紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

新人賞に応募していた頃

2005-02-01 06:10:56 | 2・仕事の周辺
アーサー=ランサムのような物語を書けないかと考えてからの8年間。
その間、ずっと同じ物語を書いていたわけではなくて、その2年前にも、姉妹編ともいうべき別の話しを、同じ新人賞に送って、選外になっていた。その時書いた原稿は、約900枚。

私のBlogを読んで、ランサムの本を図書館から借りて読むことにした良流娯さんは、「ずしりと重い」本だとコメントを残してくれた。ランサムの物語は、原稿用紙にして、約700~800枚。
子ども達の日常が、ゆったりとした流れの中で、こと細かに描かれている。そして、ゆるゆるとしたペースで、メインの事件に流れ込んで行く。
とにかく、私の目標であり師であるランサムの後を追おうとすると、原稿枚数は必然的に多くなってしまうのだった。

子どもの本として出版するためには、長すぎて、話しにならなかった、というのを知ったのは、新人賞をもらってからだ。
以下に、「創作入門教室」に書いた文章を抜粋する。

「私は毎日三枚、五枚と書いていったが、以前のように進むのがのろくて、いやになるということはなかった。高い山でも、一歩一歩ほんの少しずつ歩みを進めていけば、頂上に着くように、物語も一枚、二枚と書き続けていれば、いつかは終りがくるだろうと考えられるようになっていた。

そうはいうものの、山だって、途中まで登ってあきらめれば、それでおしまいだ。原稿用紙が百枚を越えた時、私ははじめて、もしかしたら、これは最後までいけるかもしれない、と希望を持った。途中で、赤ん坊が生まれたが、書き続け、原稿用紙の山は、しだいに増えていった。考えついた文章は、一つ残らず削ることをせずに書く、という方針だったので、やたらと長くなってしまった。

そして、書きはじめて半年、ようやく「ぼくらの夏は山小屋で」の姉妹編は九百枚で完結した。これを清書するのが、また一仕事だったが、私は育児の合間にそれをやり終え、一般公募していた講談社児童文学新人賞に送った。

もちろん、選外だった。二年後、新人賞に入選した時、講談社の人から、「長すぎてそれだけでも、話しにならなかった」といわれた。最近では、募集要項には、原稿は百枚以上、五百枚以下となっている。その時も、せめてそうなっていてくれれば、私も倍近い原稿を書かなかったと思うが、それはいいわけである。」

そうして、新人賞、一回目の挑戦は、あえなく失敗に終わった。

(4番目に好きな物語は、「長い冬休み」。写真は、ランサムの舞台、湖の地図。ランサム自身による地図も、物語の世界に入り込むのに重要な役目を果たしている)

◆ランサムの物語に関連して
 「アーサー=ランサムとの出会い」
 「ランサムの物語に出会って」
 「その後」
 「新人賞に応募していた頃」
 「物語の長さ、すなわち原稿枚数 」