「うわぁ、縄文時代にハートマークあったんですねっ!」とか
「カワイイ!ウサギちゃん?」とかの天真爛漫すぎる感想を言われるとオレは哀しい。
「矢じりペンダントですよ、矢じりのっ!」と説明すると「ヤジリってなんですかぁ?」とまで言われると、もうなんだっていい!好きに認識してちょうだい!と説明を諦める。
この経験が「ヒトの数だけ勾玉の意味がある」という学びに繋がってくる訳ですナ。お客様は神様でございマス。
試行錯誤の結果、ガラス質の無斑晶質安山岩にベストな加工を、やっとみつけた。
自分流のヒスイ加工をやってダメならダメなヒスイだと断定する同業者の声を聞くが、ヒスイならずとも主従関係を捨てて石にあわせた加工が必要だと思う。主役は作品なのであって作り手と原石はその構成要素。
柳生新陰流の「型あって型なし」という教えを自分の仕事で理解できるのだから、仕事も神様でございマス。