二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

浦雅春「チェーホフ」岩波新書(2004年刊)レビュー

2021年02月24日 | エッセイ(国内)
オビに、「没後100年の今、明かされる『桜の園』の作家の知られざる素顔」と銘打たれている。そうだ・・・もうそんな時間が流れたのだ。
この岩波新書は前に一度読んでいるので、今回が2回目。つい数年なのに、半分、いやそれ以上忘れている、あきれたことに(´・ω・)?
浦雅春「チェーホフ」はとても切れ味の鋭い、論旨明快な一冊。しかも深い“読み”。21世紀のチェーホフ論は、本書をはずしてはかんがえられないだろう。

《日常に生きる人びとの悲喜劇をやさしく見守り、穏やかで端正な作品を残したチェーホフ。そんな慎ましやかで愛すべき作家の相貌の裏には、「無意味」の深淵をのぞいた「非情」な世界が秘められていた。この世界からの脱出はいかにして可能か。没後百年の今、現代の抱える課題を先取りした作家の深層を、作品と生涯から具体的に読み解く。》(BOOKデータベースより)

チェーホフ最後の戯曲「桜の園」の読み方を、わたしはこの本で教わった。
それまで、神西清さん、福田恆存さん等の批評を指針としてチェーホフを読んでいた。あとがきに付された解説や、佐々木基一さんの「私のチェーホフ」(講談社, 1990)も参考にさせていただきながら、チェーホフが書き残した鬱蒼たることばの森を、てくてく散歩してきた。

そこに浦雅春さんが現れた。「かもめ」「桜の園・プロポーズ・熊」はスタンバイさせてある。チェーホフの初期のユーモラスな短編を集めた「馬のような名字」(河出文庫)も手許にあったはずだが、見つからない。
要するにクリアなスポットライトがあてられているのだ。本書を読んでしまうと、これ以外の読み方ができなくなってしまいそう。
第一章 作家チェーホフの誕生
第二章 サハリンへの旅
第三章 コミュニケーションへの渇き

この評論は三章によって構成されている。
翻訳家の立場から、じつによく読み込んでいる。浦さんの所説の説得力たるや、大したもので、名著といってもいいくらいであ~る(*・ω・) いや“名著”と断言しておこう。
略年譜をふくめ、200ページとちょっと。引用は的確だし、論証の手続きにも過不足なし。
第二章「サハリンへの旅」第三章「コミュニケーションへの渇き」はすばらしい出来映えである・・・と思う。
チェーホフ本人が、これを読んだらきっと苦笑いしただろう。

「中心の喪失」、「対話不全」、「意味からの自由」、「父親殺し」といったキーワードの使い方もうまい。
ただし、あくまで浦さんの“読み筋”である。これで100%満足してしまえば、わたしがチェーホフを今後読んでゆく、あるいは再読する意味が半減する。
「シベリヤの旅」や「グーセフ」、「かわいい女」などは何度読んでもまた読みたくなる。普段はシェークスピア以外戯曲を読んだことのないわたしにとって、最後の最後に、彼が喜劇「桜の園」を書き残した意味は非常に重い。

いまとなっては、写真集「チェーホフの風景」の存在も大きい。初期のユーモア短編群はまったく読んだことがないので、これからきっと、長いながいつきあいになってゆくにちがいない。かすみ目とたたかいながら、本がどうにか読めるあいだは。



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