旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

岡山後楽園

2014年09月15日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市後楽園に岡山後楽園があります。
 後楽園は旭川の中洲にある島公園で、水戸偕楽園、金沢兼六園とともに日本三名園の一つに数えられています。曲水の庭園としても名高く、総面積は13万3千平方メートル(1万7千坪)と広大です。
 後楽園は貞享4年(1687)岡山藩主の池田綱政が家臣の津田永忠に命じて造らせた庭園です。14年の歳月をかけて元禄13年(1700)頃完成させました。
 開園当初は岡山城の後ろに造られた園という意味で「後園」「御後園」と呼ばれていたそうです。明治4年(1871)に、「後楽園」と改められたそうです。
 「天下の憂いに先じて憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」という中国の諺から「先憂後楽」の後ろ2文字をとって後楽園と名付けられたようです。
 後楽園は明治17年(1884)までは池田家の茶屋屋敷でした。その後岡山県に譲渡されて一般公開されるようになりました。
 後楽園の様式は江戸初期の造園法である遠州流を用いています。有名な桂離宮に良く似ていて、その趣向も数々の特色を持っています。
 特色の第1は林泉回遊式といわれるもので、歩くにしたがって風景が変化するように作庭されていることです。第2は借景の様式です。備前富士、操山、烏城などが借景として生かされています。
 第3に旭川の水が水路、池、滝、池と4段階に利用され、見事な造園技術を示していることです。第4には広大な芝生と広々とした沢の池が対照をなし、瀬戸内海のような明快さと優美さを備えたものになっていることです。

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岡山城小納戸櫓下石垣

2014年09月14日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市丸の内に岡山城があります。
 岡山城には小納戸櫓下の石垣があります。池田忠雄が寛永年間初期(1620年代)に築いた石垣で、搦め手の廊下門脇を守る小納戸櫓が上に建っていました。
 一帯の石垣の石材は犬島(岡山市犬島)から運ばれたとみられる割石でいろいろな刻印が記されています。これらの石垣も国の特別名勝となっています。

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六十一雁木上門

2014年09月13日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市丸の内に岡山城があります。
 岡山城には六十一雁木上門があります。本段から川手に通じる石段道の上にある門で、段が61段あったことから名付けられました。階段の下に本格的な櫓門がありましたが、ここにも門を設け万全を期していました。両門とも明治になって取り壊され、昭和41年(1966)にこの門だけが木造で再建されたものです。

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岡山城古い石垣

2014年09月12日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市丸の内に岡山城があります。
 岡山城内には地中に埋もれていた古い石垣があります。今から400年ほど前、宇喜多秀家が岡山城を築いたときの石垣だそうです。江戸時代の初めに城を改造するときにこの石垣を埋め中の段を北側に広げたようです。平成5年(1993)の発掘調査で発見されたそうです。

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岡山城不明門

2014年09月11日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市丸の内に岡山城があります。
 岡山城の不明門(あかずのもん)は中の段から本段に上る正門です。表書院(藩庁)の南端から本段(城主居館)へ上がる石段の入口に設けられています。明治の廃城後取り壊されましたが昭和41年(1966)に鉄筋コンクリートで再建されました。
 城主の平素の出入りは北端の渡り廊下を通っており、不明門はほとんど開かれることがなかったのでこの呼び名があるそうです。本段には藩主が日常生活を営む御殿があり、入ることができたのは、特に限られた身分の人であったようです。

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岡山城廊下門

2014年09月10日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市丸の内に岡山城があります。
 岡山城の廊下門は本丸の北側から中の段に上るための裏(搦手)門です。表書院(中段)から本段(上段)に渡した長廊下の下手に設けられています。月見櫓と同じく元和元年(1615)から寛永9年(1632)の間ぐらいに池田忠雄によって建てられたようです。
 廊下門は藩主が御殿外にいる藩士や奉公人に全く顔を見せずに各御殿を行き来することができるように造られました。しかし、この門は明治の廃城の時に取り壊されました。現在の建物は昭和41年(1966)に鉄筋コンクリートで再建されたものです。

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岡山城天守閣礎石

2014年09月09日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市丸の内に岡山城があります。
 岡山城には天守閣の礎石があります。国の特別名勝に指定されています。天守閣は昭和20年(1945)6月29日の空襲で焼失しました。昭和41年(1966)にコンクリートの天守が元の位置に再建されました。天守台内部を刳り抜いて地下室を設けたため、礎石のみこちらに移し配置されたのです。

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岡山城月見櫓

2014年09月07日 | 旅 歴史


 岡山県岡山市丸の内に岡山城があります。
 岡山城の月見櫓は西丸西手櫓とともに国の重要文化財に指定されています。月見櫓は、岡山城本丸を構成する一二三の段の2段目にあたる中の段の北西角を固める隅櫓です。
 月見櫓は池田忠雄が岡山城主の時の、元和元年(1615)から寛永9年(1632)の間ぐらいに建てられたと推察されています。構造は、一部地下付きの塗籠造り、本瓦葺きの2階建てです。城外から眺めると2層の望楼型に見え、城内から眺めると3層の層塔型に見えます。
 初層は東西5間、南北4間、2重は方3間です。西面では下重に入母屋破風を付けています。内側の東西と南面には手摺り付きの縁が廻っていて月見などの宴も行ったのではないかと思われます。

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岡山城

2014年09月06日 | 旅 歴史
 岡山城は最初はもっと西にある石山という小さい丘の上にあり、大永年間(1521-28)金光備前によって築かれた石山城が始まりといわれています。当時、沼城に居城を置いていた宇喜多直家は金光宗高を謀殺し、天正元年(1573)に石山城に入り、城の改修と城下町造りを始めました。
 現在の岡山城の姿にしたのは直家の息子である宇喜多秀家だといわれています。岡山という丘に本丸が建てられたことから岡山城と称され、城下町も岡山と呼ばれるようになったようです。
 天正18年(1590)から城の大改修を始め、慶長2年(1597) に完成させました。旭川の流路を現在のように直し、三重の堀を廻らしました。天守閣は、野面積みの石垣を持つ平面不等辺五角形の天守台に、3層6階で安土城を模して天守閣を築いたのです。黒い下見張りの外観を持つことから「烏城」とか「金烏城」と呼ばれました。
 五大老でもあった宇喜多秀家は関ヶ原の戦いでは西軍に組しました。慶長5年(1600)この合戦に敗れ、八丈島へ流されました。代わって筑前国名島より小早川秀秋が52万石の大名として入封しました。2年後の慶長7年(1602)に秀秋は急死し、嫡子がいなかったため没収されてしまいました。
 慶長8年(1603)池田忠継(ただつぐ)が28万石で入城しました。忠継はこの時わずか5歳でした。忠継の母は徳川家康の娘の督姫であったことから城主になれたようです。異母兄の池田利隆が藩政を代行し、慶長9年(1604)領内検地を実施し、兵農分離、夫役の廃止などを行いました。
 わずか17歳で忠継は病没し、元和元年(1615)、同母弟の池田忠雄(ただかつ)が家督を継ぎました。寛永7年(1630)小姓の渡辺源太夫が河合又五郎に殺害されるという鍵屋の辻の決闘事件があり、脱藩した又五郎をかくまった旗本と外様大名の争いに発展しました。寛永9年(1632)忠雄は31歳の若さで没しました。
 忠雄の嫡男光仲が家督を継ぎましたが、幼小であることから因幡国鳥取へ転封となり、代わって鳥取から池田家宗家である池田光政が入封しました。光政は寛文10年(1670)日本最古の庶民の学校として閑谷学校を開き、教育の充実と質素倹約を旨とした「備前風」といわれる政治姿勢を確立しました。
 岡山郡代官・津田永忠を登用し、干拓などの新田開発、百間川(旭川放水路)の開鑿などの治水を行い、産業の振興も奨励しました。光政は水戸藩主・徳川光圀、会津藩主・保科正之と並び、江戸時代初期の3名君と称されました。
 以来池田氏が32万石をもって代々この地を治め、明治まで続きました。明治維新になり廃城になりましたが、天守閣、月見櫓、西丸西手櫓、石川門は残りました。しかし太平洋戦争中の昭和20年(1945)6月29日の空襲で天守閣と石山門が焼失してしまいました。
 西丸西手櫓と月見櫓だけは戦災を免れ、ともに国の重要文化財に指定されています。また本丸、櫓、門、旧本丸などの石垣、内濠及び日本3名園の一つの後楽園は国の特別名勝となっています。
 昭和41年(1966)岡山大学に残されていた設計図を基にして鉄筋コンクリート造りの天守閣が再建されました。内部は展示品を展示し、5・6階の展望室からは、後楽園が見えます。平成9年(1997)築城400年を機に、金箔瓦と金の鯱に改修され、かっての「金烏城」を再現させました。
 岡山城は天守を中心にして櫓35棟・多門6棟・城門32棟で固めた天下の堅城でした。三重6階の天守閣は全国的に見てもめずらしい不等辺5角形の天守台となっています。また荒々しい野面積の石垣も魅力です。城址は烏城公園として整備されています。

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吉備津神社犬養木堂像

2014年09月05日 | 旅 歴史
 吉備津神社には犬養木堂像が建てられています。御釜殿の近くの道路を挟んだ駐車場の奧にあります。木堂は号で5.15事件で暗殺された犬飼毅元首相で、地元の大庄家の出身です。
 近くには旧犬養家住宅があり犬養木堂記念館となっています。明治中期から昭和初期にかけて政党政治の確立に貢献した、清廉潔白なすぐれた政治家であったそうです。昭和5年(1930)5月15日、有名な「話せばわかる」と言う言葉を残し、海軍青年将校の凶弾に倒れたのでした。

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千代の富士優勝額

2014年09月04日 | 旅 歴史
 吉備津神社には元横綱千代の富士の優勝額が奉納されています。昭和61年1月場所で優勝した時の額で、吉備津神社の氏子で横綱千代の富士の後援会長を務められた人が納めたそうです。

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吉備津神社銅鐘

2014年09月03日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市吉備津に吉備津神社があります。
 吉備津神社の銅鐘は永正17年(1519)に社務代の生石兵庫助藤原家秀たちによって国家安康を祈って奉納されたものです。国の重要美術品に指定されています。神仏習合時代に造られたものが享保17年(1732)に境内にあった三重塔破却事件が起こり、元文2年(1737)に幕府裁定が寺院敗訴となって神仏分離運動が加速された遺品の一つだそうです。

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吉備津神社御神木

2014年09月02日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市吉備津に吉備津神社があります。
 吉備津神社には御神木の大いちょうがあります。樹齢は600年という巨木です。いちょうの木が神木となっているのはめずらしい感じがします。

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吉備津神社稚児慰霊社

2014年09月01日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市吉備津に吉備津神社があります。
  吉備津神社には稚児慰霊社があります。心ならずも稚児となった子供の御霊、口惜しくも幼くしてなくなってしまった子供の御霊をお祀りしているお社です。
 広大な境内には多くの攝社や末社が祀られています。多いときには72の末社があったと伝えられています。

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