平等院鳳凰堂は平安時代後期(1052)、宇治関白藤原頼通によって建立されました。極楽浄土を再現し多くの堂舎が整備されていた平等院ですが、1336年の足利・楠の合戦によりほとんどが焼失してしまいました。現在は鳳凰堂、観音堂、鐘楼のみが残っています。創建当時のまま残っているのは、天喜元年(1053)建立された阿弥陀堂だけです。
三井寺にあった平等院という寺名を、平安時代に移したのがはじまりです。宇治平等院はもともと藤原頼通が父・道長の別荘を寺に改めたものです。道長は源融の別荘を譲り受けたものだといわれています。本尊の阿弥陀如来座像をはじめ、52体の雲中供養菩薩像、建物すべてが国宝です。1994年、世界遺産に登録されました。
鳳凰堂と呼ばれているのは本堂の形が羽を広げて飛び立とうとしている鳳凰に似ているという説と、大棟に鳳凰を乗せているという説があります。鳳凰堂(国宝)には仏師・定朝作の阿弥陀如来像が安置され、雲中供養菩薩像が長押の上で、雲に乗って音楽を奏しています。壁扉画と、日本三名鐘のひとつといわれる梵鐘ともに国宝です。
三井寺にあった平等院という寺名を、平安時代に移したのがはじまりです。宇治平等院はもともと藤原頼通が父・道長の別荘を寺に改めたものです。道長は源融の別荘を譲り受けたものだといわれています。本尊の阿弥陀如来座像をはじめ、52体の雲中供養菩薩像、建物すべてが国宝です。1994年、世界遺産に登録されました。
鳳凰堂と呼ばれているのは本堂の形が羽を広げて飛び立とうとしている鳳凰に似ているという説と、大棟に鳳凰を乗せているという説があります。鳳凰堂(国宝)には仏師・定朝作の阿弥陀如来像が安置され、雲中供養菩薩像が長押の上で、雲に乗って音楽を奏しています。壁扉画と、日本三名鐘のひとつといわれる梵鐘ともに国宝です。