紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

息子が小学生の頃

2005-03-08 13:43:53 | 20・日々のできごと
きのう息子のことを書いていて、思い出したことがある。
とにかくマイペースの子供だった。

私が水泳が好きだったことから、子供たち二人には、スイミングには通わせず、私が泳ぎを教えることにした。よく旅に連れて行っていたので、湖をボートで渡ることもある。いきなり深くなる滝の淵で泳ぐこともあった。そういう時に思ったのは、万が一おぼれそうになっても、二人いっぺんには助けられないなということだった。それで、できるだけ早いうちに、泳ぎだけは教えようと思った。

小学1年生になった時、そういうわけで、息子はすでに25m泳げるようになっていた。スイミングに通っている子供たちが大勢いたが、その子達とくらべても、泳げる方だった。

学校では、検定試験というのがある。最初は、顔を水につけて、5秒間ただ浮いているというもの。それから、次はバタ足で5m。10m、25m・・とだんだん距離が伸びていく。
息子は、小1にしては、かなり上の級に合格できる実力があった。

ところが、一番下の級が受からないのである。最初は、よくやり方がわからなかったのだろうと思って、「次はがんばりなさいね。」といったが、その次もだめ。
それを聞いて、「私が教えてあげて、泳げるのに、なんでそんなのができないの!」と怒ってしまった。
息子は、情けない顔をしていた。

しかし、またその次もだめだった時に、ついに聞いた。
「なぜたったの5秒間、ただ浮いていることができないの?」
「水の中に顔をつけてると、まだみんなもやってるか、どうしても見たくなっちゃうんだよ。」

それには、笑ってしまった。まあ、いいや。やりたいようにやりなさい。肝心なのは、死ぬかどうかという時に、泳げればいいのだ。放っておくことにした。

そんなんで、最低の級に合格したのは、二年生になってからだった。50mも泳げるようになっていたのに、息子は最初の級をもらって、喜んでいた。

(写真:上越巻機山のふもとで沢遊びをした時の)