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大した人生ではないけれど,それでも読み返せば思い出されるあのときのこと.消えないように,そして生きた証になるように

歩き旅 東海道を歩いてみた 京都三条~大津編 その3 山科区御陵から追分まで

2021-04-05 04:22:53 | 歩き旅

少し間が開いてしまいましたが京都三条から大津までの東海道を歩いた時のことの続きを書きたいと思います。

その2(粟田口峠、日ノ岡峠から山科区御陵)はコチラ

 

山科の御陵にあるコンビニで豚まんとコーヒーでちょっと休憩。

三条から歩き始めてここ山科区御陵までで5.6キロ、3時間が経過しました。

 

 

 

 

15時半に再び歩き始めました。

東海道と言っても京都の主要な道で、通り過ぎる人にしてみれば、ただただ普通の道。

そんな普通の道ですが、私たちにしてみれば見慣れない街並みや景色は新鮮。

何気ない道をぷらぷらと歩いていると、時折「何?」「何故?」っていうのがあったりします。

 

 

 

そういったものを拾いながら歩いています。

寄り方がハンパない。

 

 

 

 

 

ブログを書きながら時折、通った道をGoogleEarthで調べたりします。これってムッチャ便利。

そこで見つけた密着スクーターの訳。

そうだったのね~。

引用:https://www.google.co.jp/maps

 

 

 

 

大津に向かい歩いていて次にあるはずの「五条別れ」が見つかりません。

それっぽいものはなくて、あるのは「山階寺跡(やましなでらあと)という違う石標だけ。

 

 

 

 

 

道路看板には「五条別れ」の文字がある。

あっちウロウロ。こっちウロウロ。

でも周囲を探すけど何も見つからない。

色々調べたら、どうやらここは「五条別れ」ではなく単に五条別れ"交差点"みたい。

 

 

 

 

 

五条別れ交差点でウロウロしていた時に通り過ぎたスクーター。

何か普通と違うと思ったら出川哲朗さんの「充電させてもらえませんか」に出てくるヤマハの電動スクーターでした。

メカからでる音と走行音だけしかしないので静かでした。

 

 

 

 

路地を少し北上して見つけた本当の「五条別れ」。

石標は幕末の宝永4年(1707)に建てられたもので「左ハ五条橋 ひがしにし六条大佛今ぐまきよみず道」「右ハ三条通」と刻まれてあり、

"別れ"は分かれ道で、三条と五条の方向を示しているものでした。

京都だからか、東海道を歩いてこう言った石標を多く見かけます。

この石標は古いものなので歴史を感じられていいのですが、中には真新しい石標や看板があるだけで何も残っていないものもあって、そういうのってどうかなと思ったりしました。

 

 

 

 

再び歩き出した私達。

誰が付けたのかわからない風車。

 

 

指でそっと回してみる。

 

 

 

 

"五条別れ交差点"まで戻って大津に向かって歩く。

ふとグーグルマップを見ると今歩いている道が東海道でないことに気付いた。

やってしまいました。東海道とばかり思っていたのは実は三条通りでした。

 

 

 

 

このまま東海道に出てもよかったんですが、できれば東海道を走破したい、そんな思いがあったので元来た道を戻ることにしました。

戻る地点はあの密着スクーターがあった三差路。

青看板には三条大橋まで5Kmの文字が。

「戻るのはちょっとだけ」と娘に言い聞かせて元来た道を戻る。ごめんよ娘。

 

 

 

 

密着スクーターの三差路から東海道をリスタート。

2キロのロス。きつい。

 

 

 

 

旧三条通り

平安時代以降、都と北陸、関東を結ぶ大動脈として栄えたとありました。

時折残る古い民家。

エアコンの上に置いている置物も私たちのような街道を歩く者を和ませてくれます。

 

 

 

 

五条大橋を出て10キロ。既に5時間が経過。全行程の半分程度しか歩いていないのに既に時刻は4時半を回ってしまっています。

軌跡を見ると迷走しているのがよく分かります。

 

 

 

あちこちに"なすび"の提灯みたいなのが飾ってある。

 

 

 

時世を反映してマスクしてるのもありました。

後で調べたらこの界隈のマスコットキャラだそうで、その名も「もてなすくん」

山科なすびをモチーフにしているらしく、名前の由来は「おもてなし」と京野菜の「山科なすび」。

 

 

 

 

愛宕(あたご)常夜灯。建立は1855年2月。

お多福のお面。縁起物なので縁起担ぎでしょうか。

 

 

 

 

消火器の上にも何か置いてありました。

 

 

 

 

山科駅前。随分開けてます。

時刻は5時前、お腹も空いてくる頃。

餃子の王将を見たら、「晩御飯は王将」とつい思ってしまうのが歩き旅の常。

 

 

 

 

 

毘沙門堂(びしゃもんどう)の看板。

毘沙門堂は七福神のひとり、毘沙門天を祀る天台宗の寺院。

 

自分にとって毘沙門と言えばリフトでお馴染みに株式会社 スギヤスのビシャモン

自動車用のリフトでもお馴染みで、運搬業者でも「ビシャモン持ってきて」と言えばハンドリフトが出てくるほど有名。

ウチのバイクリフトもビシャモンの低床リフトでちょっと自慢。

"世界のBishamon"です。

 

 

 

直ぐ近くに鳥居があった。

諸羽神社の一の鳥居。

 

 

 

 

またほんの少し歩くと別のお寺があった。

石標には「十禅寺」とあるが、それはその奥にあるお寺で、これは徳林庵(とくりんあん)という神社。

ほんとにたくさんの社寺がある。

 

 

 

京都東IC近く。

緩やかな上り坂が続く。

一番わかりやすい"車石"の説明看板があった。

 

 

 

 

看板から察するに個人の方が設置したもの。感謝

 

 

 

 

 

5時を回り日が暮れてきた。

1号線を越えるためにルートが複雑で分かりにくかった。

 

 

 

 

 

京都と滋賀の県境。

 

 

 

 

 

 

 

国道1号線と161号線の分岐と名神京都東が交わるIC。

国道1号線は琵琶湖の東を通り三重の鈴鹿や四日市を経て名古屋に通じ、国道161号線は琵琶湖の西を通り敦賀へ通ずる主要な分岐点。

 

 

 

17時38分

目の前の大きな高架道は名神高速。

走ったことのある人は分かってもらえるかと思いますが、名神上りを京都東ICを過ぎて、それまでの街中を走る風景から急に両側が山に囲まれた道になるのがこの辺りです。

 

 

 

 

三条大橋から大津宿までは10キロ足らずの行程のはずが、まだ滋賀に入っただけなのにすでに12キロを歩いていました。

あと3分の1ほど残っています。

長くなったので続きはまた次回。

ではでは。