宗教界の戦争協力をテーマにした、BSNHK「戦禍のなかの僧侶たち」を視聴した。番組は浄土真宗の戦争協力が紹介されていたが、高野山だって怨敵調伏の護摩焚きをしていた。
「八紘一宇は建国以来の国是」と、宮沢賢治など、侵略戦争を無批判に賛美した文化人が多くいた時代、公然と戦争反対を訴えた人もいた。
そのなかの一人が、植木等さんの父親の浄土真宗の僧侶だった徹誠(てつじょう)で、戦争反対の他に部落差別問題にも取り組んでいたので、長男の等は「平等」に由来した命名。
徹誠は出征兵士に必ず生きて還ってこい、鉄砲は当たらないように撃ち、敵兵を殺してはいけないと激励したから、治安維持法違反で逮捕もされた。
僧侶不在の寺では、少年時代の植木さんが父親のかわりに檀家回りをしていたそうだ。
勝った!勝った!また勝った!と、日本中が戦果に浮かれていた時代、下町で運送業を営んでいた半藤一利さんの父親も、資源のない日本が戦争に勝てる訳がないと家族をたしなめ、敗戦後に進駐軍が日本の男を南方に連れていき奴隷にされる、女は妾にされるとの流言飛語に対しても、日本の男をぜんぶ南方に運ぶだけの輸送船などあるもんか、アメリカ兵にも奥さんがいるから、そんなバカなことがあるか!と一喝したそうだ。
国民の大多数が侵略戦争を賛美をして、敗戦で掌返しに「騙された!」と批判に転じた時流にあっても、超然とした態度を保ち、戦争批判をした人もいた。
そんな人に私もなりたい・・・ねぇ、賢治さん。