲法の中に明確にしたのは、(吉田茂の)なによりもの誇りだったのである。
この憲法は、天皇制に反対する戦勝国や論者たちから天皇を守る防波堤になっていると考えられていたのだ。》(240ページ)
天皇制に反対する戦勝国や論者たち!
多くの戦勝国はじめ、いまとは違って、左翼勢力が台頭し「天皇制打倒!」を叫んでいた。保守の政治家、吉田茂にとって、“防波堤”としての憲法擁護はプラスマイナスの差し引き勘定で、十分おつりがきたわけだ。
考えてみれば、現在だって、吉田茂が敷いたレールの上を日本は走っている。
保阪さんは、またこうも述べておられる。
《昭和26年(1951)年9月4日から8日まで、サンフランシスコのオペラハウスで講和会議が開かれた。正確には、「対日講和条約締結調印会議」というのだが、要はかつての大日本帝国が解体し、新たに日本国として再出発する「戦争清算」の会議ということができた。日本にとっては明治維新に次ぐ第二の開国という言い方で語ってもよかった。》(256ページ)
保阪さんの考察は、痒いところに、よく手が届いている。平成30年(2018)の出版なので、“あの戦争”から十分な時間がたっている。
その間長いあいだ、保阪さんは自分のかんがえを煮詰めてきたのだ。
保阪さんの著書の中の昭和史。
半藤さんとともに、いましばらくはじっと耳を傾けていたいと思わぬわけにはいかない。
このへんでBOOKデータベースからも引用しておく。
《昭和史研究の第一人者が出会った「戦争の目撃者たち」。東條英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂が残した「歴史の闇」に迫る。》
このうち、石原莞爾という存在も、軍人としては傑出した存在であったことがよくわかっておもしろかった。
だけどねぇ、「昭和の怪物 七つの謎」というタイトルはいかがなものか?
この新書のオビには「昭和史研究の第一人者が出会った“戦争の目撃者たち”」のコピーがある。
単に重要文献をあさり、書斎で書かれただけのものではなく、保阪さんはまめに関係者にインタビューをつづけている。
「第四章 犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか」
このあたりも読みごたえ十分な仕上がり♪ そうか、犬養道子さんは、幼いころ、祖父毅殺害の現場に居合わせたのか!!
昭和史研究の第一人者・・・そのことをわたしも認めたくなってきた^ωヽ*
犬養毅
石原莞爾
評価:☆☆☆☆
※下の2枚は画像検索によっています。著作権その他問題があればご連絡下さいませ。
Amazonのレビューを見ていたら、「タイトルが大げさ、『怪物』的な雰囲気が漂っているのは、石原莞爾と瀬島龍三くらいだろう、と書いていらっしゃる読者がいた。
ああ、そう思ったのはわたしだけじゃないねぇ。
ワクワクさせられたのは、「第三章 石原莞爾の『世界最終戦争』とは何だったのか」と、「第七章 吉田茂はなぜ護憲にこだわったのか」の章であった。
その中で、第七章はいささかびっくりさせられた。
《「今日わが国に対する疑惑は、日本が好戦国であり、いつ復讐戦をして、世界の平和を脅かすかも知れぬということが、日本に対する大きな疑惑となっている。先ずこの誤解を正すのが、今日われわれとして為すべき第一のことである。
つまりこの憲法は、「戦間期の思想」を持たないとの哲理を含んでいることを吉田は暗に認めている。「戦間期の思想」とは、戦争で失ったものを戦争でとり返すという考え方で、第一次大戦終結の1918年から第二次大戦開始の1939年までの21年間のナチス思想を具体的に指す。》(246ページ)
憲法第七条には、そういった配慮がこめられていたのだ。平和憲法の裏に、アメリカをはじめとする連合国の疑惑を払拭したいとの外交上の思惑があったのだ。
しかもそのことをあからさまにはできない・・・と吉田茂は考えた。日本自ら手足を縛って、これならどうかしらとたずねたことになる。
そして日米安保条約を締結することと引き換えに、真の独立を回復した。
これはまさに吉田の深謀遠慮というべきである・・・と保阪正康さんは見ている。
もう一つ、重要な条項が盛り込まれた。それが天皇に関する規定(。-_-。)
《天皇制が認められるか否かのかけ引きがあったときに、天皇の存在を憲法の中に明確にしたのは、(吉田茂の)なによりもの誇りだったのである。
この憲法は、天皇制に反対する戦勝国や論者たちから天皇を守る防波堤になっていると考えられていたのだ。》(240ページ)
天皇制に反対する戦勝国や論者たち!
多くの戦勝国はじめ、いまとは違って、左翼勢力が台頭し「天皇制打倒!」を叫んでいた。保守の政治家、吉田茂にとって、“防波堤”としての憲法擁護はプラスマイナスの差し引き勘定で、十分おつりがきたわけだ。
考えてみれば、現在だって、吉田茂が敷いたレールの上を日本は走っている。
保阪さんは、またこうも述べておられる。
《昭和26年(1951)年9月4日から8日まで、サンフランシスコのオペラハウスで講和会議が開かれた。正確には、「対日講和条約締結調印会議」というのだが、要はかつての大日本帝国が解体し、新たに日本国として再出発する「戦争清算」の会議ということができた。日本にとっては明治維新に次ぐ第二の開国という言い方で語ってもよかった。》(256ページ)
保阪さんの考察は、痒いところに、よく手が届いている。平成30年(2018)の出版なので、“あの戦争”から十分な時間がたっている。
その間長いあいだ、保阪さんは自分のかんがえを煮詰めてきたのだ。
保阪さんの著書の中の昭和史。
半藤さんとともに、いましばらくはじっと耳を傾けていたいと思わぬわけにはいかない。
このへんでBOOKデータベースからも引用しておく。
《昭和史研究の第一人者が出会った「戦争の目撃者たち」。東條英機、石原莞爾、犬養毅、渡辺和子、瀬島龍三、吉田茂が残した「歴史の闇」に迫る。》
このうち、石原莞爾という存在も、軍人としては傑出した存在であったことがよくわかっておもしろかった。
だけどねぇ、「昭和の怪物 七つの謎」というタイトルはいかがなものか?
この新書のオビには「昭和史研究の第一人者が出会った“戦争の目撃者たち”」のコピーがある。
単に重要文献をあさり、書斎で書かれただけのものではなく、保阪さんはまめに関係者にインタビューをつづけている。
「第四章 犬養毅は襲撃の影を見抜いていたのか」
このあたりも読みごたえ十分な仕上がり♪ そうか、犬養道子さんは、幼いころ、祖父毅殺害の現場に居合わせたのか!!
昭和史研究の第一人者・・・そのことをわたしも認めたくなってきた^ωヽ*
犬養毅
石原莞爾
評価:☆☆☆☆
※下の2枚は画像検索によっています。著作権その他問題があればご連絡下さいませ。