パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

梅紛争

2022年06月21日 | 夫ネタ
6月21日(火)雨

梅を大量にいただいた話はしました。
昨年いただいた時に東京の義弟Bに送ったらサワーを作ったとのことで、子供3人があっという間に飲んだという話だった。
で、今年も前回いただいた時に少々送った。
そうしたら今年は早速醤油梅にして、もうつまみとして食しているという話だった。
もしやサワーにするには梅が少なかったのかもなあと気になっていたので、今回大量にもらったからまた送ったら?と夫に言うと・・・
何を思ったのか、東京の友人に送ろうかなと言い出す。
ここら辺のニュアンスというか、彼の脳内がよくわからない。
と言うか、自分の気持ちとか考え、あるいはその状況を多く語らない人ゆえ、こちらが想像しなければならない。
義弟Bから、もう要らないと言われたのか。
はたまた夫が、一回送っているから義弟Bには送らないでいいと考えたのか。
が、次になぜ東京の友人Cさんの名前が出てきたのか?
今まで何か面白いものがあったら送るような仲ならわかる。
しかし、いまだかつておくりものをした記憶はない。
これがマンゴーならいいのだ。
たくさんもらって食べきれない。なまものだから傷んでしまう。もらってくれない?
しかし、梅はどうだ。
生梅は何らかの手を加えねばならない。
砂糖だったり塩だったり蜂蜜だったり味噌醤油等々。
それに伴う道具もいる。
最悪ジップロック、瓶、タッパー等々。
もっと言えば手間もかかる。
アクを抜いたり、洗ったり、ヘタを取ったり、水気を拭いたり・・・

頭の中にクエスチョンマークやらを浮かべつつ夫に言う。
「人様に物を送ると言うのは簡単なことではないのだよ」
常識を疑われたとカチンときたのか夫が「梅要る?ってメールしたよ。」
いやいやいやいや、そう言うことじゃない。
つか「要る?」って聞かれて「要らない」と答えられる人はあまりいない。
いや、全く食べないもの飲まないもの嫌いなものなら言うかもしれない。
ビール飲まない人に「ビール要る?」は「お酒飲まないからね〜要らないよ」はわかる。
「蕎麦いる?」に蕎麦アレルギーのある人は「アレルギー持ってるのよぉ〜要らないわ。」
これもまた角が立たない断り方だろう。
好き嫌いのはっきりするようなものならわかりやすい。
「納豆が山ほどあるんだけど要る?」「あらぁ〜うち誰も食べないのよぉ〜」とか。
しかし、梅。生梅である。
梅干しなら「あまり食べないから要らないわ」と言えるかもだが、梅干しにするも梅酒にするも梅サワーにするもあなた次第よ。なんでも作れるわよ的なものは逆に厄介だ。
とは言えもうメールしてしまったなら送る前提で物事を進めねばならない。
梅は、商売用に出してるという大きくて綺麗なものを別にいただいているのでそれを送るとして、あとは鹿児島名物の何かを添えて送るべし。
ナマモノだからね、クール便で送らなきゃあっという間に完熟梅になる。
つか、これがまだ「はしり」の頃なら良かった。
でももう最後の収穫の時期である。
珍しさもないし、価格もどんどん下がっている。
うちの近所の100円ショップ(←無人販売所)にも売られている、もちろん100円で。
こういうことを一気にまくし立てる妻。
理想主義者な夫は苦虫つぶしたような顔で聞いている。
わかるよ、わかる、そういう義理的な付き合いじゃなくて、「たくさんもらったからどうぞ」という気軽な気楽な感じで送るだけだって言いたいのでしょう。
でも、そういうわけにはいかんのだよ。
実際、身内である義弟Bんちからも、去年デカイ牡蠣が届いたでしょ。
それまでお中元お歳暮のやり取りをするような感じでもなかったのに。
何かもらったら皆さん何かしら気に留めて、お返しをされるんだよ。
もらったものだからお気遣いなく!と言ってもそういうわけにはいかないんだよ。
梅だけポンと送っといて、何かいただき物して慌ててまた何か送り返すというみっともない事だけはしたくないのよワタクシ。

というか、そもそもをワタクシに丸投げしてくれればまだ良いのだ。
夫は、自立している夫は、妻を信用していない夫は、自分で色々やる。
義弟んちにも自分で送る。
友人んちにも自分で送るはずだ・・・が、世間はそうは取らないだろう。
妻が送ったと思われるのだよ、未だ昭和な世代は。
実際、彼が送ろうとしている友人も、珍しく夫婦仲の良いところである。
そのほかの仲間達は離婚していたり夫婦仲が最悪だったり。
そういうところへ送ろうと思わないところは、おそらく梅仕事をする存在(←妻)の有無に依るところだろう。
 
とは言え、何にせよ早く送らなきゃ、こういうナマモノは時間との勝負だよと口うるさくせきたてるも「メールの返事が来ないんだよなあ」
メールを見る習慣がないのか、はたまた返事に困っているのか。
そうこうしているうちに青梅は完熟梅へと色づいていく。
だから言わんこっちゃない。
もうこれは送れません!と手腰で仁王立ちの妻の顔は鬼の形相。
送られてきたものが傷んでたらと考えてごらんよ、送り主に「半分くらい腐ってたよ〜」と言える?
ほとんど使えなかったのにお返しはしなきゃいけないという理不尽さに打ち震えることになるんだよっっっ。

我ながら次から次へとよくもまあネガティヴなことを思いつくものだ。
でも、まだ言いたいことの半分くらいしか言ってない気がする。
それくらい「ものをあげる」ということはワタクシにとって色々考えさせられることなのだ。
そして、「ものをもらう」ということも。
奇しくも夫婦で梅紛争を繰り広げていた日は父の日で、東京の娘からお洒落なクラフトコーヒーなるものが届いた。←今日の一枚
去年はエビスビールの詰め合わせだったのだが、貧乏性の夫はずっと呑まずにいて、長期帰省した娘がムッとしながら「呑まないならあたしが呑む!」と呑んでしまった。
そして、今年は、「アルコールはまた呑まないかもしれないから、賞味期限のあるものにした!」とのこと。
ありがたがって呑まないとか、大事にしすぎてとか、それはあげた人に失礼な話だが、これまた夫にはよくあること。
あげるのももらうのもヘタな人だ。
それはイコール人づきあいのヘタにもつながる気がする。

長い!いつもに増して長い!
この長さなら、もし夫が気まぐれで読み始めたとしても途中で読むのを止めるであろう。
だから、少々悪意がにじみ出てるけど、まあいいでしょ、ワタクシの愚痴のはけ口にさしてもらいましょ。
コメント (5)
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