8年前の糸魚川大火ボランティアで知り合った南魚沼出身の友人の山崎一がSNSで、断水がつづいている能登島の給水ボランティア募集と投稿していたので手伝ってきた。
山崎の通称はいっつあんで、思うところがあって災害ボランティアに専念しているが、NPOにせずに個人ボランティアを必要に応じて募集する「お手伝いJAPAN」を運営している。NPOにすると義援金や助成金が人件費や事務経費に使われたりするし、規則が厳格になるので自由に動けなくなるから、あえて任意団体にしているのだ。
2月後半時点の現地入りはなんの規制もないが、ボランティアたるもの衣食住は自前の自己完結でなければならず、車中泊と自炊か、コンビニ弁当の食生活が原則になる。
富山から石川県にはいると損壊家屋が見えだし、能登島にはいった途端に道路が悪くなり、凸凹や片側通行止めも多くなった。
山道の県道をぬけて集落にはいると倒壊家屋が多くなる。悲惨な倒壊家屋の写真はインスタ映えするのだが、わたしは無闇に公開することは控えている。被災者の心情をおもんばかれば、見世物のように人前に晒すことはできなくなるからだ。
今回は能登島東部の鰀目(エノメ)で、いっつあんが自前で持ち込んだ給水タンクを積んだハイエースの給水と、車がなくてその恩恵を受けられない老人世帯への個々の配水が中心で、その活動のなかで被災者のニーズを掘り起こして対応するというもの。エノメ区長の許可をとって集会場の駐車場にハイエースの常駐と車中泊のベース基地にしてもらった。
定置網にブリが満杯になっても引き揚げる手段なくブリが腐っていくエノメ漁港に、正月の松飾がついたままの漁船が舫ってあった。ハングル文字が書かれたオレンジの浮きは糸魚川市にも漂着している。
給水ボランティアで拾い上げたニーズのひとつが、全壊したKさんのお手伝い。
奥の母屋や瓦礫の中から必要な生活物資や家財道具を搬出のお手伝い。
全壊認定をうけた母屋は傾いていて、ボランティアセンタ-から派遣されたNPO法人各のボランティアは一目で危険すぎると断った案件。全壊家屋であっても公費解体は7月以降に着工なので、当面の生活物資を出さないことには被災者は困るのだ。
Kさんの一番の悩みの種は、ご先祖が誂えた仏壇の搬出・・・推定重量200キロ!
K家の初代は明治期の村相撲の横綱。この方が仏壇や漆器などの家財を残したものであるらしい。
長押と仏壇のクリアランスは2センチほど。お寺さんに聞いたら横にしても斜めにしてもダメとのこと。最低は男が4人必要と算段する。
敷居は外れ柱は傾いているので公的ボランティアは逃げるわな。もっとも家の中まで入らずに外観だけで断られたそうだ。
壊れていると思った柱時計が時たまボーンボーンと鳴って、まだ生きてるてることを訴えている。
能登の被災地もまた生きている。
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