大英寺の本堂及び表門は寛永元年(1624)真田信之が夫人小松姫の霊屋として建立したもので萬年堂とも称しました。明治初年大英寺の諸堂が取り壊された際この霊屋を同寺の本堂として代用したものです。表門・本堂とも長野県宝に指定されています。
小松姫(大蓮院)は徳川四天王の一人として名高い本田忠勝の娘です。後に家康の養女となりました。信之が西軍につかず徳川に味方したのは養女といえ家康が父に当ることからだともいわれています。
見樹院殿の墓があります。真田信之の二女で母は大蓮院殿(小松姫)です。夫の佐久間備前守安次が死去した後、上田に帰り上田城、西の台に住んだことから西の台殿と呼ばれ、松代に移封してからは二の丸殿、信之が隠居してからは柴殿と呼ばれました。
小松姫(大蓮院)は徳川四天王の一人として名高い本田忠勝の娘です。後に家康の養女となりました。信之が西軍につかず徳川に味方したのは養女といえ家康が父に当ることからだともいわれています。
見樹院殿の墓があります。真田信之の二女で母は大蓮院殿(小松姫)です。夫の佐久間備前守安次が死去した後、上田に帰り上田城、西の台に住んだことから西の台殿と呼ばれ、松代に移封してからは二の丸殿、信之が隠居してからは柴殿と呼ばれました。