9月20日(火)晴れ

地元の南日本新聞に「朝の文箱」というリレーエッセイがある。
紙面第一面に掲載されるそれは、鹿児島にゆかりのある方々が書いておられる。
先週日曜、それを読んで不快になった。
元NHKアナウンサー島村俊治氏の随想で、タイトルは「信州から薩摩を思う」
東京と長野の2拠点での悠々自適の暮らしぶりが綴られている。
そして、その長野で、赴任歴のある鹿児島の事を思い出してますよという話だ。
ワタクシが何に苛立ったか。
彼曰く、長野は信州、鹿児島は薩摩と、両県民とも昔の呼び名を好んでいると。
ええ、確かに私達鹿児島県人は薩摩半島と大隅半島という二つの半島から成り立っている地形や、歴史的な背景もあって、薩摩、大隅という名称を好んで使っている。
ゆえに、島村氏に申し上げたいのは、鹿児島を語るなら「大隅」という呼び名を一度でいいから書くべきでしたという事。
島村氏は「信州は長野県全域」と調べておられる。
「薩摩が鹿児島県全域」ではない事はお調べにならなかったのか。
そもそも、鹿児島でニュースを読まれていたならご存知のことではないのか。
茨城栃木論争が面白いのは自虐も含め当事者達が言い合っているからであり、現に我が家も大隅人の夫と薩摩おごじょの私でよく薩摩大隅論争が勃発する。
しかし、鹿児島を懐かしがるていを取りながら一切大隅という言葉を出されないのは片手落ちだろと憤る薩摩人。
ワタクシが大隅を田舎だなんだと馬鹿にする分にはいいのだ。
だが部外者に、大隅を無きものの様に扱われるのは腹が立つ。
ふとした時にまた思い出しては、ムカつく。
これが信濃毎日新聞に寄稿するなら良しとする。
しかし、鹿児島で一番読まれているであろう南日本新聞に寄稿するなら、読む側に大隅半島の人間もいる事をなぜ思わない。
最後の締めのあたりの「信州の秋、薩摩の皆さんにお見せしたいもので、ごわす」
まさか鹿児島に赴任してる時に大隅半島出身者とトラブったのか?
こんな綺麗な信州の秋を大隅の人達に見せてたまるか、と思ってる?
まさかね。
彼の中で、鹿児島イコール薩摩なのであろう。
「ごわす」とか、今や誰も使わない鹿児島弁を持ってこられることまで腹立たしい。
寄稿依頼しておきながら、検閲のような事をしたくないのかもしれないが、南日本新聞社には大隅半島出身者はおらんのか。
昨夜早く寝すぎて夜中目が覚めた。
また思い出す(←粘着質)
とうとう南日本新聞の読者投稿欄に怒りの投稿をする事を思いつく。
しかし、ここで問題発生である。
文字制限・・・
たった400字。
いつも言いたいことは二千字でまとめるワタクシに、400字でとは酷な話。
でも怒りを治めるためにも頑張る。
しまいにはカッコを外し、読点を省き、ちょうど400字に納めてメールで投稿。
とは言え、寄稿された文への批判めいた投稿は採用されないだろうなあ。
一週間待って、掲載されなかったら、今度はワタクシが、自分の手で、世界に発信するからいいのさ。
ちなみに、言いたいことの半分も言えないまま400字に収めたのが下記。
9月11日付の朝の文箱を読んで不快になったのは私だけか。
元NHKアナウンサー島村俊治氏の随想「信州から薩摩を思う」
長野の別荘で悠々自適の生活の中、赴任歴のある鹿児島の事を思い出してますという話。
長野は信州、鹿児島は薩摩と、両県民とも昔の呼び名を好んで使うとある。
確かに私達鹿児島県人は二つの半島から成り立っている地形や、歴史的背景もあり、薩摩大隅という名称を好んで使っている。
ゆえに島村氏に申し上げたい。鹿児島を語るなら大隅という呼び名を一度でいいから書くべきだった。
島村氏は「信州は長野県全域」と調べておられる。
「薩摩が鹿児島全域」でない事くらい、鹿児島でニュースを読まれた事があるならご存知のはず。
茨城栃木論争が面白いのは当事者達が言い合うからであり、現に大隅人の夫と薩摩人の私でよくバトルする。
しかし、鹿児島を懐かしがるていを取りながら一切大隅という言葉を出されない点に憤る薩摩おごじょであった。
「薩摩おごじょであった。」の最後の句点、マルでちょうど400字。ふ〜っ!
ってことで、一週間待っても掲載されなかったのでプンプンしながらブログで発信する。
今日の一枚は・・・
薩摩半島南端の知林ヶ島へ渡る砂州。
はるか遠くに見えるは大隅半島。

地元の南日本新聞に「朝の文箱」というリレーエッセイがある。
紙面第一面に掲載されるそれは、鹿児島にゆかりのある方々が書いておられる。
先週日曜、それを読んで不快になった。
元NHKアナウンサー島村俊治氏の随想で、タイトルは「信州から薩摩を思う」
東京と長野の2拠点での悠々自適の暮らしぶりが綴られている。
そして、その長野で、赴任歴のある鹿児島の事を思い出してますよという話だ。
ワタクシが何に苛立ったか。
彼曰く、長野は信州、鹿児島は薩摩と、両県民とも昔の呼び名を好んでいると。
ええ、確かに私達鹿児島県人は薩摩半島と大隅半島という二つの半島から成り立っている地形や、歴史的な背景もあって、薩摩、大隅という名称を好んで使っている。
ゆえに、島村氏に申し上げたいのは、鹿児島を語るなら「大隅」という呼び名を一度でいいから書くべきでしたという事。
島村氏は「信州は長野県全域」と調べておられる。
「薩摩が鹿児島県全域」ではない事はお調べにならなかったのか。
そもそも、鹿児島でニュースを読まれていたならご存知のことではないのか。
茨城栃木論争が面白いのは自虐も含め当事者達が言い合っているからであり、現に我が家も大隅人の夫と薩摩おごじょの私でよく薩摩大隅論争が勃発する。
しかし、鹿児島を懐かしがるていを取りながら一切大隅という言葉を出されないのは片手落ちだろと憤る薩摩人。
ワタクシが大隅を田舎だなんだと馬鹿にする分にはいいのだ。
だが部外者に、大隅を無きものの様に扱われるのは腹が立つ。
ふとした時にまた思い出しては、ムカつく。
これが信濃毎日新聞に寄稿するなら良しとする。
しかし、鹿児島で一番読まれているであろう南日本新聞に寄稿するなら、読む側に大隅半島の人間もいる事をなぜ思わない。
最後の締めのあたりの「信州の秋、薩摩の皆さんにお見せしたいもので、ごわす」
まさか鹿児島に赴任してる時に大隅半島出身者とトラブったのか?
こんな綺麗な信州の秋を大隅の人達に見せてたまるか、と思ってる?
まさかね。
彼の中で、鹿児島イコール薩摩なのであろう。
「ごわす」とか、今や誰も使わない鹿児島弁を持ってこられることまで腹立たしい。
寄稿依頼しておきながら、検閲のような事をしたくないのかもしれないが、南日本新聞社には大隅半島出身者はおらんのか。
昨夜早く寝すぎて夜中目が覚めた。
また思い出す(←粘着質)
とうとう南日本新聞の読者投稿欄に怒りの投稿をする事を思いつく。
しかし、ここで問題発生である。
文字制限・・・
たった400字。
いつも言いたいことは二千字でまとめるワタクシに、400字でとは酷な話。
でも怒りを治めるためにも頑張る。
しまいにはカッコを外し、読点を省き、ちょうど400字に納めてメールで投稿。
とは言え、寄稿された文への批判めいた投稿は採用されないだろうなあ。
一週間待って、掲載されなかったら、今度はワタクシが、自分の手で、世界に発信するからいいのさ。
ちなみに、言いたいことの半分も言えないまま400字に収めたのが下記。
9月11日付の朝の文箱を読んで不快になったのは私だけか。
元NHKアナウンサー島村俊治氏の随想「信州から薩摩を思う」
長野の別荘で悠々自適の生活の中、赴任歴のある鹿児島の事を思い出してますという話。
長野は信州、鹿児島は薩摩と、両県民とも昔の呼び名を好んで使うとある。
確かに私達鹿児島県人は二つの半島から成り立っている地形や、歴史的背景もあり、薩摩大隅という名称を好んで使っている。
ゆえに島村氏に申し上げたい。鹿児島を語るなら大隅という呼び名を一度でいいから書くべきだった。
島村氏は「信州は長野県全域」と調べておられる。
「薩摩が鹿児島全域」でない事くらい、鹿児島でニュースを読まれた事があるならご存知のはず。
茨城栃木論争が面白いのは当事者達が言い合うからであり、現に大隅人の夫と薩摩人の私でよくバトルする。
しかし、鹿児島を懐かしがるていを取りながら一切大隅という言葉を出されない点に憤る薩摩おごじょであった。
「薩摩おごじょであった。」の最後の句点、マルでちょうど400字。ふ〜っ!
ってことで、一週間待っても掲載されなかったのでプンプンしながらブログで発信する。
今日の一枚は・・・
薩摩半島南端の知林ヶ島へ渡る砂州。
はるか遠くに見えるは大隅半島。