(「悲歌と祝祷」大岡信 箱から出した詩集本体表紙)
―承 前―
《風のゆらぐにつれ
陽は裏返つて野に溢れ
人は一瞬千里眼をもつ。》
イメージの拡がりが、読者を広々とした野原へつれ出す。ここを読んでいると、もしかしたら「祷」の注釈なのか・・・と思われてくる。ことばのつながり、連想の展開の仕方が、音楽が弾んでいるように美しい
《このいとしい風めが。
嘘つきのひろびろの胸めが。》
歌舞伎、または落語のセリフを模しているのか。大岡さんの哄笑が眼に見えるようではないか。
これはことばの名人芸である。
後半も引用しておこうと思ったが、長くなるのでやめておく。
「悲歌と祝祷」には22編が収録されている。
「冬」「朝・卓上静物図鑑」「渡る男」「少年」など、秀作を拾いあげていけばきりがない。最後には22編の作品すべてを、おいしくいただく・・・ことになる。
ああ、なんて見事なしゃれ、だじゃれ。大岡さんはあちこちで、ハメをはずし、愉しげに遊んでいる。
その遊びのありようを、一部抜粋してお目にかけよう( ´ー`)
《おまへ百まで おれ九十九まで
フォーク缺けたか
歯はまだか
ホッチョ 馳け鷹》
「朝・卓上静物図鑑」より
《焙烙(ほうろく)の睾丸(ホーデン)は
秋(オータム)の宝丹(ほうたん)ならん
この 爽やかな朝》
「湯瓶のかたにありて鍋釜をまもるか」より
《大気の繊(ほそ)い折返しに
折りたたまれて
焔の娘と波の女が
たはむれてゐる
松林では
仲間ツぱずれの少年が
騒ぐ海を
けんめいに取押ている
ただ一本の視線で》
「少年」より
小石が坂道をころがるように、ことばがころがっていく。極上のことば遊びであり、苦いユーモアである。1976年といえば、大岡さん45歳の砌。
「大気の繊(ほそ)い折返しに/折りたたまれて/焔の娘と波の女が/たはむれてゐる」
こういうイメージの紡ぎ出しに、わたしは大岡さんの名人芸を、たしかに感じる。まぎれもなく、彼自身の世界なのだ。
彼は批評家としての活躍がめざましかった。「折々のうた」では、驚くほど大勢の読者にめぐまれもした。「折々のうた」は、現代における最高の詞華集だと評された。
しかし、その一方で、詩人大岡信が、どれほど読まれ、親しまれているか、多少疑問がある。
「悲歌と祝祷」大岡信
「世間知ラズ」谷川俊太郎
この二冊の詩集は、大げさにいえば、わたしにとって運命の出会いと呼べないこともない。
先日「菅原道真」(岩波書店)を買ってきて読みはじめたばかりだが、大岡さんはその冒頭の一章を、「うつしの美学」の解説に捧げている。
いささかくどい・・・とおもわれるほど、執拗な論考である。
うつしは「写し」「映し」であり「移し」でもある。
このイメージの淵源は「悲歌と祝祷」のなかに、しっかりと組み込まれている。
(「詩人・菅原道真」岩波書店 「Ⅲ 詩人の神話と神話の解体」の章は見逃がせない)
(「万葉集」岩波書店 未読)
2017年に長逝されたので、早くも3年がたってしまった。丸谷さん、大岡さんは膨大な仕事をしたので、とてもそのぜんぶにはつきあいきれない。
日本文学における、21世紀的な、あらたなる動きに、可能なかぎり耳をすましてみようと、わたしはここにきて考えている。
作品も充実しているが、装幀、造本そのぜんたいが、じつに素晴らしい。
こういう詩集を世に送り出した大岡さんに、わたしはこころから尊敬・感謝を捧げたい♪
大岡信の第一詩集は「記憶と現在」(1956年)、第二詩集は「わが詩と真実」(1962年)であるが、それらのほとんどを、わたしは思潮社の現代詩文庫Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ(「大岡信詩集」「続大岡信詩集」「続続大岡信詩集」)で読んできただけ。本来なら大岡信の詩について語る資格はないといえる。
谷川さんにせよ、大岡さんにせよ、それら巨大な山脈のようにつらなっている作品の全体を見渡すのは、容易なことではない。とてもわたしの手には負えない、偉大な業績とすべきだろう。
ここでは「悲歌と祝祷」にかぎって、小論をまとめておく。しかも残念ながら、その一端にふれ得るのみである。
最後となったが、「風の説」の後半を、やはり書き写しておくことにする。
風の説 (後半)
別の風は運んでゐる。
つひにまともな言葉にまで熟さなかつた人語のざわめき
ああいふ人語は
仮死状態だとなぜこんなにもなつかしいのか。
すべての木(こ)の葉の繊毛に
こんもり露をもりあげる
気体の規則ただしい夜のいとなみも
かすかなざわめきに満ちてゐるのではないか。
人間は神経細胞(ニユーロン)の樹状突起をそよがせて
夜ごとあられの樹の液と
ざわめきを感応させてゐるのではないか。
そしてたがひのあひだには
もんどりうつて滑走し、あらゆる隙間を埋めることに熱中する透明な遊行者が
ふかい空間の綱を張ってゐるのではないか。
「あらゆる隙間を埋めることに熱中する透明な遊行者」とは、いうまでもなく大岡さんご自身である。「折々のうた」の何冊かに眼を通したことのある人なら、彼が詩における百科全書派=エンサイクロペディスト(encyclopedist:アンシクロペディスト)であったとかんがえないわけにはいかない。
いすれにせよ、わたしごとき浅学菲才の徒には歯が立たないのである(=_=)
※ 「詩人・菅原道真 うつしの美学」を読みおえたのでひと言つけくわえておこう。
「詩人・菅原道真」の「Ⅳ 古代モダニズムの内と外」の章も腰を据えた、なにかをえぐりだすような出来映え。大岡さんは、慎重な手つきながら、忘却の彼方にあった一人の詩人を掘り起こしてゆく。
「菅原道真はわれらの同時代の詩人なのだ」(200ページ)。
菅原道真のようなタイプの詩人は、日本の長い歴史のなかで、空前絶後だという。
批評家がたどりついた涯に見出した悲劇の詩人菅原道真。
詩人にして批評家・大岡さんの詩的言語をめぐる回遊。
「折々のうた」の旅が、その途中で出会った「歴史にうずもれた悲しい現実!」。
これを見とどけよ、と読者に向かっていっている。
以上 おしまい//
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。
―承 前―
《風のゆらぐにつれ
陽は裏返つて野に溢れ
人は一瞬千里眼をもつ。》
イメージの拡がりが、読者を広々とした野原へつれ出す。ここを読んでいると、もしかしたら「祷」の注釈なのか・・・と思われてくる。ことばのつながり、連想の展開の仕方が、音楽が弾んでいるように美しい
《このいとしい風めが。
嘘つきのひろびろの胸めが。》
歌舞伎、または落語のセリフを模しているのか。大岡さんの哄笑が眼に見えるようではないか。
これはことばの名人芸である。
後半も引用しておこうと思ったが、長くなるのでやめておく。
「悲歌と祝祷」には22編が収録されている。
「冬」「朝・卓上静物図鑑」「渡る男」「少年」など、秀作を拾いあげていけばきりがない。最後には22編の作品すべてを、おいしくいただく・・・ことになる。
ああ、なんて見事なしゃれ、だじゃれ。大岡さんはあちこちで、ハメをはずし、愉しげに遊んでいる。
その遊びのありようを、一部抜粋してお目にかけよう( ´ー`)
《おまへ百まで おれ九十九まで
フォーク缺けたか
歯はまだか
ホッチョ 馳け鷹》
「朝・卓上静物図鑑」より
《焙烙(ほうろく)の睾丸(ホーデン)は
秋(オータム)の宝丹(ほうたん)ならん
この 爽やかな朝》
「湯瓶のかたにありて鍋釜をまもるか」より
《大気の繊(ほそ)い折返しに
折りたたまれて
焔の娘と波の女が
たはむれてゐる
松林では
仲間ツぱずれの少年が
騒ぐ海を
けんめいに取押ている
ただ一本の視線で》
「少年」より
小石が坂道をころがるように、ことばがころがっていく。極上のことば遊びであり、苦いユーモアである。1976年といえば、大岡さん45歳の砌。
「大気の繊(ほそ)い折返しに/折りたたまれて/焔の娘と波の女が/たはむれてゐる」
こういうイメージの紡ぎ出しに、わたしは大岡さんの名人芸を、たしかに感じる。まぎれもなく、彼自身の世界なのだ。
彼は批評家としての活躍がめざましかった。「折々のうた」では、驚くほど大勢の読者にめぐまれもした。「折々のうた」は、現代における最高の詞華集だと評された。
しかし、その一方で、詩人大岡信が、どれほど読まれ、親しまれているか、多少疑問がある。
「悲歌と祝祷」大岡信
「世間知ラズ」谷川俊太郎
この二冊の詩集は、大げさにいえば、わたしにとって運命の出会いと呼べないこともない。
先日「菅原道真」(岩波書店)を買ってきて読みはじめたばかりだが、大岡さんはその冒頭の一章を、「うつしの美学」の解説に捧げている。
いささかくどい・・・とおもわれるほど、執拗な論考である。
うつしは「写し」「映し」であり「移し」でもある。
このイメージの淵源は「悲歌と祝祷」のなかに、しっかりと組み込まれている。
(「詩人・菅原道真」岩波書店 「Ⅲ 詩人の神話と神話の解体」の章は見逃がせない)
(「万葉集」岩波書店 未読)
2017年に長逝されたので、早くも3年がたってしまった。丸谷さん、大岡さんは膨大な仕事をしたので、とてもそのぜんぶにはつきあいきれない。
日本文学における、21世紀的な、あらたなる動きに、可能なかぎり耳をすましてみようと、わたしはここにきて考えている。
作品も充実しているが、装幀、造本そのぜんたいが、じつに素晴らしい。
こういう詩集を世に送り出した大岡さんに、わたしはこころから尊敬・感謝を捧げたい♪
大岡信の第一詩集は「記憶と現在」(1956年)、第二詩集は「わが詩と真実」(1962年)であるが、それらのほとんどを、わたしは思潮社の現代詩文庫Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ(「大岡信詩集」「続大岡信詩集」「続続大岡信詩集」)で読んできただけ。本来なら大岡信の詩について語る資格はないといえる。
谷川さんにせよ、大岡さんにせよ、それら巨大な山脈のようにつらなっている作品の全体を見渡すのは、容易なことではない。とてもわたしの手には負えない、偉大な業績とすべきだろう。
ここでは「悲歌と祝祷」にかぎって、小論をまとめておく。しかも残念ながら、その一端にふれ得るのみである。
最後となったが、「風の説」の後半を、やはり書き写しておくことにする。
風の説 (後半)
別の風は運んでゐる。
つひにまともな言葉にまで熟さなかつた人語のざわめき
ああいふ人語は
仮死状態だとなぜこんなにもなつかしいのか。
すべての木(こ)の葉の繊毛に
こんもり露をもりあげる
気体の規則ただしい夜のいとなみも
かすかなざわめきに満ちてゐるのではないか。
人間は神経細胞(ニユーロン)の樹状突起をそよがせて
夜ごとあられの樹の液と
ざわめきを感応させてゐるのではないか。
そしてたがひのあひだには
もんどりうつて滑走し、あらゆる隙間を埋めることに熱中する透明な遊行者が
ふかい空間の綱を張ってゐるのではないか。
「あらゆる隙間を埋めることに熱中する透明な遊行者」とは、いうまでもなく大岡さんご自身である。「折々のうた」の何冊かに眼を通したことのある人なら、彼が詩における百科全書派=エンサイクロペディスト(encyclopedist:アンシクロペディスト)であったとかんがえないわけにはいかない。
いすれにせよ、わたしごとき浅学菲才の徒には歯が立たないのである(=_=)
※ 「詩人・菅原道真 うつしの美学」を読みおえたのでひと言つけくわえておこう。
「詩人・菅原道真」の「Ⅳ 古代モダニズムの内と外」の章も腰を据えた、なにかをえぐりだすような出来映え。大岡さんは、慎重な手つきながら、忘却の彼方にあった一人の詩人を掘り起こしてゆく。
「菅原道真はわれらの同時代の詩人なのだ」(200ページ)。
菅原道真のようなタイプの詩人は、日本の長い歴史のなかで、空前絶後だという。
批評家がたどりついた涯に見出した悲劇の詩人菅原道真。
詩人にして批評家・大岡さんの詩的言語をめぐる回遊。
「折々のうた」の旅が、その途中で出会った「歴史にうずもれた悲しい現実!」。
これを見とどけよ、と読者に向かっていっている。
以上 おしまい//
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。