何だかんだといって、わたしは対談集が好き^ωヽ*
あとがきで丸谷才一さんが述べておられるように、バーかレストランか料亭かどこかで、飲み食いしながら語りあっているのである。くだけた調子になったり、談論風発、思いがけない発言が飛び出したりする。
本書は雑誌「中央公論」、1995年に行われた6回の対談を編集したものである。
丸谷さんも山崎正和さんも、よくしゃべる、しゃべる。なにしろ、こういった誌上対談を百回も行っているのだそうである。
「日本史を読む」(中公文庫)というのがあった。それに「日本の町」(ちくま文庫)があった。手許にはあるが、いずれも未読なので、これからのお愉しみ( ´◡` )
インテリといった場合、日本人ではこのお二人を思いうかべる。とにかく博覧強記、自由闊達、普通の大学教授など、足許にもおよばないだろう。
文春文庫には司馬遼太郎の対談集がたくさん収められている。しかし、丸谷:山崎対談は残念ながら一望できるようなシリーズにはなっていない。
まえがきを山崎さんが、あとがきを丸谷さんがお書きになっている。
目次を掲げておこう。
1. カメラとアメリカ
2.ハプスブルク家の姫君
3.匪賊と華僑
4.近代日本と日蓮主義
5.サッカーは英国の血を荒らす
6.辺境生まれの大知識人
《20世紀!人類史上全く例外的な100年。昭和史と日蓮主義から『ライフ』の女性写真家マーガレット・バーク‐ホワイトまで、ハプスブルク家最後の皇女から匪賊までを論じ、この時代の諸相を剔出した現代文明論。最も息の合った大知識人二人が20世紀とは何であったのかを考えようと、絶妙の話芸を繰りひろげる歴史対談。》BOOKデータベースより
飲み食いしながらの対談ということで、極めて大雑把だし、おそらく無責任な思い付きレベルの発言もあるだろうが、刊行するにあたって、あやまりは正しているはず。
「カメラとアメリカ」では「美しき『ライフ』の伝説 写真家マーガレット・バーク‐ホワイト」ビッキー・ゴールドバーク著、
「ハプスブルクの姫君」では「エリザベート ハプスブルク家最後の皇女」塚本哲也著が話題の中心として取り上げられている。
また「辺境の大知識人」では、「エリアーデ回想 一九〇七‐一九三七年の回想」「エリアーデ日記 旅と思索と人」(石井忠厚訳)を対談の発端に据えている。
一番おもしろかったのは、「辺境の大知識人」、つまりエリアーデを俎上にのせた対談であった( -ω-)。
なぜ辺境なのかというと、ミルチャ・エリアーデはルーマニア出身の大宗教学者なのである。何しろ8か国語を自在に使いこなしたという、なかば化け物じみた人物。
エリアーデはわたしの手に負えないことがわかっているため、一冊も読んだことがない。ネットで検索をかけると、あまたの情報、本の紹介等々がわんさか、わんさかと出てくる。
哲学、宗教学、心理学、文学その他のまたがっている巨人といっていいだろう。
日本では思想家吉本隆明さんや宗教学者の中沢新一さんあたりが影響を受けていると思われる。
いろいろ検索していたら「マイトレイ」という恋愛小説があることを知った。恋愛小説の範疇を極限にまで拡張した驚くべき作品で、翻訳で読めるし、激しい毀誉褒貶を浴びている。エリアーデは若い時代にインドで暮らしたことがあり、そのときの“恋愛体験”に基づいてこの作品を生み出したのだという。
う~む「マイトレイ」か!
そういえば池澤夏樹個人編集「世界文学全集」に、この「マイトレイ」は収録されていたぞ・・・と、うかつなわたしも気がついた。モラヴィアの「軽蔑」と抱き合わせだったから買わなかったのだ。
対談「辺境の大知識人」ではまったくふれられていないが、エリアーデはかなりの数の文学作品を書いていて、翻訳も日本で刊行されている。「マイトレイ」は単独で作品社からも刊行されている。要チェックですね(;^ω^)
連続対談「二十世紀を読む」は、この「辺境の大知識人」によって五つ星評価に格上げとなった。
山崎さんにいわせると、20世紀は1880年ごろからはじまり、ソ連邦の崩壊によって幕をおろしたのだそうである。
《宗教をもたない宗教的精神という時代、それこそが二十世紀であった》と、丸谷才一さんが述べている。このあたりで、知的興奮度が頂点に達している、とわたしにはおもわれた。
20世紀を鳥観図的に眺めて語ったものではなく、かなり恣意的な話題がてんこ盛りだが、どうしてどうして、存分に愉しめました。
書庫からほかの丸谷-山崎対談を発掘する必要があるのかもしれないなあ♪
評価:☆☆☆☆☆
あとがきで丸谷才一さんが述べておられるように、バーかレストランか料亭かどこかで、飲み食いしながら語りあっているのである。くだけた調子になったり、談論風発、思いがけない発言が飛び出したりする。
本書は雑誌「中央公論」、1995年に行われた6回の対談を編集したものである。
丸谷さんも山崎正和さんも、よくしゃべる、しゃべる。なにしろ、こういった誌上対談を百回も行っているのだそうである。
「日本史を読む」(中公文庫)というのがあった。それに「日本の町」(ちくま文庫)があった。手許にはあるが、いずれも未読なので、これからのお愉しみ( ´◡` )
インテリといった場合、日本人ではこのお二人を思いうかべる。とにかく博覧強記、自由闊達、普通の大学教授など、足許にもおよばないだろう。
文春文庫には司馬遼太郎の対談集がたくさん収められている。しかし、丸谷:山崎対談は残念ながら一望できるようなシリーズにはなっていない。
まえがきを山崎さんが、あとがきを丸谷さんがお書きになっている。
目次を掲げておこう。
1. カメラとアメリカ
2.ハプスブルク家の姫君
3.匪賊と華僑
4.近代日本と日蓮主義
5.サッカーは英国の血を荒らす
6.辺境生まれの大知識人
《20世紀!人類史上全く例外的な100年。昭和史と日蓮主義から『ライフ』の女性写真家マーガレット・バーク‐ホワイトまで、ハプスブルク家最後の皇女から匪賊までを論じ、この時代の諸相を剔出した現代文明論。最も息の合った大知識人二人が20世紀とは何であったのかを考えようと、絶妙の話芸を繰りひろげる歴史対談。》BOOKデータベースより
飲み食いしながらの対談ということで、極めて大雑把だし、おそらく無責任な思い付きレベルの発言もあるだろうが、刊行するにあたって、あやまりは正しているはず。
「カメラとアメリカ」では「美しき『ライフ』の伝説 写真家マーガレット・バーク‐ホワイト」ビッキー・ゴールドバーク著、
「ハプスブルクの姫君」では「エリザベート ハプスブルク家最後の皇女」塚本哲也著が話題の中心として取り上げられている。
また「辺境の大知識人」では、「エリアーデ回想 一九〇七‐一九三七年の回想」「エリアーデ日記 旅と思索と人」(石井忠厚訳)を対談の発端に据えている。
一番おもしろかったのは、「辺境の大知識人」、つまりエリアーデを俎上にのせた対談であった( -ω-)。
なぜ辺境なのかというと、ミルチャ・エリアーデはルーマニア出身の大宗教学者なのである。何しろ8か国語を自在に使いこなしたという、なかば化け物じみた人物。
エリアーデはわたしの手に負えないことがわかっているため、一冊も読んだことがない。ネットで検索をかけると、あまたの情報、本の紹介等々がわんさか、わんさかと出てくる。
哲学、宗教学、心理学、文学その他のまたがっている巨人といっていいだろう。
日本では思想家吉本隆明さんや宗教学者の中沢新一さんあたりが影響を受けていると思われる。
いろいろ検索していたら「マイトレイ」という恋愛小説があることを知った。恋愛小説の範疇を極限にまで拡張した驚くべき作品で、翻訳で読めるし、激しい毀誉褒貶を浴びている。エリアーデは若い時代にインドで暮らしたことがあり、そのときの“恋愛体験”に基づいてこの作品を生み出したのだという。
う~む「マイトレイ」か!
そういえば池澤夏樹個人編集「世界文学全集」に、この「マイトレイ」は収録されていたぞ・・・と、うかつなわたしも気がついた。モラヴィアの「軽蔑」と抱き合わせだったから買わなかったのだ。
対談「辺境の大知識人」ではまったくふれられていないが、エリアーデはかなりの数の文学作品を書いていて、翻訳も日本で刊行されている。「マイトレイ」は単独で作品社からも刊行されている。要チェックですね(;^ω^)
連続対談「二十世紀を読む」は、この「辺境の大知識人」によって五つ星評価に格上げとなった。
山崎さんにいわせると、20世紀は1880年ごろからはじまり、ソ連邦の崩壊によって幕をおろしたのだそうである。
《宗教をもたない宗教的精神という時代、それこそが二十世紀であった》と、丸谷才一さんが述べている。このあたりで、知的興奮度が頂点に達している、とわたしにはおもわれた。
20世紀を鳥観図的に眺めて語ったものではなく、かなり恣意的な話題がてんこ盛りだが、どうしてどうして、存分に愉しめました。
書庫からほかの丸谷-山崎対談を発掘する必要があるのかもしれないなあ♪
評価:☆☆☆☆☆