海にひらけた糸魚川市街の後背地が京ヶ峰の丘陵で、ここは長者ヶ原遺跡や稚児ケ池などヌナカワ姫伝説がおおく残る史跡エリアでもある。
拙宅のある「笛吹田遺跡」から、標高120mほどの主峰ピークから冬至の朝日が昇ってくるのが見える京ヶ峰は神備山であるとする主旨の論文「ヌナカワ祭祀圏のランドマーク」をみつけたので、稚児ケ池から主峰に登ってみた。
郷土史家によるものか稚児ケ池の東に、柳田権現(奴奈川神社)とする手書き看板をみつけた。
植林した杉林ばかりだと思っていた京ヶ峰は、頂上にコナラ?らしき広葉樹の疎林が残っていて、その北側から姫川河口付近の日本海が見え、たいへんな感動を覚えた。
見通しのわるい林から突然海がみえると感動しますな!
沿岸部の糸魚川駅からたった2キロの山中に広葉樹の林があることも、そこから日本海が見えることも知らなかった。
この丘陵は糸魚川市街地の水ガメなのだ。海岸部にも大量の水が必要な酒蔵が3つもあることに納得できた。
西からみた稚児ケ池。八千鉾神に夫神のヌナカワ彦を殺され、能登に拉致されたヌナカワ姫は逃げ帰り稚児ケ池の茅芦原にお隠れになった。そこをイズモの追っ手が火を放った・・・むごいことをするもんだ。
ということは明治まで柳田権現、柳形様とも呼ばれたプロト奴奈川神社たる稚児ケ池は、水の神を祀ったご神域?
主峰の日本海側の市街地には笛吹田遺跡のみならず、姫御前遺跡、南押上遺跡、後生山遺跡と弥生~古墳の玉作遺跡が密集している。
ヌナカワ姫は水の神として尊崇された?ヌナカワ姫は黒姫であり、黒姫はヌナカワ姫の母神とする口碑もあるが、もしや黒とは畔(田の畔の古語でクロと読む)であり、古墳時代においてはヌナカワ姫は水の神、田の神ではなかったか?そんな推理を愉しんでいる昨今。これは50年ほど前に「糸魚川市史」を編纂した青木重孝氏の論考に、黒姫の語源の考察を取り入れて発展させたもの。
拙宅裏に下るつもりが迷子になり、大幅に西にそれて翡翠園にでてしまったので、次はGPSをもって登ってみる。
稚児ケ池の周りにある「山崎三十三塚」の一部を40年前に発掘した報告書もみつけたので、読み込んでいるところだ。