to be with my dogs

犬と私と羊...合言葉は「自然体」

心の旅

2013年08月30日 | 訓練のコツ

犬にとって「しつけ」と「服従訓練」は別のものだという人もいる。

確かに「しつけ」というのは日常生活を送る上で必要なルールを教えることだと思う。

「服従訓練」は?競技会で必要な技を身につけるもの?

先日も「蒼ちゃんはお散歩のときも横についてちゃんと歩けるんでしょ~」って言う人がいた。

確かに要求すれば歩ける。。。

でもね、歩き散歩は散歩だから、そんなに集中して歩かなくてもいいんじゃない?って思うけどな。

だから、犬たちは前を歩くし、引っ張るし。。。

だけど、引っ張っても「引っ張らないよ」って言うとやめる。

その程度の聞く耳は常に持ってる。

それが「しつけ」というものだと私は思う。

 

じゃ、訓練は?

私はそこを分けてないから分ける意味もわからないけどね。

でも一貫して思っているのは「服従訓練」は関係を築くツールにすぎないってこと。

例えば今蒼太でしつこく取り組んでる「行進中のフセ」だって、ゆっくり伏せても速く伏せてもできてることに変わりはない。

だけど、ゆっくりより速く伏せることが、蒼太にとって難しいなら、速く伏せることを練習することで蒼太の気持ちに少しでも近づける。

何故?ゆっくり伏せるのか?それを考えることで蒼太をより理解できる。

試験や競技に勝つためだけの厳しい「服従訓練」なんてホントつまらないと思う。

勝てないし。。。

勝つためには勝つためのトレーニングがあるんだと私は思う。

如何に楽しみ、如何にその気にさせるか。

それがクリアできても、最終的には精神力の強さなんじゃないか?と思うのだ。

ストレスやプレッシャーに対する強さが勝敗を決めるのではないか。

それは心を育てるということだ。

私は蒼太に心を育てられていると感じている。

同時に蒼太は私に心を育てられていると感じる。

「訓練には終わりがない」と皆が一様に思うのは心というものが関係しているから。

心というものは、深く、全てにおいて同じものはない。

その一瞬の統合を楽しむしかないのだ。

心の統合は、お互いを開くことでもあるから、勇気もいるし、強さもいる。

それを乗り越えたら、また一歩心が育ったということなんだろう。

延々と続く旅のようだ。