■「昭和の戦争」 ~保阪正康対論集(朝日文庫2009年刊)
たまたま昭和史、主として「あの戦争」に関心が向いているので、非常におもしろく読ませていただいた。
保阪正康さんの著書で、最後まできちんと読んだのはこれがはじめてかもね。1-2冊齧ったことがあったはずだけど、書棚から発見できなかった^ωヽ* いい加減に積み上げて置いてあるため、こういうことはよくある。
目次をざっと眺めてみよう。
半藤一利 「対米戦争 破滅の選択はどこで」
伊藤桂一 「一兵士が見た日中戦争の現場」
戸部良一 「統帥権が国を滅ぼしたのか」
角田房子 「帝国陸軍軍人の品格を問う」
秦 郁彦 「南京と原爆 戦争犯罪とは」
森 史郎 「『特攻』とは何だったのか」
辺見じゅん 「戦艦大和の遺訓 歴史は正しく伝わっているか」
福田和也 「ヒトラー、チャーチル、昭和天皇」
牛村 圭 「東京裁判とは何か」
松本健一 「近代日本の敗北、昭和天皇の迷い」
原 武史 「昭和天皇 未解決の謎」
渡辺恒雄 「『戦争責任』とは何か」
発言のいくつかをランダムに拾ってみる。
《戸部:だから「統帥権の独立があったから軍が暴走した」とは単純には言えないのですよ。本来の趣旨は、軍の政治的中立性を確保するためのものだったのですから。
「統帥権の独立」は、戦争指導のための制度ではないし、いわんや後年のように、軍による政治介入を意図してつくった制度ではないのです。》(61ページ)
《森:ダワーやグルーの本を読んでいると、日本とはやっぱりそうなのかなと思う。アッツ島玉砕というのが1943年(昭和18年)の5月にあるでしょう。あれは全員死亡ですよ。戦死ですよね。それを「玉砕」と言い換えて、美学的な領域に入っていく。》(134ページ)
《牛村:戦犯にはA級の他にBC級がいて、五千人ほどが訴追され約千名が処刑されています。このABCは単なる区分であり、罪の軽重を示すものではありませんね。》(187ページ)
長くなるからこここいらでやめておく。
これまで知っていたことは多少はあるが、未知だった“真相”が保阪さんとの対論の中で語られていく。本編はくり返し読み継がれていくべき一冊だろう。それだけの価値ある対論集であると思われる。
BOOKデータベースも念のため引用しておく。
《日本人の現在を考えるとき、昭和の一連の戦争を避けて通ることはできない。昭和のあの戦争は、日本人の何を変えたのか。そもそも日本はなぜ戦い、なぜ敗れたのか。対米戦争は、本当に不可避だったのか――。昭和史研究の第一人者が、12人の論者と語り合った対論集。「戦争責任」「開戦の選択」「軍人の品格」「戦争犯罪」「東京裁判」「昭和天皇」「特攻」など、さまざまな角度から「昭和の戦争」の真実に迫る。》BOOKデータベースより
巻措く能わず、ページを繰るのもいそがしく、一息に読んでしまった。
そのうち、半藤一利さん、戸部良一さん、辺見じゅんさん、福田和也さん、原武さんとの対論がとくに刺激的だった。
いくら反省してもしたりないのが「あの戦争」である。310万人もの尊いいのちが失われたなど、日本史上になかった惨事。貴重な発言の数々、心して読ませていただいた。
右翼でも左翼でもない。
政治的な偏向がなく、「事実はどうであったのか」を追究する、本当に信頼できる研究者たちとのみ、“対論”を積み重ねていると思われる。
評価:☆☆☆☆☆
■「あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書」(新潮新書 2005年)
本編は「あの戦争」について理解を深めるため、この上ない教科書である。
さて、四の五のいう前に、まずBOOKデータベースより引用させていただく。
《戦後六〇年の間、太平洋戦争は様々に語られ、捉えられてきた。だが、本当に総体として捉えたものがあったといえるだろうか――。旧日本軍の構造から説き起こし、どうして戦争を始めなければならなかったのか、引き起こした“真の黒幕”とは誰だったのか、なぜ無謀な戦いを続けざるをえなかったのか、その実態を明確に炙り出す。単純な善悪二元論を排し、「あの戦争」を歴史の中に位置づける唯一無二の試み。》
基本的なスタンスは、戦争を知らない世代へ向けた啓蒙の書である。
しかし、本文242ページのうちに、びっしりと充実した内容が、平易な語り口で盛り込まれている。
これはこの種の“教科書”の中の秀作であろう。わたしは「そうか」「そうだったか」と、うなずいてばかりいた(。-ω-)
《結果的に、その55分の遅延(宣戦布告の)は、アメリカ人に「日本に卑怯な騙し討ちをされた」、「ダーティ・ジャップ」との強い怒りを与えてしまう。》(103ページ)
《世界の教科書でも、みんな第二次世界大戦が終了したのは、9月2日と書かれている。8月15日が「終戦記念日」などと言っているのは、日本だけなのだ。》(234ページ)
歴史意識は、国によってことなる。そのことは百も承知であったが、8月15日が「終戦記念日などと言っているのは、日本だけ」と指摘されて驚いた。
保阪さんは、終戦とぼやかしていうのではなく、敗戦とはっきりいうきだ・・・と述べている。日本人と日本は、その“敗戦の事実”から出発したのである。
ことばの矢が、読者の心に、大いなる鋭い棘となって何本も、何十本も突き刺さってくる。
目次をおさらいしておこう。
第一章 旧日本軍のメカニズム
第二章 開戦に至るまでのターニングポイント
第三章 快進撃から泥沼へ
第四章 敗戦へー「負け方」の研究
第五章 八月十五日は「終戦記念日」ではないー戦後の日本
よくは知らなかったことがあまりに多いと反省しながらの読書となった。この薄いボリュームのうちに、基本事項がバランスよく収められている。おとなしい本に見えるが、同時にラディカルな味を背後に秘めている。だれかが書くべき“あの戦争”への入門書として推薦できる仕上がりである(^^;;)
平和馴れし、だらだらとした生活を送りながら、ロシアがウクライナへ侵攻したというニュースを他人事として眺めている日本。
あの侵攻の経過を見ていると、日本が中国、あるいは北朝鮮から戦争を仕掛けられたとして、アメリカ軍が、本気でこの国を守ってくれるだろうか・・・と思わざるをえない。
米軍基地があるから、侵略されれば反攻には出るだろう。
しかし・・・しかしアメリカは“アメリカの国益”のため、当然だが、それだけを考えている。
本編を読みながら、一読者として、日本の近未来に起こるであろう戦争、または紛争について想像力を働かせる。それは過去に学ぶ、歴史に学ぶことを知っている、大人の常識である。
だからこそ、「大人のための歴史教科書」ということばが添えられた。
日本人の心性は戦後になっても変わっていないのだから、保阪正康さんは、それを切実に憂えている。
戦後生まれで、あの戦争をほとんど知らない人向けに書かれたスタンダードな教科書入門編として、本書の持っているポテンシャルは高いものがあると思われた。
評価:☆☆☆☆☆
※下の2枚はネット検索によりお借りしました。ありがとうございます♪
※保阪正康さんの本はこんなものをスタンバイさせてある。いつ、どういったタイミングで読みはじめるかは決めていないが・・・。
こちらの2冊は昨日手に入れたばかり。
たまたま昭和史、主として「あの戦争」に関心が向いているので、非常におもしろく読ませていただいた。
保阪正康さんの著書で、最後まできちんと読んだのはこれがはじめてかもね。1-2冊齧ったことがあったはずだけど、書棚から発見できなかった^ωヽ* いい加減に積み上げて置いてあるため、こういうことはよくある。
目次をざっと眺めてみよう。
半藤一利 「対米戦争 破滅の選択はどこで」
伊藤桂一 「一兵士が見た日中戦争の現場」
戸部良一 「統帥権が国を滅ぼしたのか」
角田房子 「帝国陸軍軍人の品格を問う」
秦 郁彦 「南京と原爆 戦争犯罪とは」
森 史郎 「『特攻』とは何だったのか」
辺見じゅん 「戦艦大和の遺訓 歴史は正しく伝わっているか」
福田和也 「ヒトラー、チャーチル、昭和天皇」
牛村 圭 「東京裁判とは何か」
松本健一 「近代日本の敗北、昭和天皇の迷い」
原 武史 「昭和天皇 未解決の謎」
渡辺恒雄 「『戦争責任』とは何か」
発言のいくつかをランダムに拾ってみる。
《戸部:だから「統帥権の独立があったから軍が暴走した」とは単純には言えないのですよ。本来の趣旨は、軍の政治的中立性を確保するためのものだったのですから。
「統帥権の独立」は、戦争指導のための制度ではないし、いわんや後年のように、軍による政治介入を意図してつくった制度ではないのです。》(61ページ)
《森:ダワーやグルーの本を読んでいると、日本とはやっぱりそうなのかなと思う。アッツ島玉砕というのが1943年(昭和18年)の5月にあるでしょう。あれは全員死亡ですよ。戦死ですよね。それを「玉砕」と言い換えて、美学的な領域に入っていく。》(134ページ)
《牛村:戦犯にはA級の他にBC級がいて、五千人ほどが訴追され約千名が処刑されています。このABCは単なる区分であり、罪の軽重を示すものではありませんね。》(187ページ)
長くなるからこここいらでやめておく。
これまで知っていたことは多少はあるが、未知だった“真相”が保阪さんとの対論の中で語られていく。本編はくり返し読み継がれていくべき一冊だろう。それだけの価値ある対論集であると思われる。
BOOKデータベースも念のため引用しておく。
《日本人の現在を考えるとき、昭和の一連の戦争を避けて通ることはできない。昭和のあの戦争は、日本人の何を変えたのか。そもそも日本はなぜ戦い、なぜ敗れたのか。対米戦争は、本当に不可避だったのか――。昭和史研究の第一人者が、12人の論者と語り合った対論集。「戦争責任」「開戦の選択」「軍人の品格」「戦争犯罪」「東京裁判」「昭和天皇」「特攻」など、さまざまな角度から「昭和の戦争」の真実に迫る。》BOOKデータベースより
巻措く能わず、ページを繰るのもいそがしく、一息に読んでしまった。
そのうち、半藤一利さん、戸部良一さん、辺見じゅんさん、福田和也さん、原武さんとの対論がとくに刺激的だった。
いくら反省してもしたりないのが「あの戦争」である。310万人もの尊いいのちが失われたなど、日本史上になかった惨事。貴重な発言の数々、心して読ませていただいた。
右翼でも左翼でもない。
政治的な偏向がなく、「事実はどうであったのか」を追究する、本当に信頼できる研究者たちとのみ、“対論”を積み重ねていると思われる。
評価:☆☆☆☆☆
■「あの戦争は何だったのか 大人のための歴史教科書」(新潮新書 2005年)
本編は「あの戦争」について理解を深めるため、この上ない教科書である。
さて、四の五のいう前に、まずBOOKデータベースより引用させていただく。
《戦後六〇年の間、太平洋戦争は様々に語られ、捉えられてきた。だが、本当に総体として捉えたものがあったといえるだろうか――。旧日本軍の構造から説き起こし、どうして戦争を始めなければならなかったのか、引き起こした“真の黒幕”とは誰だったのか、なぜ無謀な戦いを続けざるをえなかったのか、その実態を明確に炙り出す。単純な善悪二元論を排し、「あの戦争」を歴史の中に位置づける唯一無二の試み。》
基本的なスタンスは、戦争を知らない世代へ向けた啓蒙の書である。
しかし、本文242ページのうちに、びっしりと充実した内容が、平易な語り口で盛り込まれている。
これはこの種の“教科書”の中の秀作であろう。わたしは「そうか」「そうだったか」と、うなずいてばかりいた(。-ω-)
《結果的に、その55分の遅延(宣戦布告の)は、アメリカ人に「日本に卑怯な騙し討ちをされた」、「ダーティ・ジャップ」との強い怒りを与えてしまう。》(103ページ)
《世界の教科書でも、みんな第二次世界大戦が終了したのは、9月2日と書かれている。8月15日が「終戦記念日」などと言っているのは、日本だけなのだ。》(234ページ)
歴史意識は、国によってことなる。そのことは百も承知であったが、8月15日が「終戦記念日などと言っているのは、日本だけ」と指摘されて驚いた。
保阪さんは、終戦とぼやかしていうのではなく、敗戦とはっきりいうきだ・・・と述べている。日本人と日本は、その“敗戦の事実”から出発したのである。
ことばの矢が、読者の心に、大いなる鋭い棘となって何本も、何十本も突き刺さってくる。
目次をおさらいしておこう。
第一章 旧日本軍のメカニズム
第二章 開戦に至るまでのターニングポイント
第三章 快進撃から泥沼へ
第四章 敗戦へー「負け方」の研究
第五章 八月十五日は「終戦記念日」ではないー戦後の日本
よくは知らなかったことがあまりに多いと反省しながらの読書となった。この薄いボリュームのうちに、基本事項がバランスよく収められている。おとなしい本に見えるが、同時にラディカルな味を背後に秘めている。だれかが書くべき“あの戦争”への入門書として推薦できる仕上がりである(^^;;)
平和馴れし、だらだらとした生活を送りながら、ロシアがウクライナへ侵攻したというニュースを他人事として眺めている日本。
あの侵攻の経過を見ていると、日本が中国、あるいは北朝鮮から戦争を仕掛けられたとして、アメリカ軍が、本気でこの国を守ってくれるだろうか・・・と思わざるをえない。
米軍基地があるから、侵略されれば反攻には出るだろう。
しかし・・・しかしアメリカは“アメリカの国益”のため、当然だが、それだけを考えている。
本編を読みながら、一読者として、日本の近未来に起こるであろう戦争、または紛争について想像力を働かせる。それは過去に学ぶ、歴史に学ぶことを知っている、大人の常識である。
だからこそ、「大人のための歴史教科書」ということばが添えられた。
日本人の心性は戦後になっても変わっていないのだから、保阪正康さんは、それを切実に憂えている。
戦後生まれで、あの戦争をほとんど知らない人向けに書かれたスタンダードな教科書入門編として、本書の持っているポテンシャルは高いものがあると思われた。
評価:☆☆☆☆☆
※下の2枚はネット検索によりお借りしました。ありがとうございます♪
※保阪正康さんの本はこんなものをスタンバイさせてある。いつ、どういったタイミングで読みはじめるかは決めていないが・・・。
こちらの2冊は昨日手に入れたばかり。