少し前の話になりますが今年の正月休みに歩いた話を記念と記録のために書き残こすことにしました。よろしくお付き合いください。
前回歩いたのが昨年の11月の事。京都山崎駅を出発して西国街道を通るルートを自宅までの20キロを歩いて帰ってきました。
それからしばらくして正月休みに入り、とら母(嫁)とまた歩こうかという話になりました。
で、コースをどこにするかになったわけですが、これを決めるのって意外と難しく、なかなかルートが見つかりません
まずは距離。
前回実際に歩いたのが22キロで、さすがに20キロ超えは長すぎました。なので今回は欲張らず15キロくらいにすることにしました。
次にコースですが、自宅をゴールにしてしまうとルートがどうしても限られ、知った道ばかりになって面白みに欠ける気がしました。
じゃあということで、家に帰ってくるのではなく何処かの駅から何処かの駅までにして、全然知らない土地を歩けるようにしました。
歩き始めの駅については、そこまで行くのに時間が掛かりすぎると歩く時間が減るので、できるだけ効率よく行けれる所ということで、
必然的に東海道線(京都線)になりました。
地図と路線図を眺めながら乗り継ぎが少なくて、行ったことがないところ・・・何となく滋賀あたりがいいように思えました。
そのことをとら母に伝えたところ前回の西国街道つながりで「中山道は?」と言ってきました。なにやら草津は中山道だけでなく東海道もあるとのことでした。
中山道に東海道。
どっちもいいけど、どっちの方がいい?
街道のどの部分を歩く?
色んなルートを考えましたが最終的に東海道を端から順番に歩くことにしました。
ということで歩き旅の第三弾は京都三条から大津までの10キロコースを歩くことにしました。
1月5日
10時過ぎに家を出発。
阪急電車に乗って11時過ぎに終点河原町に到着。
鴨川に架かる四条大橋まではほんの少し。
向こう側に見える橋が三条大橋です。
夏になると川沿いのお店が川の上まで店を広げる"納涼床"が有名なところ。
娘はまだ8才。
ハトや雀がいるだけでうれしそうにします。
夜になるとアベックがメジャーで測ったくらい等間隔で座る光景が見れたり、風情ある風景が楽しめるこの川べりも、平安時代から江戸時代までは処刑場。
さらし首の場所だったそうです。
娘に処刑場やさらし首の話をしても意味が理解できず、ネットでさらし首を検索してようやく理解してくれました。
江戸を出発して伊勢参りをして京都・大阪まで旅する滑稽本「東海道中膝栗毛」の主人公の弥次さん喜多さんの銅像。
お昼だったので少し腹ごしらえ。
途中何かお店があったら入ろうということでコンビニでおにぎりを買って弥次喜多の像の横で頂きました。
"いくら娘"は毎度のいくら入りのおにぎり。
三条大橋の擬宝珠(ぎぼし:橋の欄干の柱の上の飾り)に刀傷があると看板に書いてあったので探してみました。
池田屋騒動の時に付いた新選組の刀傷だそうです。(中央あたりの黒くなった所)
こんな"歩き"でもしない限り知らなかったことだと思います。きっといろんなところで見過ごしていることがあるんだと思います。
東海道は江戸日本橋を起点にしているので"逆打ち"になるのでしょうか。
12時11分 三条大橋からスタートします。
三条通りの白川橋。
気付かなかったのですがこの橋の袂に「史跡三条白川橋道標」という京都市内の現存最古の道しるべがあったそうです。
この白川をも少し進むとよくドラマの撮影が行われるスポットがあるそうです。
有名な欄干の無い石作りの細い橋「白川一本橋」もその橋の向こう側にあります。
坂本龍馬 妻お龍「結婚式場」跡。
この建物で結婚式を挙げたかのかと思ったのですが、実際は建物は無関係で碑があるだけ。
歴史好きでもなく、にわかウォーカーな私なので碑だけしか残ってないと寂しく思ってしまいました。
余談ですが現建物の前は東山ユースホステルだったそうです。
ユースホステルっていまではあまり聞かないですが自分が子供のころは旅人が泊まる宿と言えばユースでした。
格安で夕食後にミーティングがあってみんなが集って話をしたりゲームをしたり。それが旅の楽しみの一つだった時代でした。
ちなみに坂本龍馬とお龍は日本で初めて新婚旅行をした夫婦だそうです。
娘がトイレに行きたいというのでグーグルマップで公園を検索。
コロナの影響でこの界隈のコンビニではトイレの利用ができない状況でした。
東海道を逸れてトイレの公園を目指すと大きな鳥居がありました。
平安神宮の鳥居でした。
鳥居の近くにあった「岡崎公園」。
公園と聞いてはしゃぐ娘。
市電の中は観光・情報発信スポットということでしたがコロナの影響でか閉まってました。
公園と言ってもブランコと小さな子供が乗る遊具が少しあるくらい。
それでも一通り遊ばないと気が済まないみたいです。
公園の脇にあった街燈はガス燈?
公園を後にし再び東海道に戻って東に進みます。
13時過ぎ。
寄り道してここで約2キロ。
ときおり古い家があって見ていて飽きないです。
古いレンガ造りの建物は「関西電力 蹴上発電所」。
関西地方で流れる関電のテレビCMで、佐々木蔵之介さんの"パワーウィズハート"でおなじみらしいですが、日記を書くのに調べるまで知りませんでした。
日本最初の水力発電所らしいです。
発電所を過ぎてすぐのところで突然、目の前に軌道跡のようなものが目に留まりました。
坂道になっていてよく見えなかったので、進行方向とは違いましたがちょっと進んでみたら線路がありました。
線路の幅が異様に広いです。「三十石船と蹴上インクライン」と書かれた看板があったのですが"インクライン"の意味が分からず理解不能。
"インクライン"(傾斜鉄道)は産業用のケーブルカーということらしいです。(ケーブルカーは旅客営業用の名称だそうです)
昔、京都にとって琵琶湖の水を引くことは夢だったそうで、水路を作って大津から湖水を引いたのが「琵琶湖疏水」(明治23年)。
その疏水を物資の運搬(水運)として利用するのにここは急斜面で船では行き来ができなかったので、船ごと台車にのせて往来させたのが
「蹴上インクライン」ということでした。(明治24年運航開始)
スマホでこのQRコードを読み取るとインクラインの風景をVR体験できますので、興味がある人は見てみてください。
(追記 こちらからPCで直接見れるみたいです https://www.biwakososui-vr.com/3dcgvr/jp/vr/incline.html)
京都上下水道局のHPから引用した水路の断面図。
この地(図中左端)が急斜面(1/15 高低差約36メートル)なのが分かるかと思います。
京都上下水道局 https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/index.html
京都上下水道局 琵琶湖疏水のご紹介 https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000007153.html
疏水について参考資料 疏水百選一覧 http://www.inakajin.or.jp/Portals/0/pdf/sosui/sosui_hyakusen.pdf
"インクライン運転の仕組み"看板から
台車を巻き上げる電動機の出力は35馬力だそうです。興味のある人はじっくり読んでください。
頂上付近
あっちが琵琶湖側になります。
歩いているときは"何のこっちゃ"な感じで理解できなくて、こうやって日記を書いてようやく蹴上インクラインのことが分かりました。
13時30分
出発して1時間半でまだ3キロ。全行程の1/3。
つづきはまた。
ではでは。