裂石山(さけいしざん)・雲峰寺は天平17年(745)行基が開いたとされています。行基が修行中に落雷があり、石が裂けた後に十一面観音が出現したことから、その像を萩の木に刻んで開山したという言い伝えがあるのです。この寺は甲斐国の鬼門に位置するため代々国主の祈願所だったといわれます。永禄年間に火災のため荒廃しましたが、武田信虎によって再建されました。
もともと天台宗のお寺だったのが戦国時代に臨済宗妙心寺派に変わったそうです。天台宗は護摩を焚くので本堂には護摩を焚ていてた跡が残っています。この庫裏という建物は文化庁発行の文化財の本の表紙にもなっているということです。またこの中で映画「影武者」の撮影が行なわれたそうです。また、中里介山がこの寺に滞在して名作「大菩薩峠」を執筆したことでも知られています。
武田勝頼が天目山にて自害した後、家臣に託した武田家の重宝「日の丸の御旗」(家督相続の証である日本最古の日の丸)や「孫子の旗」、「諏訪神号旗」、「馬標旗」などが、ここに納められています。それら寺宝の一部が新しくできた宝物殿で公開されています。
もともと天台宗のお寺だったのが戦国時代に臨済宗妙心寺派に変わったそうです。天台宗は護摩を焚くので本堂には護摩を焚ていてた跡が残っています。この庫裏という建物は文化庁発行の文化財の本の表紙にもなっているということです。またこの中で映画「影武者」の撮影が行なわれたそうです。また、中里介山がこの寺に滞在して名作「大菩薩峠」を執筆したことでも知られています。
武田勝頼が天目山にて自害した後、家臣に託した武田家の重宝「日の丸の御旗」(家督相続の証である日本最古の日の丸)や「孫子の旗」、「諏訪神号旗」、「馬標旗」などが、ここに納められています。それら寺宝の一部が新しくできた宝物殿で公開されています。