ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

ラロトンガ行:ドライブ2日目

2016-07-12 | 旅行
4月のクック諸島ラロトンガ旅行は
土曜日に出発したのに日付変更線を跨ぐ関係で、
現地には金曜日に着き、一夜明けてまた土曜日
3泊してやっと月曜日となりました(笑)


レンタカーでのドライブ2日目
ブランチを済ませ、食後のコーヒーを求めてカフェへ

ここがカフェ


・・・・なわけはなく、前日に訪れた

クック諸島キリスト教会(CICC)


・・・・の正面にある、こちら



ビーチカンバー・ビルディング

1845年にイギリスの宣教師たちが建設した元教会施設
サンデースクールや教会として利用され、道を挟んだCICCの前身
国会制度が導入されるまでは国会代わりにも利用されていたそう。


しかし、その後長い間放置され一時は白壁だけを残す姿に



再建が始まっていた1967年、大型台風に襲われて

壊滅的被害を受け


再び長い間野ざらしに。



1992年に始まった再建で完全に過去の姿を取り戻し



今は黒真珠やアートのギャラリーになっています。



ここにカフェがあるのを知っていたのでやってきました。

こんなに大きな看板も出てる
ザ・カフェ


中もなかなかステキです。

海を見ながらコーヒータイムかな




ここのはず?
誰もいない?
椅子もテーブルもぐちゃぐちゃ?


店の真ん中に建材?
ペンキの缶も並んでいました。

やってないっ


そのとき、黒真珠のお店の人が来てくれ、
「カフェはオーナーが休暇中で休業してますよ。」
と教えてくれました。


休暇に行くなら

看板ぐらいしまっていこ~よ~


仕方なく、近所のLBVへ。



そう、ブレックファストもランチもディナーもあるはずが



土曜日の夜にがっつり閉まっていたあのLBVカフェ(笑)



観光客のハートも地元の人のハートもつかみそうな

かわいい店内


でもやっぱりココも、コーヒーは

まあまあ(笑)
(※ムリ店と一緒)
でも人口1万人の島ですから、わがまま言ってはいけません


その後は、クック諸島国立博物館へ。



前日は日曜日で閉まっていたので出直しました。



1823年に宣教師たちがこの島にやってきたとき、

アバルアを治めていたマケア・ポリ


イギリス人宣教師たちが身の安全に不安を感じ島を離れる中
タヒチ人宣教師パペヒアだけが布教のために残ることを決め
ポリはパペヒアの滞在を認め、身の安全を保証したそうです。


こんな昔からラロの正装は真っ白だったんですね。



展示物は年代も展示品の使い道もあまり関係なく(笑)



雑然と並んでいて、



かつての日用品が多かったかな?



これは漁に使うもの。



こんな感じはNZマオリの彫刻に似ています。



展示品であり

売り物であり
値段がついてます!


確かこれも展示品兼売り物

国立博物館なのに
大らかすぎっ(笑)


クック諸島の国旗の変遷が国の変遷を物語っています。

1901-1973年NZ領だったのでNZ国旗



1973-1979年
1965年に自治権を獲得し、NZとは自由連合に。1973年に国旗変更。
クック諸島らしいグリーンの時期もあったんですね。


1979年にユニオンジャックの入った現在のデザインに再度変更。

英連邦諸国としてブルーを基調に15の白い星は島の数なんだそう。



数日後、別のカフェにあった3月の新聞に(訪問したのは4月

ザ・カフェが4月1日~18日まで休業するという三行広告発見
こういうのが新聞に載っちゃうのね(笑)


もうちょっとドライブがつづきまーす


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