紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

山、また山

2005-02-10 21:22:30 | 3・山の日記
明日2月11日は、奥多摩の川乗山に登ってきます。一緒に行くのは、夫が属している築地山岳会の人たちと。私は初めて参加させてもらいます。

<2月11日>

立川 7:05→ 奥多摩 8:23→(バス)川乗り橋

→(登り 3時間30分) 川乗山 (1363m)

→(下り 2時間35分) こり駅


というコースのようです。詳しい時間は不明。

この山行で、奥多摩の山の上の方がどんなか雪のようすを見てきて、つぎの日曜日、2月13日に、また奥多摩の御前山に登りに行きます。雪の山が初めての良流娯さんと娘、それにホイッスルの喜多村さんと行く予定です。

むかしの杉並・つづき

2005-02-10 12:39:04 | 9・昔の風景
きのうむかしの杉並のことを書いたところ、あいあいさんが次のコメントを残してくれた。
あいあいさん、ありがとう。

「若い頃、久我山に1年間だけ一人暮らしをしたことがあります。よく、神田川を歩いて井の頭園まで散歩しました。
それにしても、紅蓮さんが子どもの頃といえば、それほど昔ではないですよね。その頃、久我山を馬が通っていたなんて。「急激な近代化」なんて言葉がニュースで使われますけど、本当にめまぐるしく変わったのだなと思いました。「杉並」だったり「久我山」だったり、美しい風景は地名に残るだけになってしまいましたね。」

私が子どもの頃は、相当昔なのか、ちょっと昔なのかというと、なかなか難しい質問ですが(笑)、今50代の私は、東京というか、日本の近代化のようすを自分の目で見て知っている。
ところが、5歳の下の妹は、どうも知らないようなのだ。

私が子どもの頃は、水は井戸からくみ上げていた。
ある日、水道屋さんのおじさんがきて、水道の蛇口をつけ、そこからザーザーと水が流れ出てくるのを見て、ビックリしたのを覚えている。それは多分小学生になる前。
冬になると、水道管が凍ってしまい、水が出なくなるのを知ったのもその頃。

テレビが家にきたのは、小学生の低学年だったが、それまでは、よその家のテレビを、垣根越しに見ていた。それがなぜか、プロレスだったりするのだけど。おもしろいと思っていたのかどうなのか。
でも、どうしてもテレビを見たい! と思っていたのだけは覚えている。
それまでは、ラジオしかなかった。でも、ラジオのドラマも、今思うと、すごく面白かったのだけどね。映像がない分、想像力がはたらいて、こわい番組を、震えながらよく聴いていた。

妹は、水といえば、水道から出てくるのが当たり前。テレビも、洗濯機も、冷蔵庫も家にあるのがあたり前、の世代である。