工房改装で材木の端材が沢山でたので、薪としていかが?とSNSに投稿した。
何件か欲しいと言ってくれる人がいて、真っ先に引取りに来てくれたのが高校美術部の後輩の滝君。
滝君は糸魚川駅ビルで居酒屋「多喜」の経営者で、以前から料理用の塩は、自宅前の弁天浜の海水を煮詰めて作っていて評判だった。
最近、塩の製造販売の許可をとったので、工房完成後にはぬなかわヒスイ工房でも売ってくださいというので、是非もない。
私の父方の先祖には、戦に敗れて上杉謙信を頼って越後に落ちてきた坂東武者がいて、江戸時代にはヒスイ海岸あたりに塩田を持ち、最盛期には3隻の船をつかって北前貿易で財をなしたそうだから、工房で塩を販売すると先祖も喜ぶだろう。ちなみに上杉謙信が甲斐に送ったとされる「義の塩」は、糸魚川産を含む越後の塩のことで、越中では能登産の塩の交易は妨害したと伝えられている。
しかも弁天浜は、私の海遊びの拠点だ。なぜだかヒスイにも海を感じる。
子供の頃、海の逆巻く波のなかに、白い泡、明るい黄緑、緑色、紺のグラデーションをみて、「オラはここから来た」とでもいうような胸が張り裂けそうな懐かしさを感じ、「この中に還りたい」と切望したことがあり、ヒスイを見ていても同じ感覚が蘇ってくる。
そういえば子供のころから北斎と横尾忠則が好きで、とくに北斎の「神奈川沖浪裏」にも同じ感覚を感じていたが、「弁天塩」のパッケージに使われているのは、滝君も何かを感じていたのだろうか。
なんの縁だか、「神奈川沖浪裏」のアングルの近くの借家を紹介されて住んでいたこともあったな。ある不思議な人から、北条政子に仕えた鎌倉武士時代に私が住んでいたから導かれたのですヨ、と言われたこともある。
海、船、塩、そしてヒスイ。工房改装の後には、ぬなかわヒスイ工房もまた生まれ変わる気がする。
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