二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

ディミヌエンドなしの人生 ~カラヤンの晩節

2020年07月12日 | 音楽(クラシック関連)
一冊の本を、たいへんおもしろく拝読したので、感想をしるしておこう。
川口マーン惠美「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」(新潮選書 2008年刊)がそれ。

思春期にカラヤンのLPを聴くことでクラシックの世界に入門したので、ベルリン・フィルの常任指揮者カラヤンの存在は特別なものがあった。
ベートーヴェン 交響曲第5番 運命
シューベルト 交響曲第7(8)番 未完成
チャイコフスキー 交響曲第6番 悲愴
ドボルザーク 交響曲第9番 新世界より

こういった親しみやすい、渾名がついた交響曲を、中学生のとき、LPで買った。音楽の授業で、M先生から教わった音楽だった。

《カラヤンは、自分が老いることに我慢がならなかったのです。だから、ひどい痛みを感じていても、自分を律していた。指揮をしたあと、一歩も歩けないほどひどい状態が続いていました。
オーケストラは、最後までカラヤンに対しては最高の敬意を表していました。
我々は、まだまだカラヤンとよい関係を保っていきたいと願っていたのです。それにもかかわらず、事態はどんどん悪化しました。
私が思うには、カラヤンの不幸は、「ヘルベルト、それはまずいよ。君は間違っているよ」と言ってくれる友人を一人も持たなかったことです。
彼は、結局、孤独で寂しい人間だった。》(本書140ページ。ただし適宜改行)

《カラヤンはね、自分の人生にディミヌエンドを持たなかったのですよ。生涯を通じて、クレッシェンド(だんだん強く)で生き抜いた。
私はね、ディミヌエンドはクレッシェンドと同じくらい、人生に必要なものだと思っています。
特に、年を取ってくるとね。》(本書142ページ。同じく改行)


今季は音楽に関連した書籍をおよそ20冊読んできたが、その中でも本書は出色の出来映え。
フルトヴェングラーやカラヤンに直接接し、彼らの指揮の下で長年にわたって演奏してきたベルリン・フィルのメンバー11人にインタビューを突撃敢行し、それをまとめた本なので、著者のひかえめな客観的な姿勢が好ましく思える。
なかでもコントラバス奏者、このとき87歳のハルトマンさんに、3回もインタビューを試みているのが眼を惹く。

音楽の本というと、ガイドBOOKか、とにかく褒めりゃいいという太鼓持ち記事か、好悪の情をぶちまけたような主観的な本か・・・そういったものがほとんどだからだ。

人間は、他の人間に、じつに多面的な存在をしめす。
フルトヴェングラーに対する楽団員の感想や意見、印象にのこるエピソードの数々が、しばしば反対向きに語られるのが興味深い。それはカラヤンについても同じ。

本書には二人のティンパニー奏者が登場する。
読みおえたあと、CDを聴きながら、ティンパニーの音が急に耳につくようになった(^^♪アハハ 
昨日耳にしたモーツァルトの第41番(ジュピター)なんてティンパニーがすごい、すごい!
ティンパニーこそ、打楽器の主役。要所要所で、素晴らしい活躍をしている。縁の下の力持ちだとかんがえていたが、どうしてどうして、そんなものではない。
ティンパニーは交響曲、管弦楽曲にたしかな、枢要な位置をしめている。

そのことを教えてもらっただけでも大きな収穫であった。
人間にとって、晩節をまっとうするとはこういうことなのだろう。カラヤンは晩節をまっとうすることができなかったのだ。そこに、悲哀の味が、濃くただよっている。

その一方、かつてのボス、フルトヴェングラーやカラヤンを語ることが、そのまま功成り名遂げた彼らの半生と、“老後”を語ることに通じている。
インタビューアが出しゃばらないので、本書は風通しのよい仕上がりになっている。
素晴らしきドイツの、素晴らしきおじいさんたちに、わたしも乾杯したくなった(・´ω`・)



評価:☆☆☆☆

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クロスプロセスのアサガオ | トップ | 乱れ雲 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音楽(クラシック関連)」カテゴリの最新記事